信長・秀吉事件
歴史を勉強した上で、信長や秀吉を尊敬する人は、意外にも多いと思う。政界や財界と云った社会のリーダーにも多い事は、私にとっては、驚く程、嘆かわしい気持ちになる。
信長や秀吉に限らず、私は、その歴史上の人物が、我欲・強欲にとらわれ狂人状態であったかと云うことを想像してみる。意外と歴史を動かして来た人々は、そのような修羅・餓鬼道のような状態であったろうと思う。
何かの目的の為には、手段を選ばなかった彼等の行為が、寧ろ尊敬に値すると云うのであろうか?
社会・人々の為にと云う気持ちが、信長・秀吉にあったであろうか?社会・人々の為にと云う気持ちが根底にあったならば、あの残虐非道、殺戮、侵略を行っただろうか?歴史上に名が残って社会を変えたとしても、それは我欲のなせる極端な事件のようなものであったと思う。
歴史や社会は、極端な我欲のぶつかり合う、戦いの事件簿みたいなものか。私なら、尊敬するに値する人は、我欲から遠ざかった、利他の心を持った、名もない、普通の人にそれを見出す。
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