« 質素はすごい | Main | 幸せの中の哀しみ、哀しみの中の幸せ »

October 13, 2008

無私の名残り

赤ちゃんには、無私の行為があると云う。

成長するにつれてその無私の行為はなくなり、死ぬまで、もはや無私にはなれない。

それは、「生は吾(われ)」であり、「死は無私」であるからだろうか。

死から、脱した直後の生だから、赤ちゃんには、無私の名残りがあるのだろうか。

無私の行為をみる度に、眩しい程の光を感じる。

|

« 質素はすごい | Main | 幸せの中の哀しみ、哀しみの中の幸せ »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



« 質素はすごい | Main | 幸せの中の哀しみ、哀しみの中の幸せ »