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October 21, 2008

祭りの形態、私の価値観

19日日曜日の朝、横浜中央魚市場の市場祭りに出掛けた。朝9時過ぎには、既に1万人の人出だったとのこと。その活気は、何か遠い昔の子供時代に感じた街の活気を想い出させた。昼間は2万5千にもなると云う。

そこには、生き生きした人間の生活の息吹が溢れていた。それは、心地好い、人間の生命の祭りのように思えた。

前日、韓国出張から昼に帰って、午後、等々力の東京都市大学の学園祭で、山本寛斎氏の講演を聴いたが、何故かそのことが脳裡にだぶった。

山本寛斎氏は、モスクワ赤の広場での12万人の大イベント、ベトナム、インド、日本でも武道館大イベントなど、大きな祭りを企画したり、人々に元気を出させることを夢にして、走り続けているとおっしゃった。でも毎日、泣いていますともおっしゃった。

私は、思った。何億円もかけて、人工的に、何か大きな装置を造り、整然と太鼓をたたいたり、空中ショー、をしたりして、人々を驚かせるイベントをしても、自然に起こる人々の生活の中のイベントが、それにも増して、元気を与えてくれるように思う。人工的な絢爛豪華は、私には、いくら金をかけても、生活の中から自然に出て来る素朴な行事には及ばないと思う。

生意気な考えかもしれないが、山本寛斎さんの生きかたも、辛かろうと思った。そんなに自分を酷使して走り続けなくてもいいのにと、不図思った。

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