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October 17, 2008

総理を目指すことの意味?、変えることの意味?

数日前に、週刊誌の見出し記事に、また政治への哀しい驚きを感じた。

鳩山幹事長は小沢代表へ云ったと云う。「命を賭して総理になりなさい、そして死んでもらいます」

私は、若貴兄弟における「横綱」と、「総理」を同じに感じた。

政治家は、「変えよう」とか、よく云うが、どう変えるかが、遙に大事なことがわかっていない。フライパンから火の中に投げ込む変革をして、社会を引っかき回すことも多い。自民党も民主党も、それは同じ状況。政治家には、内面から湧きだして来るような、社会に身を捧げるような、圧倒的なエネルギーを感じさせる人はいるのだろうか?

何の為に、総理にならねばならないのか?命を賭す覚悟は、何の為なのか?それが無いまま、総理を目指しても、しらけた、身勝手で、我欲にまみれた、滑稽な茶番ではないかと思った。

崇高に、身を捨てて、人や社会に尽くす覚悟は、言葉ではなく、目をみれば、姿をみれば、感じるものではないだろうか?


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