哲学カフェの風景、自分の為か、人の為か?の命題
人に褒めてもらいたいとか、人に頼られる存在になりたいとかの望みは、色んな人が共感する望みのようだ。昨日夜、哲学カフェの中で体験した。
それでいて、「人の為、社会の為」と云うと、”恩着せがましい。結局は自分の為では無いか”と切り捨てるニヒルな人が多いことに驚いた。
自分と他人が、全く同一だったら、自分の為とか、人の為かを区別する議論は成り立たない。私にとっては、過去、自他不二、自他一如の境地が、その不毛な議論を、終わらせてくれて、心がすっかり軽くなった。人が喜べば、自分も嬉しくなり、人が怒りだせば、自分もイライラして来る。それは、自他一如の証ではないのか。
マザーテレサの行為も、結局は自分の自己満足の為と云わないと気が済まない人が多いことに、中途半端に迷える、孤独な現代人の現実を感じた。
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