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June 14, 2008

純度を測る、心を測る

昨日は、中山節夫監督の映画、ハンセン病と冤罪をテーマにした「新・あつい壁」の試写会を見た。

ハンセン病の人の身内の人へのマスコミの取材を頼まれると、ハンセン病だった人は、断ると云う。ハンセン病の人達は、「自分の苦しみには耐えることはできても、身内の人の苦しみには耐えることができない」と。

「自分の苦しみに耐えることはできても、その人の苦しみには耐えることはできない」とは、何という美しい境地だろうと思った。人生で最も、美しい光景。

芥川龍之介の「杜子春」の光景も想い出した。母が愛した文学、母が紹介してくれた文学にもあった。

「愛する」と云う言葉は、簡単に、世の中に溢れ返っているが、この言葉は、人を想う純度を測る、リトマス試験紙。

「自分の苦しみには耐えられても、その人の苦しみには耐えられない境地」を想うと、自分が誰を愛しているのか、直ぐわかる。

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