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June 30, 2008

薬師寺を詠む

昨日初めて、NHK短歌のテキストを買った。昨日朝、ちらっとTVで聴いた薬師寺の短歌に心惹かれた。メモ出来なくて、もう一度、その短歌を聴きたかったので、テキストを求めた。選者が選んだ優秀作ではなかったが、心揺さぶられた短歌があった。

「塔の影、日時計のごと巡る庭、八月六日蝉の声満つ」

「何の為、生まれいでたるかわからずに、ただ仏前に手を合わすのみ」

「我が病躯、薬師如来の掌にのりて、大和の空にぽっかり浮ぶ」

これらの歌に触れ、雨の日曜日の朝、心は輝いて明けた。


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June 29, 2008

身体と心が邪魔になる境地

坐禅をして、身体と心を通じ、宇宙の存在を感じる。

そして、修行した名僧達は、身体を持つことが、不便だと感じる境地にも達すると云う。

「身体と心が邪魔に感じられる」瞬間、吾から解き放たれ、宇宙と一体化するのだろう。

その境地を、少しでも、味わえれば、私は堂々たる人生と憧れる。

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June 28, 2008

軽蔑される社長達

牛肉偽装を謝罪する社長の姿がまたTVで報道されていた。ホテルの社長や、大企業でも、軽蔑される社長達の多いこと。

精神の修行無しでも、社長にはなれることの裏返し。社会の為に身を捨てる社長達の姿を見せてくれと思う。

サラリーマンの目指してきたものが、如何に、低レベルの目標かがわかる。

会社でも、目指すものは、社会や人に感謝してもらえる徳を築く事ではないかと思う。

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June 27, 2008

可笑しな勘違い

赤ん坊の姿、若者の姿、年老いた姿、どれも同じもの。巻き戻してみても、早送りしてみても、それは同じもの。自分を思い出してみればわかる。

見える角度によって、姿も、輝きも変える星のよう。

見る者の、受信機側の、勘違いによって、色んなものに見えている。可笑しな勘違い。

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June 26, 2008

思い通りにならないこと

人が思い通りにならないことは、人間の尊厳。動物でも思い通りにならないことは、動物の尊厳。

自分も、誰かの思い通りにもならないことは、自分の尊厳。

生きとし生けるものは、そのように創られている。

例えば、人間を構成する60兆の細胞(生物)のことを考えれば、そう思う。

思い通りにならないことで、調和している。そして、永遠に安らいでいる。

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June 25, 2008

仙台、片平公園ですってんころりん

数日前に仙台へ旅した。旅先での散歩が好きな私は、東北大学北門そばの旅館から早朝6時、大学正門前の片平公園に偶然辿り着いた。

広瀬川沿いに、小さな竹林の小道を配した可愛い公園には、滑り台・ブランコ・下にバネの付いた板の台(木製のミニ・トランポリン?の様なもの)がおいてあった。

誰もいない、人影も無い早朝の公園、よし、木の台が面白そうと、ちょっと躊躇はしたが乗ってみた。ぽよよーん! とふわふわして面白かった。

そして、両足で同時にジャンプして、後に飛び降りた時、何と、転んで尻もちを着いてしまった。直ぐに立ち上がって、大急ぎで上着やズボンの砂を落とし、周りを見たが、誰も見ていなくて、ほっとした。

尾てい骨は痛かったが、恥ずかしさが先行した。公園の低い木には、カラスが2羽とまっていた。カラス達には、不思議な光景を提供してしまったかも知れない。逃げる様子もなく、怪訝そうに、こちらを見ていた。

誰かに、何でこんな物に乗ったんですか?と云われたら、そりゃ、吾ながら、可笑しくなってしまう。「すってんころりん」の想い出は、童話の世界のように想い出に残った。

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June 24, 2008

人の絆と、健康の関わり

人間どうしの精神的な絆は、健康には一大影響を及ぼすと云う。

孤独で寂しい人は、健康になれないと云う。人は、常に誰かと繋がっている絆を感じることで、元気が出て、健康になると云う。確かに、その通りだと私も想う。

だが、私は、絆に執着することで、絆の喪失の時の反動や、落ち込みの痛手も、同時に想像する。

孤独を恐れること無く、孤独な人間どおしの、哀しい存在のままの絆も、素晴らしいではないかと想う。

孤独を楽しみ、絆も楽しむ境地。共に人生の円熟した味わい、醍醐味ではないか。

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June 23, 2008

秋葉原、蟹工船、罪と罰

6月8日の秋葉原事件の惨劇に関する、週刊誌の記載に驚いた。

負け組の、勝ち組への復讐の事件として、犯人への共感の書き込みも多いと云うことに驚いた。

一生這い上がれない社会で、今回の事件に、社会の底辺の苦しみを分かち合う若者達も多いと云う。豊かな人達にはわからない、「蟹工船」の主人公のような奴隷のような低賃金派遣労働者の実態が浮び上がる。

19世紀ロシアの、犯罪をも肯定するニヒリズムの世相の中で生まれた、ドフトエフスキーの「罪と罰」の情景にも通じると云う。

社会の底辺にうごめく、虫けらのように、虐げられた人間の反乱として、一部の若者達は、自分の為に、生け贄のように犯人は死刑台に上がってくれたと思っていると書いてあった。

国家の危機とも云える社会背景が垣間見える思いだった。


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June 22, 2008

都蝶々さんのお母さん

都蝶々さんの義理のお母さんは、父親の駆け落ち相手の芸者さんだったと云う。

都蝶々さんは、子供の頃から、旅芸人の一座に付いて旅して成長したとのこと。

その義理のお母さんは、厳しく都蝶々さんに芸を教えたと云う。傍で見てると、継母だからいじめているようにも見られたと云う。

でも、蝶々さんは、義理のお母さんの事をちっとも恨んでない。

お母さんは、泣きながら、バチで叩いて、蝶々さんを鍛えてくれたと云う。

子供は愛情を見抜く。感動のシーンだったことがわかる。

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June 21, 2008

海亀の赤ちゃんの群れ

海亀の赤ちゃんは生まれたら、自力でパタパタと歩いて海を目指す。そのパタパタと歩く姿は、とてもかわいい。

だが、自然界は過酷で、途中、力尽きるものも、鳥に狙われるものもある。一斉に、海を目指す姿を想像すると、多くが海まで辿り着いて欲しいと願う。

海へ辿り着いた時の光景は、母親の顔が見えた時の赤ちゃんの顔のように素晴らしい。

そして、辿り着いた海亀の赤ちゃん達は、途中で倒れた海亀の赤ちゃん達の代表として生きて行く。

私も、誰かの人達の代表として生きているのではないかとも想う。

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June 20, 2008

どちらでも好いことの気づき

全てが、自分だと思うと、人の競争、争いも、可愛そうなくらい、愛おしくも見えて来る。

自分を守る為、自分の繁栄を達成する為、それぞれに頑張る姿がある。

富が、AからBに移っても、AでもBでも自分なら、どちらでも好いこと。

全てが、自分の一部なら、穏かな調和が、眼前に拡がる。

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June 19, 2008

一流選手とは?

昨日、妹が、雑誌の記事のコピーをくれた。高妻容一・東海大学助教授の、一流選手達の共通点の事が書いてあった。

一流選手は、試合結果にとらわれない。自分へのチャレンジを楽しむ。

二流選手は、試合結果に一喜一憂。勝ったら大喜び、負けたら落ち込み。結果を楽しむ。

三流選手は、人が見てる時だけ練習、見てないところではサボる。手を抜く事を楽しむ。

結果にとらわれないって、すごい境地だと思った。ただ黙々と修行する境地。すがすがしい想い。

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June 18, 2008

地球へのホームステイ

今、日常慣れ親しんだ自分の人生をホームステイと考えれば面白い。

外国の知らない土地の、知らない人の家に御世話になる。その御世話になる人の家の一室を借り、全てを好奇心一杯の目で、周りを見つめる。

いずれは、本国に帰らねばならないから、書きとめておきたいことや、想い出の写真も大切に残しておきたい気持ちにもなる。その場面、場面が心に焼きつく忘れられないシーンもある。

私は、遠い宇宙の塵のような微小なエネルギー体、今、地球のホームステイ先にいる。地球特派員報告中。

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June 17, 2008

呼吸、自分対宇宙、

自分が吐く息の時は、宇宙は吸い、自分が吸う息の時は、宇宙は吐く息の時。

自分を中心に考えるのを止めて、宇宙の側に立つと、何となく心地好い。

自分が、変な微生物のようにも思える。

静かに宇宙の調和に迷惑をかけない生きようと思うと、安らいで、宇宙に漂うような幸せを感じる。

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June 16, 2008

「可愛さ」と「かわいそう」、赤ちゃん

「愛おしさ」の元になるの感情は、「可愛さ」と「かわいそう」と云う感覚だと云う。赤ちゃんを見ればわかる。

「かわいそう」と云う感覚は、言い替えると、「健気(けなげ)さ」に通じると云う。

「愛おしく」思われる人は、「可愛さと、健気さ」があると云う。

人々が通常めざしているものは、可愛くないように、かわいそうでないように、「醜い程、自信たっぷりな人」をめざしているのではないだろうか?「愛おしくない、一人ぼっちの成功者?」をめざして生きている人が、何と多いのではないだろうか?

愛おしさには、素直さと健気さだったら、誰にでもできる。

勘違いして、変な成功者?をめざす人生は、道に迷ったも等しい。それは、他の人に、愛おしく思ってもらえない孤独の終着駅なのかも知れない。

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June 15, 2008

60億の戦国大名、人類

世界には、60億の戦国大名がいるようなものだと思う。戦国大名の中には、名君もいれば暴君もいる。他国を攻めるものもいれば、滅ぼされる国もある。富める国あれば、貧しい国もある。

また、60億の戦国大名は、領内に60兆の領民を抱える。豊かな領民もいれば、貧しい領民もいる。争いもあれば、平和もある。

地球上の60億の人間。人間の中の60兆の細胞。

全ての出来事、作用は、大きな宇宙の営みにも見え、矛盾と統一を繰り返しつつ。

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June 14, 2008

純度を測る、心を測る

昨日は、中山節夫監督の映画、ハンセン病と冤罪をテーマにした「新・あつい壁」の試写会を見た。

ハンセン病の人の身内の人へのマスコミの取材を頼まれると、ハンセン病だった人は、断ると云う。ハンセン病の人達は、「自分の苦しみには耐えることはできても、身内の人の苦しみには耐えることができない」と。

「自分の苦しみに耐えることはできても、その人の苦しみには耐えることはできない」とは、何という美しい境地だろうと思った。人生で最も、美しい光景。

芥川龍之介の「杜子春」の光景も想い出した。母が愛した文学、母が紹介してくれた文学にもあった。

「愛する」と云う言葉は、簡単に、世の中に溢れ返っているが、この言葉は、人を想う純度を測る、リトマス試験紙。

「自分の苦しみには耐えられても、その人の苦しみには耐えられない境地」を想うと、自分が誰を愛しているのか、直ぐわかる。

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June 13, 2008

曖昧な主語の、深淵な哲学

日本語は、主語や目的語が曖昧な表現が多いが、素晴らしい思想が隠されていることに気づいた。

欧米の、主語を明確にする発言は、自分を強調する心理効果を生む。

主語を明確にしないことで、自分は他の中に融合して、自己の主張をやわらげる。

私は、自己からどれだけ離れることができるかの距離が、その人の精神的成熟の尺度だとも思っている。

その意味において、主語を、強調しない日本語を、改めて見なおした。

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June 12, 2008

「伝えること」って、どんなこと

伝えることって、どんなことか?との問いに、「笑顔」の例を知った。

喋らなくても、人は、笑顔、表情で、既に、沢山のことを伝えていることを思った。

私は、「伝えることとは、笑顔」と云うのが、最高の生き方のように想えた。

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June 11, 2008

名僧に囲まれて

昨日終業後、新宿で、横山紘一先生の哲学カフェに出席した。先生の「十牛図入門」(幻冬舎)に感動したこともあり、久しぶりに顔を出した。

共に禅の修行をしている人が、私の坐禅の師、山口博永禅師は、「日本の中で5本の指に入る名僧の一人」と呼んでおられることを最近知って、嬉しかった。

そして、この横山紘一先生(立教大学、唯識論)も、昨日の会話の中で、横山先生も、名僧だと思った。

横山先生は、昨日、「私の妻」・「私の夫」と云うのを、「妻の夫」・「夫の妻」と置きかえる境地を教えてくれた。「私の娘」でなく、「娘の父」の境地。

他があって、しかる後に自分がある。自分を離れることができる程、争い、疎外感はなくなると。

そして、「水があって、魚がある」、「魚は、水の影」である境地に通じている。

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サウジの消費国への呼びかけ

昨日、サウジが、この急騰した原油市況に対処する為に、消費国との対話を呼び掛けた。産油国としても、共に問題を共有していることを示した。

OPECは、かつて石油メジャーが、一方的に原油価格を連続して引き下げたことに危機感を抱いた産油国が、1960年に結成した価格防衛カルテルとして発足した。

価格防衛カルテルが、今や価格沈静化に、施策を考えねばならぬ程、事態は、トンチンカンな展開をしているとも云える。

私の、アラブ人の同僚はサウジの動きを、私に報告してくれた。この展開は、私にとって、小さな驚きでもあった。

PS:クウェートの石油大臣は、もし市場が求めているなら。OPECは行動を起こす事をためらわないし、クウェートは、供給量を増やす事が可能だと発言した。

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June 10, 2008

地球の醜さ、人間の醜さ

昨日試写会で、「闇の子供達」を見た。児童虐待・児童売買・児童買春・臓器売買の実態を描いた映画で、見るにはかなりの勇気が必要だった。ある程度、精神的な力がないと見れる映画ではない。私は、子供達が、人一倍好きだから、余りにも過酷過ぎて、人には余り薦められない映画だと思った。

私は、坐禅で修行している身だから、このようなことは、目を背けてはならないと思って見た。覚悟してみなければいけないと思って、意を決して見た。人間の煩悩の醜さ、巨大さを思った。人生の中で、決して檻から出してならないライオンのような煩悩があることを思った。

地球の醜さ、人間の醜さも思った。宇宙飛行士が、美しく眺めた地球でも、おぞましい人間社会のシーンも存在している。自然や人間も美しい面も見せてくれるが、決して美だけではない。病んだ細胞があるように、地球も人間も、十分に醜い面も持っている。

ただ、病気が快癒することを願って、美しい地球を、人間を思いたい。勇気を出して映画を見て良かった。

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June 09, 2008

「宇宙船・地球号」の盲点

私は、「宇宙船・地球号」と云う言葉は、環境問題に対する好いスローガンだと、自然に聞いていた言葉だった。

昨日、ある講演で、宇宙船とは、人間が作った精巧な機械ということを指摘されて、はっと驚いた。

環境対策を考えながらも、まだ、地球と、宇宙船とを擬える傲慢な人間のことを。

地球や宇宙や自然は、人間も、生きとし生けるもの全てを、隔てなくその自然の懐に抱いているのではないか。

考えることの土俵が違っている。

地球や自然を考えると、自分が何も所有していない、一つの宇宙の現象に過ぎないように思う。

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制御不能、原油価格

昨日は、米国の石油価格が金曜日の取引で、10㌦以上も上昇した報道に、仰天した。

実体経済からかけ離れるほど肥大化させた世界の金融経済に主因はあると私は思うが、先物市場の過熱振りもさる事ながら、産油国も何等かの新しい施策を打ち出して、消費国とともに、石油価格を正常化させる努力が必要な時期だと思う。昨日、私は、アラブの友人に電話した。今日も、私の意見をつたえる。

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June 08, 2008

平凡な奇跡

人と偶然に会う確率から、天文学的確率とか考え、私は、何か不思議に思っていたが、他の日常の様々な出来事も、天文学的確率の中で、生きている事に他ならないと思った。

生まれて来る時も、何億の中から、1個の細胞が生き残って、生まれて来ている。人間全ては、先ず宝くじの当選者。余りにも、奇跡的な事が多過ぎて、その奇跡は、平凡な日常に見えてしまうようになっている。

平凡と思われる日常と思っても、ある時は、奇跡の連続のような人生の展開に、宇宙を感じてみたいとも思う。

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June 07, 2008

犬に教えられた執着

館山、坐禅道場の犬が、餌箱に入った餌は、完璧に自分の物として、取ろうとするものには、誰でも牙を剥いて怒るとの話を住職から聴いて、可笑しかった。そんな人が、身近にも感じられて、犬と姿が、ダブって可笑しかった。

それを聴いたのは、約1ヶ月前のこと。

そして昨日夜、住職は坐禅の途中に云った。人間は地球を自分の物と思っている勘違いのことを。

そうだ、私も、自分の家・土地を、権利証を持って、自分のものだと、牙を剥いて、怒っている犬と同じであることを、気づき、可笑しくなった。私も、餌箱に入った餌を牙を剥いて守る犬と、同じレベルだったかと。

自分が、何一つ所有していないことの気付きは、宇宙との調和の入門。

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June 06, 2008

金融の弁護

昨日、三菱銀行OBで、国連環境計画と云う機関の金融関係の顧問をしてらっしゃる末吉竹二郎と云う人の講演を聴く機会があった。金融について考える好い材料であったと思う。

物を売り買いする時に、当事者の支払いを保証してくれる役割は、社会の誰しもが求める事で、それが金融の役割。(銀行が保証してくれる事で売買が成立する。)

全てが売りたい人ばかりで、市場が成立しない時、一人でも買いたい人がいれば、市場は成立する。金融機関が、その一人になることは、市場にとって不都合なことでしょうか?との問いかけであった。

市場への規律は当然必要だが、金融が果たしている恩恵は、忘れ去られて、悪者にされがちな世論を、同氏は、指摘していた。

確かに、もの作りが立派で、金融は悪と云う考えは、ちょっと行き過ぎているように思う。マネーゲームと云う言葉を連想することは、社会における金融の役割を考える時に、阻害要因になるかも知れない。

同時に、人間社会は、制度を変えて行くことも大事だが、根本的には徳や倫理に委ねられている部分も大きいと思う。

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June 05, 2008

パソコンのインク、一元論へ

私のパソコンのインクは、4種類。黒と、黄、赤、青。

その4種類しかないのに、写真の印刷の時、自然の沢山の多彩な色が見事に印刷されて出て来る。

その私の目は、4種類の色を、多彩な色に見える生物に造られている。

その4種類だって、成分を細かく分析していくと、ちょっとその原子か電子核か何かの位置や配列を変えてるだけで、素材は同じものかも知れない。

人生色々とか、多彩な色に惑わされて、人生を見ているが、素材は同じものと思うと、気が抜けるやら、目の錯覚の人生と思い、可笑しい気持ちにもなる。今朝、不図、パソコンのインクは、一元論へのヒントにもなることに気づいた。また、「波と大海」を想う。

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June 04, 2008

人生を日本史的に表現すると、

人生を日本史になぞらえると面白い。

幼児時代は、縄文・弥生時代。卑弥呼は母か?絶対権力者であり、神でもある。

小中学校・少年時代は奈良時代。友達から沢山の新鮮な文化が入って来る。人間としての勃興期。

高校時代は、平安時代、美の世界に目覚める。

大学時代は、鎌倉時代。蒙古来襲の危機を乗り越えたかと思うと、戦乱の時代への前ぶれ。

就職してからは、長い戦国時代へ突入。そして戦国時代の後は、長い鎖国もある。

定年の頃は、明治維新。会社中心主義から、大政奉還。即ち自分の正統性の奪還。

その後は、大戦なのか、原爆なのか、穏やかな平和なのかは、定年後のその人の近代化・施策次第。

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June 03, 2008

不幸のバランス

昨日、ビジネスランチの時の雑談が、たまたま人生論に及んだ。

不幸な人のバランスは、その分、深く神の存在を、神をいつも考えることが出来ることだと、アラブ人の同僚が云ってビックリした。

アラブ人から一元論を聞こうとは、思ってもいなかった。

確かに、不幸になった分、神との対話は深まると思う。

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June 02, 2008

旅の話の盛り上がり

人生は、それぞれの人が、毎日、その人のレンズを増やして生きていることではないかと思った。

それぞれのレンズを通して見てきたものを、群盲索象のように、見た人が、見た部分、触った部分の感覚を表現する。

特派員報告のように、それぞれの特派員が人生をレポートする。

同じ場所にいるのか、違った場所にいるのか、お互いにわからない。

そして、同じような場所だと感じる時に、人生の旅の話も、盛り上がる。

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June 01, 2008

偶然の背後の世界

最近、日比谷線の中で、アメリカ在住で出張来日中の、もとの会社の後輩と偶然出会った。3年ほど前にも、同じように、やはり地下鉄の中で、同じ後輩(米国から出張来日中)と同じように偶然会っていたので、とても驚いた。出張中と云う確率の中、地下鉄に乗る時間帯の確率、そして同じ車両や駅に居合せる確率に、気の遠くなる偶然に驚いた。

また、最近、東横線の電車の中で朝、偶然車内で見かけた知らないおばさん二人と、夕方山手線の中で再び、同じおばさん二人と偶然会う珍現象にも驚いた。

人間社会の色んな縁は、その人にとって好い縁も悪い縁も、大きな宇宙において何らかに作用し合っている力があるのではないかと思った。それは、何世代にもわたって続く、何かのエネルギーが、なせる技なのではないかと思った。

人間にとって、毎日起こる偶然の背後にあるものは、知る由も無いが、何が深い縁があるのではないだろうかと思う。

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