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March 06, 2008

魚の食べ方の想い出

先日、煮魚を食べていたら、不図、魚が好きだった父の煮魚の食べ方を想い出した。魚の骨を吸うように食べていた父。カブト煮などは、それはもうキレイに食べ尽くしていた。魚もあれだけ食べてしまわれては、本望だったろうなど、勝手な推測までしてしまうほどだった。

煮魚の骨を吸うように食べている自分をみて、父を見るようで、可笑しくもあり、突然訪れた父との再会が懐かしかった。

生前、じっくり、話したことの無い父だったが、今、その頃の父の行動・言動・仕草を想い出すと、どれだけ私を愛していたか、苦しくなるほどわかる。

ただ申し訳なくて、父が生きている時に、そのことに気付けなくて、人生の哀しさを感じる。これは、後悔と云うより、今まで気づかなかったが故に、何倍にも増幅された、父親への思慕であろう。哀しみと、心地好い清々しさとの入り混じった、深い感情である。

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Comments

私は、父から、「魚は磯辺でさらしたように食べよ」と躾けられました。父も、またその父にそう躾けられたのだと思います。
よって、私はほとんど猫のようになって魚の骨にしゃぶりつきます。
・・・禅僧が唯一音を出して食ベルことが許されているのがうどんだと聞いたことがあります。
一見行儀悪いようでも、骨に身を残さないほどきれいに食べるのが、細かい動きができる「お箸の国」の、食べ物に対する礼にかなった行儀だと思います。

Posted by: のほほん | March 08, 2008 at 09:53 AM

のほほんさん、魚を「磯部でさらしたよう」に食べるって、いい表現ですね。

魚にとって、死にたくはなかったが、どうせ死ぬなら、思い切って、誰かを生かす食べかたをして欲しいと思うのではと、人間の私は考えてしまいます。

魚に感謝して、磯部でさらしたように食べさせて頂きます。

Posted by: life-artist | March 09, 2008 at 07:26 AM

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