桜の蜂起
2006年の春、外国の観光の本に、Riot of Cherry Blossom (桜の蜂起)と云う言葉があるのを聴いて素晴らしい表現だと思った。確かに、桜の乱って云う感じは、うっとりする。
電車の車窓からでも、日本各地で、桜の一揆が起きている様子が見える。
そして、力尽きて、1週間後には、鎮圧されてしまう。
日常の中で見掛ける数本の桜の木の、孤軍奮闘の桜の乱も、これもまた素晴らしい。桜の武士道。
2006年の春、外国の観光の本に、Riot of Cherry Blossom (桜の蜂起)と云う言葉があるのを聴いて素晴らしい表現だと思った。確かに、桜の乱って云う感じは、うっとりする。
電車の車窓からでも、日本各地で、桜の一揆が起きている様子が見える。
そして、力尽きて、1週間後には、鎮圧されてしまう。
日常の中で見掛ける数本の桜の木の、孤軍奮闘の桜の乱も、これもまた素晴らしい。桜の武士道。
朝出掛ける頃、TVの幼児番組で、「お父さんスイッチ」と云うのが出てくるのがある。
箱で作った簡単なスイッチを、子供が押しながら、何か頭文字を云うと、それを使ったものを、お父さんは家の中で、探して来なければならない。
例えば、「は」と云ったら「はし」とか、「い」と云ったら「イス」とか、・・・・・
最後に、よくできましたと子供に云われる時のお父さんの幸せ振り。
私は、何故か、この番組がとても好きだ。お父さんスイッチ。
3月27日(木)09:40 中目黒から神谷町区間での出来事。中目黒から乗り込んだ電車に空いてる席が一つ、直ぐ座ることを決断し座ったところが、隣に座っている人は、TV・マスコミでお馴染みの、外交評論家の岡崎久彦氏だった。
彼の歴史観・世界情勢分析には、日頃から敬服していたので、隣に座っている自分を、大変光栄に思い、思いきって、岡崎先生ですか?と声を掛けた。
岡崎氏は、にこやかに話しをしてくれて、名刺まで頂いた。神谷町までの約10分くらい、中東に関することなど若干会話をすることができた。
神谷町でお別れして、私は会社へ向かったが、道すがら、これは、一体何たる縁かと、こんな出会いに驚嘆した。日本外交史にまた、大変な興味が湧いて来た。彼の著作も、益々、大いに読んでみたくなった。
岡崎久彦氏と、直接、電車の中で隣で話ができたこと、これは、何度想い出しても、嬉しくてしようがない出来事となった。
3月末で、期限切れになる租税特別措置法を巡る、政界、経済界の低レベル振りに、改めて失望を感じた。同時に余りにも、政界、経済界が、子供っぽく、何だか、幼く身勝手なところが、自分が生きるのに精一杯な様子が見えて、自分の人生とダブらせて、親近感させ覚える。
結局、関係者すべてで、誰かのせいに決め込む、1億総評論家で、この事件を評するだろう。日本の社会に大混乱を起こすかも知れない、この大混乱。 あとで、混乱を収拾する過程で、社会が進展すれば良いかとも、さじを投げる心境。 こんな政治にした国民も反省材料。 2大政党のリーダー が、これほど、幼児っぽく見えたことは無い。
私は、大混乱が、不安であるが、これも自然がなせる技かと思い、心静かに大混乱に突入する。
昨日、帰宅後たまたま見たTVで、森・星・雪について、こんなに芸術的に美を表現できるだろうかと思うほど、余りにも感動的なシーンの話に、吸い込まれるようだった。
子供時代に親の離婚で、実の母に虐待された少女の話で、家の中に居場所が無くて、近所のバス停で寝た時もあったと云う。寒い日、もうこのまま死んでしまって、朝、目が覚めなければよいのにと思ったと云う。
その時、目が覚めると、森や星や雪が、とてもきれいで、とても優しく見えたと云う。一人ぼっちでなく、森や星や雪が友達のように思えたと云う。
そして、成人した今、虐待した母親に対して聞かれると、愛憎の憎が悲しみに変わり、悲しみが情に変わったような気がすると云った。私は、この話に、高僧の話を聴く思いだった。
家出をして、少女が、心細い気持ちで見た、森や星や雪が、どんなに美しかっただろうかと、強い共感を覚えた。
3月28日(金)~31日(月)休暇を取って、鹿児島・熊本山鹿温泉・大牟田実家へ旅することに決定。
鹿児島は喜入の友人と再会、懇親。山鹿温泉は大牟田の姉をつれて山鹿温泉で、名古屋の親戚と合流する。父の好きだった山鹿温泉に行くのは、私の念願だった。
大牟田では、昨年に続き、町内会の花見に飛び入り。 帰りの福岡からの飛行機搭乗前に、LPG業界の先輩に福岡で、再会、お茶を飲む約束も本日成約。
このような行動が、私の人生の価値観、もっと早くこうしていれば、両親にも、もっと孝行ができただろうと思う。
昨日のYahoo Newsで、衝撃を受けたニュースがある。
"親子で、排水溝のふた盗む 「生活が苦しかったので、お父さんを手伝った」と中二少女"。3月19日、夜9時過ぎの世田谷下馬のマンション解体現場とあった。
私には、成人した娘が一人います。子供の頃からの成長の様子の想い出が、私の人生の宝となっています。
14才の娘に、「生活が苦しかったので、お父さんを手伝った」と云われた時の、父親の気持ち、それを聞く警察官の気持ち、娘の気持ちを思うと、ただ、人生のせつなさが、涙を誘った。
この親子の人生に、貧しくとも、焼き芋のような優しい温かさと力強さが、もどって来ることを願う。
リンゴの切り口が直ぐに酸化して行くように、哀しみも苦しみも幸せも、何もかもが、時と共に色あせて行く。
だからこそ、今が輝く。人生は、今を頂点として、展開している。
今は、どんな状態であっても、壮大な舞台の輝きなのだ。
人生では、もう一度だけとか、あの日に帰りたいと云う想い出がある。
それは、もう人生の素晴らしい瞬間であって、実際は、二度と無くても、その人にとっては、十分に幸せなことだと思う。
草原の中で、ちらっとプレーリードッグを見つけた時のように、また雪山の斜面で、白い可愛らしいオゴジョ(イタチの一種)をちらっと見つけた時のように、もうそれだけで、一生残る想い出になる。
ちらっと見た、メルヘンの光景は、それが存在したと云うことだけで、もう充分ではないかと思う。
TVの生き別れた肉親との再会番組で、再会の瞬間、泣き崩れる様子が放映されることがある。もう会えないと思っていた肉親と何十年振りに再会する感動的なシーン。
それと同じような再会を、人間は、大自然に遭遇した時に、感じているのだろう。
自分の人生の記憶とか短いものではなく、遙に生物の根源的な、遺伝子的な記憶が、大自然を見て、母との遭遇のように、泣き崩れるのだろう。
そのような、遺伝子の再会の旅が出来れば、最高だと思う。
今朝は年末に期限切れになってしまった運転免許更新の為に、横浜二俣川に朝8:00に間に合うように出掛けることにした。
早朝、暗い内から起きると、6年前に会社を辞めた時、余りの開放感の為か、深夜でも早朝でも、目が覚めると、嬉しくて、慣れない小説を読んだり、今後の夢を考えたりした時のことを想い出した。今日は、会社に行かずに、何をしてもいいんだと思うと、嬉しくてしょうがなかった。
その後、ゆき詰まったりした時は、何の組織にも属さない自分が、寧ろ、とてつもない危険な心細い存在であることに気づいたりもした。
そして、今、結局は、極端であることは、不安であったことに気づいた。極端な自由は、極端な束縛と同じくらい、混沌として、苦しい。極端な成功も、極端な失敗にも似ている。
適度に、まだらに、色々な矛盾するものが、溶け合ってこそ、自然に、穏かな、時に美しい人生の情景が生まれる。
昨日、夜、映画議員連盟の試写会で、日中共同映画「純愛」を見た。満洲からの引き揚げ時の悲劇と、その混乱の中で、中国に残留したある日本女性の人生の映画だった。鳳凰山付近から奉天を目指し徒歩で引き揚げる開拓団の模様、当時の中国の農村の模様、すべてが、私の両親の経た人生の映像のように思えた。
製作・主演の小林桂子さんを、この映画製作に、突き動かしたものは何だったのか、私は、偶然見たこの映画に、衝撃を受けた。余りにも過酷な運命にも、最善を尽くして気丈に生きる人生に、そして中国人の優しさににも、当時の両親の体験が頭をよぎり、私の目の前に、両親の人生のシーンが蘇るようであった。
バタン・バタンと、瀕死の状態で転倒しながらも生きて行く、過酷な、哀しい、逞しい、美しい人生が、確かにあった。
よく、成功していると思われる人達の講演で、「明るい人でないと、周りに人は寄り付いて来ない」と云われることが多い。
私は、いつも明るい人は、薄っぺらに見えてしまう。どこか、無理されているようで、行き詰まるのではと、息苦しく思ってしまう。でも、その明るく見える人が、陰で泣いている姿を知ると、その人に深さを感じて、好きになる。
明るさに拘ることで、大本営発表のように、無理されて生きているようで、滑稽に感じてしまう。
人生は、単純ではなく、圧倒的な大自然に対峙するかの如く、人生に感じる明るさも暗さも、大自然の大きな営みの一部として、堂々と味わえば好いと思う。
明るい人も暗い人も、その人が時折見せる心の情景なのだから、自然に、そのままでこそ、深い味わいであり、魅力ではないかと思う。
今日は、仙台より出勤。16日(日曜日)の仙台での先輩の通夜参列の後、結局仙台の旅館に泊まることにした。
月曜日の朝07:16の「はやて100号」に乗ると、09:04に東京駅に着く。10時の出社時間には十分に間に合う。
こんな、変速的な出勤パターンも、脳への刺激、小さな驚き。
今回私が泊まった旅館は、2年前、私のノルウェーの友人の娘さんが来日した時に、東京から私が調べて、彼女に紹介した旅館。日本の建築を見学して回る目的の彼女は、一人で仙台にも建築を見に行った。
彼女は、仙台で泊まった旅館はとても好かったと云っていたので、私自身もいつか泊まってみたいと思っていた旅館であった。東北大学・片平校舎北門前のすみれ会館。日本的な装飾と、ロビーにたむろす子犬、子猫が印象的な綺麗な、旅館だった。
今回は、先輩の葬儀にまつわる、想い出の仙台訪問となった。いつまでも忘れない旅になる。
昨日昼、渋谷での、医師講演会で、中尾ミエさんのトークを初めて聴いた。園まりさん、伊東ゆかりさんと3人娘だった彼女達。大変懐かしい。今でも、彼女達の曲を聴くと、高校時代、マラソンを練習していた頃、青春時代を思い出す。
その、中尾ミエさんが今度、「可愛いBa~Ba」と云う本を出版されると云う。歌もCDが本に付いていて、本には彼女の人生観について52のメッセージが書いてあると云う。本の宣伝のパンフレットを見ると、傑作と思うメッセージが確かにあった。
「年齢は、還暦過ぎたら自己申告」、「50過ぎたら、I Qより愛嬌」「見栄を捨てれば、家が建つ」 など、面白~い。
昔、TVでしか見れなかった、遠い遠い存在の3人娘が、何気なく、サラリと、私の目の前に現れた。
昨日夜、仙台の仲良しの、大学時代の先輩の家へ電話したら、昨日夕方亡くなったことを知った。今年1月末に奥さんからガンで入院中との連絡を頂いて、2月、3月と日帰りで病院へ見舞いに行った。
とても気が合う先輩だった。地味で、右翼で、古風で、私の冗談に腹を抱えて笑っていた。仙台からこの数年、よく学園祭のシーズンに上京して、一緒に懐かしい下宿の場所(武蔵小山)、大学時代のフォークダンスクラブのパートナー校(西荻窪・東京女子大)など見学して回った。
2月に見舞いに行く時に、何が欲しいか聴くと、靖国神社の資料だった。その後、講談にも興味を示したので、私は郵便で、講談の資料も送った。一緒に、講談も覚えたかった。
2年前、仙台へ旅した私を、芭蕉ゆかりの山寺へ連れて行ってくれたことは、かけがえのない想い出となった。特攻隊の話も好きだった先輩。何故か、「散る桜。残る桜も散る桜」と云う特攻隊の句を想い出す。
明日、また日帰りで仙台へ行き、通夜に参列する。先輩に敬礼。
昨日、5日振りに海外出張(韓国・台湾)から帰国した。ホテルの部屋で見るCNNニュース、各社との面談、空港でのラウンジ、それぞれの場面が、昔、アラブ勤務時代に、エネルギッシュに働いていた頃を想い出させた。
今は、力むことなく、弛緩し過ぎることもなく、ただ坦々と、その国らしさを味わいながら、出張の用務をこなすことができた。
色々なことが、周りの風景の一つ一つが、新鮮に感じられた。
今日の夕方、東京は雨の予報。先日、知り合いの人から頂いた写真展の案内の風景に、雨飾山とあった。雨に飾られた山か。雨を飾りと表現する心に、日本の美を感じた。
色々な、深い苦しみを経ての平穏は、格別な幸せの味わい。
熱い夏、寒い冬を経ての、春、秋だから、その素晴らしさは倍増する。
私は、人生の、春や秋の美しい光景を、いつでも、脳裡に呼び出せるように生きて行きたい。
夢を聴いて、子供の夢と変わらない大人は、価値観が未発達と云うことかも知れない。
子供は、自分の存在が余りにも大きく、自分が宇宙の中心として、色々な夢を語る。
自分を際立たせる夢が多い。
成熟した、修行を経た成人は、自然の中に自分を溶け込ませるような、自分は自然の一部として、穏かな夢を語るのではないだろうか?
同じ人が見せる、色々な表情は大自然の表情に似ている。
良い人が、時に悪い人に、悪い人が、時に良い人に。
たまたま巡りあわせた時期によって、人も、見える表情も変わる。
このような、色々な表情を見せる大自然の営みの繰り返しが人生。
自分の大好きな大自然の光景を思い浮かべれば、人生も捨てたもんじゃない。
快晴の日、新幹線の車窓から遠くの山々を見ていたら、こんなこともあったなー、あんなこともあったなーと、人生の想い出を創って来たことを思った。
そして今、またこうやって旅して、想い出を創っているんだなーと思った。
旅は、音楽。
昨日は、新幹線マラソンを無事達成した。東京・仙台・新潟・東京の日帰りから23:45東京駅に着いた。帰宅0時30分。そんな旅ができたことに、改めて達成感を感じた。
今日は、羽田発15時25分のANA便で韓国へ出張。羽田発と云えば昔の流行歌の「羽田発7時50分」を想い出す。フランク永井の歌。「夜霧の第二国道」も。
羽田空港から海外へと云うのも、成田空港が出来てからは、大変まれなこと。ちょっと、楽しい。
自宅からは昼過ぎに出発しても十分に間に合う距離。「羽田発7時50分」♪を口ずさみながら今日は立つ。ブログは、13日までの記事を、まとめて、日時指定で、入れておこうと思う。
昨日は、懐かしい家裁調停委員の懇親会が、大変楽しかった。横浜・馬車道のレストランで会食の後、久々のカラオケの二次会。若者達のグループが賑やかに歌うように、約1時間半、11名のメンバーで、途切れなく、それぞれの持ち歌を、歌い続けた。
何だか、大学時代のクラブ活動時代のような雰囲気だった。
色々な歌の歌詞の意味は、今は何倍も深く感じることができ、歌のメロデイーと詩は、小さな旅の連続のようだった。
明後日、韓国・台湾へ出張する予定で、慌しい気持ちもあるが、今回、我ながらすごい思い切った行程の日帰りの旅を明日、強行する。
朝の東北新幹線で仙台へ行き、大学時代の先輩を見舞い、その後昼過ぎに、新幹線で、仙台から新潟へ向かう。新潟へは、元の会社の後輩達、5~6人と夜、新潟駅前での懇親会18:00時に間に合うように行く。
懇親会の後、21時半の最終新幹線で東京に帰って来る。
これは想い出に残る、新幹線ならではの日帰りの行程。JR東日本の「大人の休日クラブ」キャンペーン利用(12,000円新幹線乗り放題)ならではの芸当。
こんな行動も、私の人生の小さな驚き。「よし、明日は、頑張るぞ」って感じだ。
先日、煮魚を食べていたら、不図、魚が好きだった父の煮魚の食べ方を想い出した。魚の骨を吸うように食べていた父。カブト煮などは、それはもうキレイに食べ尽くしていた。魚もあれだけ食べてしまわれては、本望だったろうなど、勝手な推測までしてしまうほどだった。
煮魚の骨を吸うように食べている自分をみて、父を見るようで、可笑しくもあり、突然訪れた父との再会が懐かしかった。
生前、じっくり、話したことの無い父だったが、今、その頃の父の行動・言動・仕草を想い出すと、どれだけ私を愛していたか、苦しくなるほどわかる。
ただ申し訳なくて、父が生きている時に、そのことに気付けなくて、人生の哀しさを感じる。これは、後悔と云うより、今まで気づかなかったが故に、何倍にも増幅された、父親への思慕であろう。哀しみと、心地好い清々しさとの入り混じった、深い感情である。
健康の条件について考えてみた。
(1)食事: 砂糖・動物性脂肪・人工添加物等の過剰摂取が現代病のもと。しかし、どんな良いものでも食べ過ぎは病気のもと。
(2)運動:筋肉は体温のもと。正常な体温は病気を防ぐ。35度台はガンの増殖温度。筋肉の刺激無しでは骨も育たない。 しかし、過剰な運動も病気のもと。
(3)休養:7時間内外の睡眠が長寿のもと。休養無しでは、交換神経活動過多でガン発生も。リラックスの副交換神経とのバランスが病気を防止。しかし、寝過ぎも病気のもと。
(4)精神:ストレス過剰は病気のもと。しかし、適度なストレスは必要。
(5) 環境:有害物質に過剰にさらされる環境下では、健康は困難。しかし、無菌状態も危険、免疫も発達しない。
「食事・運動・休養・精神・環境」と云うことであるが、これらのことが適度に好い状態、つまりバランスが好い状態が健康の条件だと思う。不足も悪いが、過剰も悪いと云う、微妙なバランスの上に健康と云う均衡が保たれていることに、また美しいまでの宇宙の摂理を見る。
今、風邪が流行っているようで、咳をする人が多い。私も昨日は、ちょっと熱っぽかった。そこで、昨日は、ビタミンCを沢山、飲んで、今朝は、風邪の症状は消滅した。
人間は、犬や猫のように、体内でビタミンCを造れないから、食物や、栄養補助食品で摂るしかない。ビタミンCの病気治癒能力・免疫機能強化能力は凄まじく、ガン療法に、ビタミンC療法があるくらいである。またストレス退治にもビタミンCは、絶大な効果があると云われる。
石油からもビタミンC(アスコルビン酸)は合成できるが、人工的な合成したビタミンCは、人間の身体には少量しか吸収されなくて、効果は薄いと云われる。自然の食品由来のビタミンCでなくては、本来のビタミンCの効果は無い。人間がビタミンCを、人工的なビタミンCと食品由来のビタミンCの区別ができてないことに、科学の限界と、科学の力を遙に超えた宇宙の摂理のようなものを感じる。
人間は、リンゴの成分をあれこれ分析はできても、科学の力では、たった一個のリンゴでさえも造ることはできない。
昨日は、世界遺産の縮小版が公園にまとめて展示してある、鬼怒川の東武ワールドスクウェアを初めて見て回った。25分の1の大きさの精巧なミニアチャーの建物の公園を、海外からの友人と一緒に散歩した。
私は、世界遺産に、とても興味があり、世界を旅したような気持ちになれた。
その後、実際の世界遺産、東照宮を見ると、まさに演出満点って感じだった。
世界遺産の素晴らしさを感じると同時に、時の権力者の行動、一般大衆のそのころの生活なども一緒に思い、被支配者の、遺跡をみる思いも、また違った角度で、考えて見た。
富は、自然に平準化され分配されるのでは無く、自然にどこかに集まるように出来ていることを思った。世界遺産の建造物の多くは、強大な権力のもとに集まった富の遺跡であることも思った。
昨日の観光案内は、横浜大桟橋・浦賀の観音崎・江ノ島。
晴天の浦賀水道を行き交う船を見ながら、観音崎京急ホテルのSPA(温泉)に入った。湯船に本を持ちこんで読んでる人も二人見かけた。大きなLNG船が東京湾から出て行く姿も見えた。マレーシアのぺトロナス(国営石油)のマークが肉眼ではっきり見えた。
新しく開館したばかりの横須賀美術館も、海の眺望が素晴らしく、また建築的にも素晴らしかった。
長年のつき合いの外国の友人を、色々観光案内する自分を、楽しく思った。日本は、彼の目にはどう映っているのだろうと思いながら、異国としての日本を想像してみた。
毎年、2月末に東京の新橋第一ホテルで、国際LPガスセミナーが開催される。LPガスの国際海上貿易に携わる人は、国際的であっても、大概お互いに、顔が分かるような、小さな社会とも云われ、LPG村と云われるような雰囲気がある。
私は、このLPG村が大好きだ。セミナーや、Receptionで、懐かしい顔を見かけるとほっとする。新しく知りあう人も、LPGに携わっていると聴くと、とても親しみが湧く。
LPガスは、油田から取れ、天然ガス田から取れ、そして石油製油所からも出て来る。色んな部門にちょっとくっついて出て来る少量のエネルギーであるが、エネルギー全体を俯瞰できるきっかけを与えてくれる。そして適度に小さいが故に、「誰とかさんのLPGです」と云った顔の見える、ビジネスのような感じがある。
セミナー終了後の土日に、海外からの友人に、東京近郊を色々案内するのも、私の毎年の楽しみでもある。世界のLPGビジネス村の住人であることを、幸せに感じる。