篤姫と和宮
島津斉彬に云われて、徳川家に嫁いだ篤姫も、岩倉具視に云われて徳川家に嫁いだ和宮も、嫁ぎ先を出身の薩摩藩と公家から滅ぼされるとは、さぞかし無念で、情けなかったことだろう。
彼女達のその後の行動は、まさに「女の意地」のようであったと思う。「女の意地」とは、これを云うのだと思う。
また一方、幼い娘達を政争の具にした、歴史上の大人物達は、そんなことまでした意味では、品格が無かったと思う。その部分では、決して大した人間ではなかったと私は思う。
篤姫と和宮を、心の中で、厚く弔いたい気持ちになる。
Comments
時代劇チャンネルでの「翔ぶがごとく」の再放送と、NHKの「篤姫」を平行して見ているので、肥前方言を公用語に使っている私ですが、ちょっと薩摩言葉の影響が出てきております。
Posted by: のほほん | January 19, 2008 03:17 AM
のほほんさん、雑誌「歴史街道」2月号に、篤姫がいつも眺めていた、「薩州櫻島真景図」が載っていました。
19才で、江戸に来て一度も薩摩へ帰ることのなかった篤姫が、いつも眺め愛した櫻島が描かれています。今年また、友人のいる鹿児島へ旅したくなりました。
Posted by: life-artist | January 19, 2008 07:57 PM