« 哲学カフェ・内職の光景 | Main | 素晴らしき「中道」 »

November 15, 2007

気分、即ち自分と同義語

坐禅の中で、「気分」とは自分への拘りのようなものを指すと云う。坐禅は云わば「気分」の無い、即ち「自分」の無い状態を造りだせる。それがサマーデイーと云う状態と云う。

坐禅のやり方は、覚悟してやるとか、やり過ぎても駄目で、気を抜き過ぎても駄目だと云う。自分を追いこんでも駄目、腑抜けになっても駄目。

坐禅の極意は、「ポーンとそばにおいておく程度」、ちょっと気になる程度にそばにおくと好いとのこと。

何事も、人生も、力み過ぎても、リラックスし過ぎても駄目と云うのに似ている。組んだ手の親指の先が、触れるか触れないかの緊張は、背筋をピーンと伸ばすのには不可欠と云う。その微妙な緊張も、坐禅の極意と云う。

今の私にはほど遠いが、何だか、すごい境地に触れた気がする。人生には、すごい達人がいるものだと思う。

|

« 哲学カフェ・内職の光景 | Main | 素晴らしき「中道」 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




« 哲学カフェ・内職の光景 | Main | 素晴らしき「中道」 »