生死の繰り返しの集合、即ち人生
生きているようで死んでいる存在。死んでいるようで生きている存在。 この感触に近づくことが、坐禅の修行の奥義と云う。空気は吸ったら自分、吐いたら外界。吐かねば吸えぬ。吸えねば吐けぬ。そして息そのものは、命そのもの。
生きていると実感すれば、人生も若干変えられる気持ちになる。死んでいると実感すれば、もうこれっきりと凍結された人生を思う。その両方の繰り返しが、心の中では起きているのではないだろうか? それが陰と陽みたいなものか? 精神も交互に生死を繰り返しているのではないだろうか?
心を、寄せては返す波のように、感じてみたり、その波打ちぎわを、のろのろと横切るヤドカリになってみたり、自分の修行の様子を垣間見る。
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