不幸を感じる力
人はそれぞれに、大なり小なり、自分を不幸と感じたり、幸福と感じたりしながら毎日を過ごしていると思う。
私は思う。幸せを感じる力と同じように、不幸を感じ取る力も、大切な力だと思う。
幸せばかり感じると云うと、云わば躁鬱の躁状態のようなもので、戦時中の大本営発表みたいで、時に滑稽になる。糸の切れた風船のように、軽くて、どこに行くのかわからない。
自分の不幸も感じ取ることは、生きて行く為のバランス好い精神の証ではないかと思う。自分の幸せも不幸も、自然界のバランス、昼と夜のバランス、巡る季節のバランス、光と闇、陰と陽のように感じれば、心が穏かになる。揃ってこそ、一対の調和。
不幸を感じる力を、後向きとか、忌み嫌うことはない。幸せを感じる力を歓迎することで、覆い隠すことはない。そして、不幸を感じたら、ちょっとくらい不幸がないと、申し訳がないと思えば好い。
Comments
日々のご飯の炊き上がり具合も硬すぎたり柔らかすぎたりとままならないといった例えがありましたね。
まさに山あり谷ありの日々ですね。
Posted by: のほほん | October 21, 2007 05:05 AM
のほほんさん、毎日のご飯の炊き上がりの微妙な違いに気付くことは、寧ろ其れは、人生の楽しみ、味わいかも知れませんね。
決して同じ炊き上がりはないと思うと、その味が愛しくなりそうです。
Posted by: life-artist | October 21, 2007 07:18 AM