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October 31, 2007

柿の朱色、晩秋の田舎の光景

「熟れ柿や 今もそのまま 鳥屋豚舎(とやとんしゃ)」、長崎の京泊の昔見た半農半漁の母の故郷の村を想い出す。

「花嫁の また振り返る 柿すだれ」、九州の田舎の遠い昔の、姉の嫁入りの頃を想い出す。

「島沈む ほどに成りたる おけさ柿」、佐渡島の山と畑と、海に映えるすずなりの柿を心に描く。

数日前に、NHK俳壇で聴いた俳句を手帖に記録した。

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October 30, 2007

徳川初期から生きてるようなもの

介護の必要な年老いたペットの犬を専門的に世話する施設があることをTVで知った。その時、施設にいる15才くらいの犬は人間に換算すると80才くらいと云っていた。

人間は少なくとも15才の5倍は平均的にも寿命がある。と云うことは、犬にとって人間はとんでもない長生き生物に見えるだろう。

日本人の平均寿命(80才弱)の5倍の長生きを仮に想像すると、5X80=400年。 400年前と云えば1607年、徳川幕府が始まった頃。

犬にしてみれば、徳川幕府始まりの頃から生きてる人がいるような感じではないか。スゴーイ。

犬の人生(いや犬生)の5倍も生かさせて貰ってる人間に、やはり驚くほどの幸運を感じざるを得ない。5回も人生をやらせて貰ってるんだから、だいぶ進歩、ましになるはずだと思うと、ちょっと恥ずかしさや可笑しさも感じる。客観的に見れば、不思議な人生。

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October 29, 2007

荘厳な朝の訳の気付き

インドの生命の哲学アーユルベーダの話を、初めて、昨日横浜国際フェスタで聴いた。インド5000年の生命(アーユル)の知恵(ベーダ)の一端を垣間見た。

其れは、自然も人体も、水・火・風にイメージされる気のバランスで健全に成り立っていると云うことだった。人間もこれらのそれぞれの体質に合せて自然界のようにバランスをとって生きて行くことが、絶妙な健康法と云った感じだった。

人生も赤ん坊の時は水の時、青年期は火の時、熟年期は風の時と大きく分けられると云う。一日でも朝5時までに起きないと、5時が風の時が終わる時間帯だと云う、5時からは水の時が始まると云う。私はこのことが大変気に入った。朝5時までに起きることは、「再生」に立ち合うことだと直感した。

風の時が終わり1日も人生も終了し、また水の時が赤ん坊から明けて行く。其れが夜明け前の風の時なのだと思った。荘厳な夜明けには、そんな自然界の営みが繰りひろげられていたんだ。

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October 28, 2007

将軍の遊び、バカ殿遊び発見

江戸時代徳川12代将軍家慶のずっこけ遊びに仰天した。ー東京大学史料編纂所・山本博文氏講演ー

屏風で四角く仕切った場所を作り、中に当時、"奥医師"と呼ばれた坊主に入ってもらい、外からものを投げ入れ、投げ入れたものをその坊主に与えたと云う将軍お気に入りのお遊びがあったと云う。

最初は座布団や布団など柔らかいものを入れて、後は、硯や固いものを投げ込んだり、時には箪笥なども投げ込んだり、たけし軍団の遊びのような、悪乗り遊びをやっていた記録があると云う。

変なおじさんの、バカ殿はやっぱり実在したんだ。こんなバカ殿とつきあう大奥も因果なものだったろー。

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October 27, 2007

「ホームレス中学生」

最近、理髪店で見た週刊誌で、ベストセラーになりつつある「ホームレス中学生」の存在を知った。漫才の麒麟と云うグループの田村裕さんの体験記。その時までは、麒麟とか田村裕さんとかの名前も知らなかった。

母を大腸ガンで亡くして、父親と兄弟3人の4人で暮らす中流家庭だった彼は、14才の時、父が病気とリストラで、父が家族に"解散"を宣言して失踪、子供たちはホームレス化。彼は一番下の14才、兄達に迷惑かけないようにと、一人で、公園の滑り台の下で生活し始めた。お腹がすいて草も食べた。

お金も無く万引きを考えた時、不図脳裡に浮んだのは母の顔だったと云う。母が万引きを止めてくれたと云う。

捨てた父は恨んでいない。父もギリギリまで頑張って上での失踪だったと。再会した父が、歯が1本しかなかったことを気遣っていた。僕は頭が悪く、元々アホなんです。恨む気持ちは無いですと云う。

幸せのハードルを下げればどんなに幸せかと彼は云う。その証拠に、喉が乾いた時の、水がどんなに美味しいかを例えた。

彼は、私が知る最も美しい日本人の一人だと直感した。

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October 26, 2007

雨の日も懐かしい

久々の本格的な雨の朝、雨の日は陰鬱だろうか?

日本晴れ、快晴、朝の太陽のごとくなど、精神を奮い立たせる言葉は昔から聞いていた。

だが、毎日快晴だったら・・・・?、いつも朝の太陽みたいだったら・・・・?、

雨に煙る山々、葉っぱの上で雨に遊ぶ小さな青カエル、小学生の鮮やかな色の雨合羽・長靴姿・・・・、雨の日も愛しい。

雨の日も、風の日も、晴れの日も、雪の日も、それぞれに負けず劣らず、人生の味わいをもたらしてくれる。

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October 25, 2007

医療費200兆円の中の無保険者

世界で最高の医師、医療レベルと云われる米国の医療費はGDPの約15%で、200兆円弱である。世界最大の石油輸出国サウデイアラビアの年間石油収入・25兆円内外と比べて何倍もの医療費を使う米国。

その米国には、約5000万人の医療無保険者がいる。医療関係者が経営第一主義で、先進国では、最悪の弱者切り捨て政策をやっている。米国での医療費は、もし利用すれば、日本の個人負担の約10倍の感覚と云う。

マイケル・ムーア監督の病める米国医療制度糾弾の映画の試写会("Sicko")で、米国の拝金主義医療に驚愕した。貧しい患者を、タクシーに載せてゴミのように貧民街へ捨てる病院、金を持ってるか否かを確かめてしか治療しない医師,病院。病気になったら、例え医療保険に入っていたとしても、家を手放さなければならないほど高額医療費の米国。

カナダ、英国、フランス、キューバなどの国民皆保険の、格安または無料の医療費との対比で、病める米国の医療制度を告発していた。カナダも英国もフランスも、医療は、税金で社会主義的に、安くもしくはただで行っている。

緊急の患者や病人を、最低限人道的に扱えなくては、国家の恥じであると思う。そののちに自由主義ではないか?
お金儲け主義の一番醜い医療制度、医療関係者、保険会社、製薬会社が米国にはあった。

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October 24, 2007

喜びと哀しみの子供の巣立ち

私が九州の実家で、大学の合格通知電報を受けた時の母のその瞬間の笑顔は、一生忘れられない。

母は、私が大学に進学すれば、もう一生、一緒に住むことはなくなることを感じ、息子との哀しい別れになることを感じていたと思う。私は、東京の大学を複数受験し、地元九州の大学は受けなかった。

息子が夢に向かって旅だって欲しいと思う気持ちと、哀しい別れを同時に感じていたはずだとわかる。合格の電報を貰った時の、その瞬間の喜びは、私自身の喜びの何十倍も母が喜んだように感じた。それは、完璧に私自身の人生を思って、自分自身が合格したかのように、私自身になり切って喜んだ表情だった。

その時の母の気持ちは、私が母自身になりきったかのように、今の私はわかる。私との別れが、どんなに哀しい別れだっただろうと。それでも、息子の選んだ道を送り出す母の覚悟がわかる。

私は最近、不図、その時の母の気持ちになりきるように感じる時がある。人生の喜びと哀しみの同居する感情を味わう時がある。

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October 23, 2007

東向島

浅草の東武駅の直ぐそばに、永井荷風がよく通ったと云う洋食屋「アリゾナ」があることを知った。東向島に幸田露伴の住居あとに小さな露伴公園と云うのもあった。

向島百花園そばに、"はとの街通り?"だったか、昭和30年代そのままのような商店や狭い通りがあることも知った。東向島は、昔"玉の井"と云う地名の下町だったと云う。

東武の浅草から数駅の引船から亀戸へ行く支線もあると云う。

映画"3丁目の夕日"のような情景をちょっと思い出せる場所だった。20日(土)の東京シテイーガイド・文学グループの浅草・向島の小さな旅でした。

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October 22, 2007

あしなが育英会の募金

昨日午後、上野駅の前で、高校生があしなが育英会の募金をしていた。女子高校生が、声を張り上げて、遺児の窮状を訴えていた。遺児母子家庭の平均勤労収入は年間139万円で、現在は、親の自死による自死遺児家庭が16.4%にも増えてきたと云う。

母は朝から夕まで働いても 日々の生活を送るだけで一杯一杯で、高校生の子供自身もアルバイトをして、親に毎月1万円を渡していると云う高校生の状況報告も小さなパンフレットに載っていた。

美術館や音楽会、動物園で、賑わう上野駅公園口の平和な、のどかな光景に、私は、遺児母子家庭の窮状がだぶって浮かんできた。子供から貰う1万円が、どんなに崇高な1万円か・・・・私は涙した。

レストランで摂る昼食の予算を大幅に落として、私は500円硬貨を、募金の箱の中におとした。

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October 21, 2007

また子供っぽい夢の犠牲者

また、私は、最近、夢の被害者を見ているように感じる。夢は、設定が間違うと凶器になる。

家族で世界チャンピオンになると云う夢は、一見マスコミ受け、一般受けがするが、人の道を踏み外してまで、世界チャンピオンになって何の価値があるのか? と思う。 家族で世界チャンピオンになる為に、醜さを増して行くだけ。

表面だけの、チャンピオンや横綱や金メダルを目指すことは、子供っぽい夢で、病んだ精神の現われであることに気付けばいいのにと私は、直ぐ思ってしまう。

人間の内面に、何重もの雲に隠れて見えなくなっている良心に気付いて欲しい。親の責任は重い。

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October 20, 2007

不幸を感じる力

人はそれぞれに、大なり小なり、自分を不幸と感じたり、幸福と感じたりしながら毎日を過ごしていると思う。

私は思う。幸せを感じる力と同じように、不幸を感じ取る力も、大切な力だと思う。

幸せばかり感じると云うと、云わば躁鬱の躁状態のようなもので、戦時中の大本営発表みたいで、時に滑稽になる。糸の切れた風船のように、軽くて、どこに行くのかわからない。

自分の不幸も感じ取ることは、生きて行く為のバランス好い精神の証ではないかと思う。自分の幸せも不幸も、自然界のバランス、昼と夜のバランス、巡る季節のバランス、光と闇、陰と陽のように感じれば、心が穏かになる。揃ってこそ、一対の調和。

不幸を感じる力を、後向きとか、忌み嫌うことはない。幸せを感じる力を歓迎することで、覆い隠すことはない。そして、不幸を感じたら、ちょっとくらい不幸がないと、申し訳がないと思えば好い。


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October 19, 2007

気付かなかった最期の時間

この3年くらい10月末は、目白で、木原光知子さん司会の、オリンピック選手の集い・トークショーに行くのを楽しみにしていた。今年も10月27日の予定の、その直前の昨日、彼女自身のくも膜下出血による訃報に愕然とした。

去年の10月末にも目白で、彼女のスポーツマンらしい清清しいトークを聴いた時は、あれが彼女を見る最期の勇姿になるとは・・・・・、人は元気そうに見えても、死と隣合わせて生きていることを思った。

彼女が、自分の人生を、辛い過去を語った時もあった。人を殺したいほど憎んだ時もあったと笑いながら語っていた。明るくいつも笑いを取りながら話すスタイルは、そんな過去を微塵も感じさせなかった。

最近は毎年この時期、観客として、彼女の話、近況を聴くのが恒例になっていた自分が、あれはとても貴重な時間だったことを感じた。彼女が言っていたことを思い出し反芻してみる。今再び、オリンピックの時の彼女の勇姿も、亡くなる前の最近の勇姿も、同じように輝いている。

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October 18, 2007

イスラムでは火葬禁止

アラブの会社で働いていると、イスラムのしきたりに対する興味も増してくるが、イスラム教では、火葬禁止、原則・土葬とのことを知った。火葬によって肉体を消滅させることは神による救済の可能性を否定することになると云う。

土葬は、顔をメッカの方向に向いて寝かせ、お墓である目印に石ころがおいてあるだけとのこと。

イスラムでは、祖先崇拝・死者崇拝を禁じていて、見守ってくれるのはアッラーだけ。自宅に位牌をおいて毎日拝むと云った風習は無いとのこと。

「イスラム世界がよくわかる」板垣雄三監修(亜紀書房)に解説してあった。

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October 17, 2007

世界で60番目の面積の国

日本は、小さな国と思い込んで育ってきたが、日本の面積(37.8万平方キロ)は世界の国連加盟192の独立国の中で、堂々の60位とのこと。

また6000以上の島から成る日本の排他的経済水域200海里(370KM)まで入れると、日本は世界で第9位の大領土・大領海の国であるとのこと。37.8万平方キロ +447万平方キロ。

また,日本の海岸線は33,889KMで世界の全海岸線の8%を占めると云う。

この年になって、そんなこと云われても、可笑しな新鮮な驚き。日本実業出版、「大人の為の日本地理」に感謝。

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October 16, 2007

生死の繰り返しの集合、即ち人生

生きているようで死んでいる存在。死んでいるようで生きている存在。 この感触に近づくことが、坐禅の修行の奥義と云う。空気は吸ったら自分、吐いたら外界。吐かねば吸えぬ。吸えねば吐けぬ。そして息そのものは、命そのもの。

生きていると実感すれば、人生も若干変えられる気持ちになる。死んでいると実感すれば、もうこれっきりと凍結された人生を思う。その両方の繰り返しが、心の中では起きているのではないだろうか? それが陰と陽みたいなものか? 精神も交互に生死を繰り返しているのではないだろうか?

心を、寄せては返す波のように、感じてみたり、その波打ちぎわを、のろのろと横切るヤドカリになってみたり、自分の修行の様子を垣間見る。

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October 15, 2007

立軸と横軸の旅、同窓会の旅

昨日は神戸の北野六甲プラザで三池高校の関西同窓会に初めて参加してみた。創立90周年を迎える三池高校は卒業生も多く、年に一度全国各地で大きな同窓会をやる。東京市谷アルカデイア、関西、福岡、大牟田とあり、私は色々出席してみたくなった。

旅と、懐かしいタイムマシンの旅でもある。立軸(時間)と横軸(空間)の旅が同窓会の旅。

高校時代に一級上の先輩で、校舎や校庭よく見掛けた、運動部の先輩や風紀委員の女性の先輩など、面影が一瞬で蘇った。北野・異人館通りの素敵な街並みのそばのホテルの会場で、校歌斉唱は、旅の醍醐味であった。

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October 14, 2007

ラマダン明け休日、10月15日

私の勤めるアラブの会社は、10月15日(月)はラマダン明けの特別休日となった。1週間前に発表になり、この特別休暇をどう使おうかと、楽しく思いを廻らせた。

既に申し込んであった、午後のエネルギーセミナーは、予定通り、個人的興味から是非参加したいと思う。夕方は、余り乗れない夕方発のハトバス・ナイトツアーコースなど好いなーなど考えた。

アラブの会社だけの、特別な休み、何だか楽しい、おまけの休日。

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October 13, 2007

匂いの感覚の不思議

数日前の哲学カフェで、「匂いについての感覚」を話しあった。

匂いは、最初に強く感じ、時間と共に、直ぐ人間の鼻はその匂いに慣れて、感じ方が鈍くなっていくように出来ていることに気付いた。何故だろうか。長い間の人間の五感の遺伝的形成は、この様な仕組みを造ってきた。

環境の変化に対し直ぐ察知するように臭覚は働き、その環境の中では、その匂いの感覚をご破算に戻し、また新しい環境の変化の匂いに敏感になるように造られているのではないかと思った。

匂いの感覚が同じ環境の中で、鈍くなっていくのは、生きていく上で、大切な生物生存機能であるのではないかと感じた。

人生で起きる色々な日常の出来事に対して、それが新たな環境のように感じられたら、その新たな匂いを感じとれたら、人生は、全然違った展開をするのではないかと思えた。新たな発見。

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October 12, 2007

聞こえない音の世界の存在

人間の耳には、一定の周波数の音しか聞こえないと云う。周波数が低過ぎても、高過ぎても聞こえない領域がある。

そこに音があっても、人間には感じられない音の世界の存在がある。生物としての人間が、生きて行く上で、必要な感覚を備えてきただけか。

両端の無い、真っ直ぐな、永遠に続くような(周波数の)直線をイメージをして、その途中の一部に、人間の五感が感知出来る領域があるように思う。

人間の生命の根源の「気」のようなものも、この両端の無い直線のようなものかとも思った。その途中の一部に私がバトンタッチした人生があるのかと思った。人生の探求の世界。

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October 11, 2007

哲学カフェ、銀行レセプション

一昨日夜は、新宿の喫茶店での哲学カフェ なる議論に初めて加わって試た。唯識論の延長の思考を楽しんだ。喫茶店「らんぶる」は、昭和30年代を思い出させる店で、ちょっと久しぶりに書生気分を味わった。

昨日の夜は、SMBC銀行の外国顧客のReceptionが、六本木の泉ガーデンタワー42階の住友会館であり、出席した。ブラジルやイタリアの人とも知り合いになれ、夜景を見ながら、世間話が楽しかった。

会社帰りに、ちょっと変わった体験をすることで随分好い気分転換になる。帰宅する頃は、その日の仕事が、もう随分昔のように感じられる。小さな驚きとの遭遇をすることによって、人生は、決してあっと云う間には過ぎていかないものだと思う。

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October 10, 2007

人生の節目、門出

私が、初めてアブダビへ行き、事務所設立の仕事をしたころ、1989年、アブダビで雇ったインド人のドライバーが今日、退職する。感慨深い日。今度、私がアブダビを訪れる時は、もう彼は居ないと思うと、淋しさがこみ上げる。だが、彼も出稼ぎ労働者だから、早く家族の為には帰ってあげないととも思う。当時のことを想い出したり、2年前の娘とのアブダビへの旅を想い出したり、彼への感謝で一杯になる。

それから、今日はまた、シンガポール在住の米国人の友人がモスクワへ転勤で出発する日。想い出に残る日。

人それぞれに人生の節目がある。友人の大切な節目の日に際して、それぞれの人生を想う。

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October 09, 2007

鋳型しだいの同じ粘土への気付き

粘土をある鋳型にはめたら人間になり、別の鋳型にはめたら牛になり、また別の鋳型にはめたら魚になった。原料は同じ粘土。

人間も自然界に造られたもの。自然の作用の中に存在する。即ち外界が造ったもの。

そう考えると、可笑しいほど、気持ちが楽になる。

昨日の住職の話です。

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October 08, 2007

横浜ジャズ・プロムナード2007

昨日は、毎年恒例の横浜Jazz Promenadeへ行った。もう10年くらい、私は、このJazz Festival を楽しみにしている。

鬼武みゆきさんのピアノは、10年くらい前に馬車道の小さな老舗のJazz喫茶エアジンで演奏を聴いて以来ファンになった。時々聴いていたCDも、耳に慣れ、自分の心の軌跡の調べになっている。

板橋文夫さんのピアノは、彼の身体がピアノになってしまったような、ピアノの強烈な叫びに、驚かされる。カルメンマキさんの歌と、 ヴァイオリンの大田恵資さんとのトリオは、個性とトリオが、不思議な調和をしていた。荒野に一人立つしなやかなけもの・・・と云うボーカルの台詞が、まさにぴったりのトリオだった。

ヴァイオリンの金子飛鳥さんは、これも、ピアノの板橋さんを彷彿とさせるような、ど迫力のヴァイオリンだった。アルゼンチンのピアノとベース奏者と、パーカッシャンのヤヒロトモヒロさんと、ガイア・クアトロと云うバンドで、これも、彼女のヴァイオリンが、もう身体の一部になってしまっている域に達していることが十分に分かった。

芸術は、命の祭りであることを感じた。

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October 07, 2007

江戸の休日、百合の香り

海が迫る旧東海道・神奈川宿は、横浜駅西口からかなり鶴屋町方面に歩いた丘の上にあった。現在の横浜駅は、うーんと海の中、碧い海に白い帆が浮かんでいた。朝9寺から、かながわいまむかしガイドの方の話を聴き、旧東海道を保土ヶ谷宿方面へ歩いた。

昼からは、東京シテイーガイドの江戸百景グループ の研修で、愛宕・見附・溜池の江戸の風景を旅した。私が昼休みよく行く愛宕山から見えるのは、伊予松山藩松平壱岐守の屋敷・越後長岡藩の牧野備前守の屋敷の屋根瓦であった。

夜は、高校の先輩の銀座のスナック三池の40周年パーテイーが新橋第一ホテルであった。7年前に亡くなったマスターの後を継いで、奥さんが店を継続させて頑張っている。息子さん・娘さんも同席して、地元の先輩・仲間に囲まれ、ママもお客さんも感無量だった。Jazzやクリスタルキングのムッシュ吉崎さんの歌を聴いたり、楽しく盛り上がった。帰りにエントランスに飾ってあった百合の花を3本貰って、帰った。 東神奈川駅で乗ったタクシーの運転手さんが、私が花をもっているのに気付いていなかったが、数分後、「お客さん、百合の花ですか? 好い香りですね。直ぐ分かります」と気付いた。 その百合は今朝も、私を和ませてくれる。

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October 06, 2007

「オリオン座からの招待状」宮沢りえさん

一昨日、会社帰りに、浅田次郎原作、「オリオン座からの招待状」の試写会へ行ってみた。

昭和30年代の古い映画館をめぐる、素朴で、美しい人間模様のドラマだった。私は、「壬生義士伝」以来、浅田次郎の人間描写に、何だかほろりと弱いことに気付いた。

蚊帳の中にホタルを入れるシーンは・・・・もう何にも要らないと思うほど、人生の感動のシーンだと思った。私は、「ホタルの墓」のシーンを想い出した。兄妹で見るホタル、あんな綺麗な人生のシーンは、忘れることは出来ない。

今回の映画のヒロイン・宮沢りえさんは、素晴らしい女優さんになったと思う。痩せてちょっと痛々しいが、彼女の人生の苦難を超えた優しさが滲み出ている。

貴乃花との破談の時は、若い宮沢りえさんにとっては、どんなにか辛かったことだろうと思うが、結局は、彼女は、数段精神的にも人格的にも高いレベルであって、神が救われたのだと思う。

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October 05, 2007

宝塚とシャンソン

先日会社帰りに、大手町の赤レンガ文化サロンと云う行事で、元宝塚の鳳蘭(おおとり・らん)さんの歌を初めて聴いた。歌手って吟遊詩人だなって、初めて感じた。

鳳蘭さんの感情を込めたシャンソン、それは心にグッとくるものがあった。貧しい画家の恋の物語・ラポエム。

愛の賛歌など、馴染みの曲も、今までと全然違って感じた。

宝塚の話もシャンソンも、一瞬にして、会社モードの気分から、別世界に連れて行ってくれた。

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October 04, 2007

自然の移ろいに魅せられて

湘南写楽写真展と云う催しを、先日横浜西口の神奈川県民センターで見た。

棚田の朝、秋色のハーモニー、爽寒の朝、夕照、黄金色の波、稲干し、雪の竹林・・・・など、見終わったあとは、もう表題を見るだけで、くっきりとした、人生の美を彩る情景が浮かんで来る。

そのような光景を求めて、三蔵法師のように、修行の旅をしてみたい。

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October 03, 2007

パーキンソン病

私の母は、生前パーキンソン病で苦しんでいた。昨日、偶然インターネットで、パーキンソン病の記事を見た。

パーキンソン病は、度重なる頭部への衝撃、精神安定剤の過度な服用などにより、発症すると解説されていて、改めて、満洲での母の悲劇の衝撃を想った。新宿の平和記念館で出会った満洲の引き揚げ者の方も生前パーキンソン病で悩んでおられた。

人生で、余りにも過酷な体験は、度重なる脳への衝撃と同じだったことを想像した。幼子を見殺しにする体験をしながら、生ける屍のような状態で引き揚げて来たと思う。

今になって、初めて、母の人生の過酷さを、苦しくなるほど分かる気がする。どれほど、辛い衝撃だったことだろう。パーキンソン病とは、そのような病気であったことを知り、それは、とても悲しい発見であった。

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October 02, 2007

新聞の俳句が誘う、母との時間

「子雀の巣立ちのあとを見上げけり」

「緑陰にルノアールのごと憩いける」

新聞で見かけた句に、母の人生への想いを馳せた。

また新聞には、作家の遠藤周作氏が、母にいつも「大器晩成です」と声をかけられて育ったことも書いてあった。私の母もよくそう云って私を育ててくれた。遠藤周作記念館のある長崎県・外海町は、私の母の故郷・京泊のそばにある。

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October 01, 2007

神奈川宿発見

かながわいまむかしガイドの会の方の案内で、初めて地元を案内して頂き、それはそれは大発見の連続でした。

東海道の神奈川宿には、海を見下ろす絶壁のような丘の上に、神奈川本陣や青木本陣が連なっていた。アメリカ領事館になった本覚寺は電車から、今も丘の上にはっきりと見える。鳥居の前には直ぐ海が拡がっていた洲崎神社は、今は高速道路街に埋もれているが、通りの前の浦島伝説の亀の子煎餅屋さんが、当時をちょっと偲ばせる。

将軍や大名も泊まったと云う神奈川御殿にはいくつもの木戸が在り、その真ん中あたりが、今の京急仲木戸駅とのこと。家から歩いて行けるて、時々電車に乗る仲木戸駅が、その神奈川御殿の中木戸だったとは、感動。

海を見下ろす丘の上の東海道には茶屋が並び、やじさん・きたさんも一番安い目刺しでもつまみながら眼下に広がる海の光景を見ていたのではと云う。本覚寺そばの通りには、坂本竜馬のおりょうさんが仲居として働いた田中屋がまだ残っていた。私は、目を閉じると、素晴らしい江戸の浮世絵・版画の世界の中に住んでいたことに気付いた。

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