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September 28, 2007

聖地、新大久保

新大久保は、韓国の若者が身を挺して線路に落ちた日本人を助けようとして犠牲になった聖地。私の坐禅の師匠は、この新大久保の話を、人間の根底にある神のような輝きの証拠として、よく例に出される。昨日夜何故だか、6月のハルピン行きの時に、ハルピンを案内してくれた劉さんの店、東方食府を訪れた。二度目の訪問だが、何だか家に帰って来たような不思議な落ち着きを感じた。

帰りに新大久保の駅の前にうずくまる年老いた女性のホームレスの人を見掛けた。布の袋を7~8個、身の周りに置き、柱の横に、うつむき座っていた。私は、瞬間的に彼女に、母の面影を感じ、涙がどっと出た。陰に隠れてとっさに財布から千円札を二枚折りたたみ、彼女の前にしゃがみ、小声で「お母さん、どうしたの?」と云いながら、お金を渡そうとしたが、何も云わず受け取ろうとしなかった。私は、向かいあった彼女の結んだ左手のこぶしにそっと、お金を押し込んで、涙をこらえながら、急いで改札口へ向かった。

私は、人生で、生まれて初めて、「お金を受け取って頂くこと」の有り難さを、はっと、強烈に感じた。お金は人間の自由、幸せの象徴のように、誰しも求めて生きているが、実は、お金は人を惑わす毒素のような存在でもある。実は、この毒素を受け取って頂くような、有り難い気持ちを味わった。

新大久保へ、何故昨日行ったのか、実はこの、気付きに縁する為に行ったのだと、人生の展開に感謝した。

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