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September 30, 2007

日経新聞広告に見える人生探訪

新聞の広告欄に、「働かなくて金持ちになる方法」とか、「儲かる仕組みとか」もあるかと思えば、稲盛和夫さんの「人生の王道」の広告も並んでいる。

稲盛和夫さんの本には、「たとえ経済的に豊かでなくても、高邁に振る舞い、上に媚びず、下には謙虚に接し、自己主張することもなく、他に善かれと思いやり、そんな美徳を持った日本人が沢山いました」と添えてあった。

社長秘書が明かした「できるボスの条件」と云う新刊には、成功しても昔からの関係を大事に、態度を変えない人のことや、メンツと肩書きに異常にこだわる人達のことを滑稽に紹介してあった。

人間の生命を乗せた船は、数々の天候の中を航海する船のように、操船に大変で余裕が無い時もあれば、小春日よりの凪いだ日もある。

経済的に儲かることや、出世にこだわる人は、その嵐の中でもがく船。質素な衣食住を確保して、自己との深い対話をすれば、一瞬にして、海は凪ぐ。

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September 29, 2007

石油業界の先輩

改革慣れ、改革の限界、改革疲れの世相の中で生まれて来た、安定感のある調整型の福田総理の誕生は自然の流れだったのだろう。

調整型リーダーは、大きく変える力が無いところが欠点であるが、改革路線の枠組を止めたり大きく変更出来ないところが、寧ろ好いとも云われる。

新総理は、時代の要請、世論の波に調和して誕生したのだと思う。新総理をTVで見る度に、丸善石油の製品課長だったと云う経歴を想い出し、親しみを感じる。

サラリーマンの限界や、彼の政治家としての覚悟など、これから色々見えて来るのではないかと思う。新鮮な71才の石油業界の先輩。

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September 28, 2007

聖地、新大久保

新大久保は、韓国の若者が身を挺して線路に落ちた日本人を助けようとして犠牲になった聖地。私の坐禅の師匠は、この新大久保の話を、人間の根底にある神のような輝きの証拠として、よく例に出される。昨日夜何故だか、6月のハルピン行きの時に、ハルピンを案内してくれた劉さんの店、東方食府を訪れた。二度目の訪問だが、何だか家に帰って来たような不思議な落ち着きを感じた。

帰りに新大久保の駅の前にうずくまる年老いた女性のホームレスの人を見掛けた。布の袋を7~8個、身の周りに置き、柱の横に、うつむき座っていた。私は、瞬間的に彼女に、母の面影を感じ、涙がどっと出た。陰に隠れてとっさに財布から千円札を二枚折りたたみ、彼女の前にしゃがみ、小声で「お母さん、どうしたの?」と云いながら、お金を渡そうとしたが、何も云わず受け取ろうとしなかった。私は、向かいあった彼女の結んだ左手のこぶしにそっと、お金を押し込んで、涙をこらえながら、急いで改札口へ向かった。

私は、人生で、生まれて初めて、「お金を受け取って頂くこと」の有り難さを、はっと、強烈に感じた。お金は人間の自由、幸せの象徴のように、誰しも求めて生きているが、実は、お金は人を惑わす毒素のような存在でもある。実は、この毒素を受け取って頂くような、有り難い気持ちを味わった。

新大久保へ、何故昨日行ったのか、実はこの、気付きに縁する為に行ったのだと、人生の展開に感謝した。

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September 27, 2007

激動の時代幕開けか?

日本の今回の参議院選挙で、一挙に政界再編の可能性が高まって行く気配を感じる。周辺諸国も、来年は、政権が大変化する時期に入る。韓国・台湾・ロシア・米国など、指導者が替わる時期。エキセントリックな展開が無いことを祈る。

混迷する世界。2008年の中国のオリンピック、2010年の上海万博までは、7~8%の成長を維持する中国は、放っておくと、その後、過熱経済は極めて危険水域に入ると云う。

歴史上の他人事のような事件や展開が、自分の人生の周りでも今後、起きるかも知れない。

激動の時代に入るからこそ、周りに惑わされない自分の価値観の確立と、自分の人生への覚悟、胆力が必要になると思う。

 

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September 26, 2007

満洲への旅を想い出した日

昨日朝は、ある商社の知人から、商社OBの方と3人でのLunchのAppointの電話を受けた。私が今年6月旧満洲に行く時、満洲の情報を送って下さった某商社のOBの方とのLunchのお誘いに、とても嬉しい思いだった。

其れから、午後は、6月にハルピンを案内して下さった、ハルピン出身の劉さんに久しぶりで電話して、彼の経営する大久保の中華料理屋さんへ、近々行く約束をした。

昼休みは、虎ノ門にある、中国専門の旅行社を初めて訪ねて、6月のハルピン行きの時の手配のお礼を云って、名刺交換をした。 切符を手配して下さった方は、玲蘭さんと云う女性で、日本中国国際貿易促進協会の桜内義雄もと会長の知人の娘さんだった。桜内会長が90才の時(2000年頃)の記念写真を見せて貰った。

私の今年の一大イベントだったハルピン行き。ハルピンへ行けて、母の人生の要の部分がやっと想像出来るようになった。今では、母の人生を大体、自分なりにかなり正確に、語れるように感じる。それは、何とも云えない、安心感を、私の人生に与えてくれている。

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September 25, 2007

宇宙意思、宇宙の調和の営み

「例え、蛇に噛まれても、悟りを拓いた人は、そのことを、最愛のものから使者が来たと思うだろう」

これは、すべてを受け入れる、穏かな人生観の極致であり、永遠に安らいでいる宇宙の営みを感じることだと思う。

この境地の存在と崇高さに、ただひれ伏す想い。

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September 24, 2007

Jazzと愛宕神社祭り

昨日は午前中、先ず、パシフィコ横浜で、ライフデザイン・フェアと云うイベントを覗いてみた。生き方のデザイン作りのヒント。旅、学び、健康、仕事、家、地域活動などについての提案が並んでいた。その後、みなとみらいのクイーンズスクウェア内の広場で、慶應大学のJazzクラブのライブを聴き、夕方、東京・有楽町の東京Jazzフェステイバルに初めて行ってみた。

旧職場の近くで、慣れ親しんでいたインターナショナル・フォラムの野外広場の会場の立ち見席で、トランペットやアルトサックスの力強い演奏を聴いた。時に、会場のノリに合わせ、身体でリズムを取りながら聴いた。

夜7時は、東京Jazzを途中一時抜け出して、愛宕神社の神輿の階段昇りを初めて見た。普段余り人影も無い愛宕神社の急階段の前は、人で埋め尽くされていた。太鼓や掛け声、提灯の灯り、神輿の灯り、暗い人混みにダイダイ色の灯りが映え、其れは、感動の祭りのシーンだった。

その時、一人で見ていても、何だか母や父を連れて、見物して周っているように感じた。私の目は、私の遺伝子の目、父も母も、私と一緒に人生の色んな場面を見ているように感じると、何だか幸せな気分が倍増した。

両親との人生見学の日々。

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September 23, 2007

死を超える境地

息は、吸わねば吐けぬ、吐かねば吸えぬ。

"開(かい)"と"合(ごう)"のリズムで、心臓は動いている。

片方だけ、単独では存在しえない。

「生死は・・・・・仏の命なり。」 この事を、昨日、住職に教えて頂いた。

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September 22, 2007

人生冒険家

ヨット世界一周とか、冒険家もすごいが、人生も世界一周のように、色々な場面に遭遇することでは、似ているように思う。

人生だって、立派な世界一周。

時々陸地が見えてほっとしたり、暗闇の中で遠くの灯りに心安らいだり、孤独な航海、寄港の楽しみ。

世界一周が済んでも、また次の冒険をしたくなる。

次を見たい、次を聴きたいと、"昔話"をせがむ子供達のように、心は新しい世界へ誘われる。

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September 21, 2007

種の生存の逞しさ

人間は、一人一人が長生きするように造られている訳ではない。ただ、人間の誰かが、生き延びられるように、一人一人違う、人間の免疫にはかなりの多様性があるとのこと。(「ビタミン外来」の著者・佐藤務医師の話)

長く繁栄して来た人間は、あらゆるものへの抗体を免疫としてもっている。90%は自己抗体だと云う。二重のバリアで身体を守っている。その免疫機能を壊すのが、口から皮膚から空気からなど入って来る、化学物質や環境ホルモン。

ただ、誰か特定の個人ではなく、誰かが、何とか生き延びられるように出来ていると云う。其れは、特定の個人ではなく、種としての人間の生物的な、知恵なのだろう。そこには、自然の摂理が与えた逞しさと無常さを感じる。同じものを食べても、個人はそれぞれに微妙に反応は違うことに気付いた。

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September 20, 2007

悟りへの4つの道

悟りに到達するには、労働・坐禅・祈り・哲学の4つの道が在ると云う。

労働は作務(さむ)と云うが、農作業のような肉体労働への集中においても、悟りが訪れると云う。

祈りにおいても、また真理探求の哲学においても、坐禅においても悟りに近づいて行けると云う。

どの道から、目指すのか、道は一つではない。 夫々の道も、崇高な道。

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September 19, 2007

精神の基礎代謝

身体の基礎代謝量は、年齢と共に減って行く。意識しないで身体が自然に使うエネルギー。

考えることもエネルギーを使っている。酸素とビタミン(ミネラル)と糖分。

精神にも基礎代謝があると云う。嬉しい・悲しい・怖い・可笑しいなど、美への感動なども、考える以前に、無意識の世界で、本能的に、ものに驚く、云わば感性みたいなもの。これが精神の基礎代謝とのこと。

意識下で感じることは、社会的精神代謝で"考える"ことを云う。

精神の基礎代謝か。無意識の精神世界の開放って、とても健康的なことに気付いた。

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September 18, 2007

人間としての勘違い

人間は、「肉体が私であり、肉体は他と関わりなく存在している。」と勘違いをしていることが多い。

だが、目を造ったのは光の存在だった。光が無ければ、目は要らなかった。耳を造ったのは、音の存在だった。先に在る存在に対応して、肉体は出来上がった。

人間と云う存在は、宇宙に対しての、対応物としての存在であった。

そこから、自分自身も、人間の存在も自然現象の一部として調和し、永遠に安らいでいる存在だとも思えて来た。8月末の伊豆坐禅道場以来、昨日お会いした住職の言葉から得た思考。

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September 17, 2007

驚きを求める画家、堀文子さん

蜘蛛の巣の精緻な造形に感動する境地の画家、堀文子さんのことを昨日TV新日曜美術館で知った。自宅の庭の蜘蛛の巣にちょっと霧で水を吹きかけ、蜘蛛の巣を浮び上がらせ、その美に感嘆されていた。

「人間の人為的にやることなど、この小さな虫のやることの足元にも及ばない。」

確かに、彼女は、宇宙の美を、身の周りに見出している。枯葉の落ちる森の絢爛たる美に対する表現は、私は、禅の住職に聴く話しのように感動した。

秋、冬を向かえる前、死を命じられた葉の、清らかに、ハラハラと舞いながら、絢爛と落ちる様は、確かに素晴らしい。生も死も超越した、宇宙の賛歌ではないか。もうすぐ、紅葉の季節。素晴らしいことに気付かされた想いがした。

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September 16, 2007

タイムマシンの実在

昨日、1週間振りに日本へ帰って来た。海外出張は、5年振りだった。久しぶりに乗れるビジネスクラスも忘れかけていたので、心地よい驚きだった。空港のラウンジで、ただじっと座るだけでも、懐かしく、また幸せに感じた。

シンガポールのAPPEC石油会議で長年慣れ親しんだ、ウェステインプラザ、ウェステインスタンフォードホテルは今はスイスホテルと名前を変えていたが、20年前の昔のままの造りで、華やかな石油人の国際会議の舞台は同じで、嬉しかった。

そう云えば、海の近くのパンパフィフィックホテルは、私が17年前、家族をアブダビに連れて行く時に、泊まった場所。再び訪れても、よくメンテナンスされていて、当時の美しいホテルも、ジーンと心に、当時の情景を呼び起こしてくれた。

沢山、披かれるレセプションをハシゴで訪問しながら、懐かしい知人・友人との再会や、会話に心が踊った。そして、米国の石油会社の親しい友人と、5年振りに会い、特別に喫茶店で、お互いの近況を語り合った時に、今度10月10日にモスクワに栄転になると聴いた。また10月10日と云う不思議な縁のある日にびっくり。(9/11のブログに記載)。 人生に、確かにタイムマシンがあり、ミステリーのような神秘的な展開もあることに気付いた。その受信機が私自身なのだ。


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September 15, 2007

左右対称

動物、人間の身体は、左右対称になっている。これは動くものは、バランスを取る為か、と考えた。

植物・木は左右対称にはなっていない。 自然界で、動かないものは、左右対称にはなっていないのではと思う。

左右対称になってるものはそのままに、左右対称でないものもそのままに、と思う。それをねじ曲げると、美が無くなる。不思議な感覚。-9月8日記ー

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September 14, 2007

食物、これが私なんや

目の前の貴方が選んだ食物、これを貴方の口の中に入れたら、貴方の材料になります。

「この食物が、私その物なんや!」と云う発見をして下さいと、管理栄養士の吉川珠美先生の講演で聴いた。

食事の買物は、即ち、貴方の家族の材料を買ってることなんですとのこと。だから、食の勉強は大事だと思う。

確かに、その通りです、心の中で、拍手した。 ー9月8日記ー

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September 13, 2007

兄弟・姉妹との時間

会社を辞めていた4年間に、兄弟・姉妹と深く付き合えたことは、人生の宝を得たように感じる。

九州に住む一番上の姉と、父が属していた満洲・鳳城会の福岡志賀島、長崎・島原の旅。

名古屋に住む二番目の姉と、小田原に住む妹との、ニューオリンズ・カルファオルニアへの旅。

九州の実家に住む弟の家で、夏のすがすがしい朝、犬ゴールデン・リトリバーを連れて二人で散歩した事。

5人兄弟・姉妹、何事にも変え難い、素晴らしい時間が、私の人生に刻まれた。

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September 12, 2007

無秩序へ向かいたがる法則

物質界は、放っておくと、秩序から無秩序へ向かおうとする。これをエントロピーの法則と云う。

規則正しいことをしないと、ブラブラ、気の向くまま、一見楽そうであるが、人間の老化・崩壊が早まると云う。

きちっと、朝決まった時間に起き、きちっと食事をし、きちっと規則正しく生活することが、これが生きると云うことです。 と、33年養護教諭を勤められた、引地ユリ先生の最近の講演で聴いた。心の中で、その通りとうなずいた。ー9月8日記ー

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September 11, 2007

10月10日、数字の縁?

9月4日新装開店した行き付けのジャズ喫茶の新しい名前が"テン・テン"だった。9月5日、アブダビ時代の事務所のインド人ドライバーが10月10日に退職するとの報を聴いた。

9月8日、洗濯屋さんへワイシャツ数枚を出したら、1010円だった。9月8日聴いた引地ユリ先生(養護教諭)の講演で子供は十月十日、お母さんのお腹の中にいると聴いた。

不思議と10、10 と云う数字が、気になった。10月10日は丸井でも行くか。それなら千住(1010)が好いか?数字と戯れる。 ー9月8日記ー

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September 10, 2007

蝉の最期、夏の終り

この頃は、道路で、よく蝉の死骸が落ちているのを見かける。蝉は何故、堂々とあのように自分の死骸を道路に野晒しに出来るのだろうと私は驚く。夏、思いの限り、飛び廻り、鳴き、力尽きてバタン・キューと道路に仰向けになって没する。

中にはカラスなどに腹をかじられている蝉もいる。蟻が羽を運んでいる情景もある。私は、蝉の死骸を見ると、"玉砕"って云う言葉をイメージする。道路に転がった蝉の死骸を見付けると、何故だか拾い上げて、道路脇の茂みの中に隠してあげる。

壮絶な蝉の死、そして、またいつか夏が廻り、その蝉の子供が夏を奏でる。ー9月8日記ー

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September 09, 2007

建築家・伊東豊雄さんの講演

先日、大手町興業クラブで、建築家・伊東豊雄さんの講演を聴いた。彼は、現代社会の経済・情報の効率の為の幾何学的形状の建築、即ちビル・マンションに、対峙するかのような、自然の持つ経済・情報的には極めて不効率な、自然を模した建築に憧れている。

新幹線は目的がはっきりしている乗り物。時間・目的地・スピードなど。だが、彼の話を聴いている内に、人生や自然は、何だか分からない漂うような時間・空間があると確かに私は思った。

自然界には無いまっ平らな平面の床のオフィスや、自宅の床に住み、角ばった間取りに住み、慣れて来たが、遺伝子は、洞窟や、木の上の家に憧れる人間。地面も丘のようななだらかな曲面も楽しい。ウサギみたいだ。洞窟から灯りを見るような、隠れ家のような棲家にも憧れる。

伊東豊雄さんの建築には、自然界の中で、外にいるのか中にいるのかが分からなくするようなものがあると云う。仙台のメデイアテイークと云う市民集いの施設?、表参道のトッドハウス?と云う靴屋さんのビル とかあると云う。

台湾台中に2009年?完成予定か、彼のコンサートホールは、圧巻だ。彼の説明に、彼の芸術的な建築における表現力に驚いた。私にとっての印象は、モグラの穴の集合体のようなものの大建築で、世界でも歴史に残る、不思議な建築になると思う。そして、彼も、禅の修行のように、自然・宇宙についての悟りに近づいて行くのだろうと想像する。建築家の幸せは、自分の心の変遷・高揚など自分の人生を、建築として後世に残せることだと思う。今後、私は、彼の建築を見て回ろうと思った。

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September 08, 2007

シンガポール石油会議

明日からシンガポールの石油会議へ1週間出張する。世界中の石油関係者・トレーダーが大勢シンガポールへ集まり、セミナー参加と云うより、沢山の会場で、商談・情報交換をする。石油業界にはお馴染みの大イベント。

私がこの会議へ初めて出張したのはたぶん25年以上も前、近代的なシンガポールのビル、沢山の外国人との会合、ホテルやプールサイドでのレセプションなど、華やかな国際ビジネスの舞台に、心踊った。その後、この会議には、中東駐在時代も含め、何度か出て来たが、それでもたぶん10年前が最期の参加だったろう。

一度、業界を去り、もう二度とこの様な懐かしいシンガポールの石油会議(APPEC)に参加出来ようとは、思ってもいなかった。再び、成田空港へ石油の仕事の出張で行けることや、シンガポールで石油関係者と石油人ととして再会出来る人生の展開を、大変幸せに感じ、神に感謝する思い。

2002年会社を希望退職後、2004年春、父の住んでいた旧満洲・鳳城へ旅する時、成田空港のロビーで、ボンヤリ考えた。嘗て、石油やガスの仕事で、何度か慣れ親しんだ成田空港が、もう遠い過去になって、遠ざかる灯りのように消えて行くようで寂しかった。

明日の朝の成田空港のロビーに、石油人として、私は再び立つ。

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September 07, 2007

小田原・十文字橋破損の朝

今朝8時頃、小田原・開成の十文字橋が台風で破損している映像を見てびっくりした。十文字橋は、開成近くに住む妹が車でよく通る橋。直ぐ、妹の家へ電話してみた。子供達も学校へ行かず、天候の回復まで待機しているとのこと。

多摩川、荒川周辺の住民の一部避難勧告にも驚いた。夜は、ずっと、雨戸を激しくたたく雨風の音が続いた。

昨日昼過ぎ、オフィスのアラブ人の代表は、全員へ"Don't Risk Your Safety. Our Priority Is Your Safety."とメールのメッセージをくれた。「明日の出勤に際しては、優先順位は貴方の安全です」 とのメッセージに、今朝はとても有難いと感謝した。

"Priority Is Your Safety" きっと、想い出に残る、思いやりの言葉として心に残りそうだ。

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September 06, 2007

インド人ドライバーの退職

私が、1989年、アラブ首長国連邦アブダビででの勤務をした時に、採用したインド人のドライバーが、来月10月10日に、退職して、インド・ケララ州に帰る案内を聞いた。当時を思い出し、感謝の気持ちで、感慨無量になる。

当時、アブダビの日本人学校のスクールバスのドライバーだった彼が、私の働く事務所に転職して来てくれた。当時、小学1年生に入学したばかりの娘も、このドライバーを父親のように慕い、慣ついていた。

私の人生の中でも、とても大切な、一生のつき合いを感じる、優しいドライバーであった。彼に、どんなメッセージを書こうかと考える。

9月1日、白楽商店街の行き付けのジャズ喫茶が、駅近くのビルにちょっと移転・新装開店した。一昨日、初めて新装した店を訪れたら、店の名前が「テン・テン」だった。彼が退職する日が、10月10日、"テン・テン"。このジャズ喫茶に来る度に、彼の退職日を想い出すことだろう。

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September 05, 2007

ほのぼの、ボンヤリ会話

「溺れる者は、ワラ・・・わらわは、姫じゃ」

しゃべっている間に、気が散って、違うことをしゃべってしまうことが、集中力を欠いた会話の中ではありうる。想い出す度に笑ってしまう。

子供が、お父さんの話す物語を聴きながら寝るとき、よく、お父さんが、意識朦朧と寝始める。子供は、理屈の通らない話しに頭を傾げ、「ネー、それからどうなったのー」 と寝始めたお父さんの身体を揺する。

何だか、ほのぼのとする光景が浮んでくる。 私も寝床で父の身体を揺すったことがある。

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September 04, 2007

何億年前の光

天体の勉強では、何万年前の光や、何億年前の光を今、見ているなどの話しを聴くことがある。

天体でなくても、今、自分が身近に見ている世界でも、その光景が私の目に届き、私の視神経の細胞が処理して見るのにも、確かに何らかの時間が要かっている。

私が、見ている世界は、純粋な現在ではなく、すでに済んだ過去の情景の映像を見ていることになる。映画と同じかと思う。

映画は、沢山の静止画像の集まり。静止画像も集まると、動いているように見える。人生も静止画像の集まりかと思う。

60兆の生物たる細胞が、瞬間・瞬間に生死を繰り返しながら生きている人間。

生と死の境界は何かと、考えが深まって行く。

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September 03, 2007

西行と芭蕉

武士出身の西行は、始承4年(1180年)、63才の時、伊勢二見が浦に草庵を結び、心澄むような質素な生活をしたと云う。くぼみのある石を硯にした西行を、芭蕉は敬慕したと云う。

奥の細道の旅のあと、二見が浦を訪れた芭蕉は、「硯かと拾うや くぼき石の露」と詠ったと云う。

昨日の日経の朝刊の文芸欄に牧内さんと云う編集委員が、この句を紹介しておられた。

私は、歴史を超えて、この二人の競演に、心しびれる感動を覚えた。

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September 02, 2007

「懐かしい優しさ」

旅の素晴らしさは、「懐かしい優しさ」との出逢い。

街も大自然も、人もあらゆる生き物も、時に、懐かしく、優しく迎えてくれる。

遺伝子は、遠い遠い彼方の自分が大自然の一部であるかのような記憶を呼び戻すような気がする。

だから、大自然と対峙した時、人は気が休まるのだと思う。

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September 01, 2007

コアラ、ウオンバット、

コアラの顔を電車の中のポスターで見たら、娘が小さい頃、動物園で娘と見たコアラを想い出した。

コアラの顔をじっと見るのは、とても嬉しい気分になる。そういえば、ウオンンバットと云うネズミの親玉みたいな動物もいた。娘は、これを「モンバット君」と呼んでいた。

「モンバット君」か、そうつぶやくだけで、小さい頃の娘の表情が、直ぐ蘇る。

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