ハルピン駅、馬家街、中央大街
60年以上前の母の青春時代の足跡を訪ねるハルピンへの旅は、やはり強烈な想い出の旅であった。飛行機から見ると、広漠とした大地・畑の広がる平野にハルピンはあった。当時、多くの日本人が、日本への帰国の為に、徒歩の逃避行をした圧倒的な大地を見るたびに、当時の苦難を想った。新潟からたった2時間で来る距離が、引き揚げ者には、何年にもわたる苦難の旅であった。
母の前夫の親戚から聴いていた馬と云う字のつく地名に、馬家街と云う場所があることを知り、探した。母が住んでいただろう場所である。ハルピン駅のそばに、車で5分くらいの場所にその地名はあった。川が流れ、川岸に店が立ち並ぶ大繁華街であった。駅の反対側に、また5分くらいで、ハルピンの銀座、中央大街(ロシア名、キタエスカヤ)があった。古い商店に1922年や1925年創業とのサインも見付け、この繁華街をたぶん当時の母も歩いたことだろうと想った。
母の人生を知る場所を、初めて、まじかに見て、強烈な印象と、ほっとする想いがあった。60年の歴史、時の経過が、一瞬飛んでしまうような錯覚も味わった。長崎の田舎から、一緒にハルピンへ行くはずの駆け落ちの相手にすっぽかされ、単身ハルピンへ渡った母の人生の決断、勇気に、改めて感動した。
ハルピンの沢山の写真を、兄弟姉妹にも見せたいと想う。
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