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June 30, 2007

6月の小雨の中の鎌倉、紫陽花

6月の雨の日に鎌倉の紫陽花を見たいと思っていたが、6月の最終日にやっと実現した。今日の朝は、横浜は晴れていたが、下り坂の天候で、私が訪れた昼頃、鎌倉は丁度、念願の小雨だった。紫陽花を見に来た私にとっては、運が好く、雨だった。

小雨風情の明月院、紫陽花寺の青い紫陽花。 これも私の人生の小さな味わい、小さな感動のアクセント。

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会社帰りのアブダビ有志懇談会

昨日は、会社帰りに、アブダビ時代の有志懇談会に出た。石油会社、商社、外務省関係であった人8名での会食だったが、15年ぶりの再会の人もあり、大変嬉しかった。15年前のアブダビでの仕事の後、それぞれに紆余曲折を経て、今は別の会社・別の仕事をしている人も多い。

芸術好きになった今の私にとっては、何と云っても、美術館の館長代理ニなられている人は、特に羨ましい。若冲の絵や、風神雷神図、など見に行った美術館。その後、中東の大使を歴任され最近退官された方も、その大使時代のお話が、興味をそそられる。余り一般消費者には知られていない石油開発の会社のその後の展開も、大きな変化であった。

思い起こせば、それぞれに、驚きに満ちた人生の展開が、そこにはある。小雨も止んだ、夜の賑やかな銀座を駅まで歩きながら、やはり、人生の不思議な展開に新鮮な驚きを感じた。

私は、一週間後の休日の昼間に、またゆっくりアブダビ同窓会を、遠方にお住まいの方や、別の方々を交え、立食パーテイーを企画している。 更に、色々な人達との再会への期待が高まる。

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June 29, 2007

金曜オリジナル・ギャグ炸裂

三菱商事のメアリーさんは有名→ 障子に目あり。 なるほど。

丸紅はいい人ばかり→何で?→ ベニーグッドマン。

C1はメタン、C2はエタン、C3はプロパン、C4はブタン、 → 四の五の云うな!

ラッコは英語で云うと?→ パラシュート → 落下傘(らっこしゃん)、→ PS:私はこのギャグを新婚当初、朝4時、発表して、それ以来、夫婦不仲になりました。

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June 28, 2007

大きな驚き、アブダビ時代

18年前のアブダビの日本人社会の有志同窓会を計画したら、伝えた人から更に枝が出て、その後連絡先がわからなくなっていた方々など、大変懐かしい人達とも更に連絡がとれ、多くの再会の機会が出来る見とおしになって来た。

小さな日本人社会だったので、常に、好くお互いに交流していた。懐かしい顔を想い出すと、モスクから流れるコーランの声、パキスタン人のタクシー、熱い空気、インド人の英語、アラブ人の白いデイスダーシャ(服)、なども一緒に連想が広がる。

毎日のように通ったアブダビ国営石油の建物、薄い水色の浅い海の広がるビーチ。想い出の光景。

イラクのクウェート侵攻事件も現地で体験した。私は、アブダビで、世界観も、人生観も大きな刺激を受けた。人生の神秘性、人類の歴史の神秘性のような、何かとても新鮮なものを見た気がした。 大きな驚きだった。

驚きの衝撃は大きかったが故に、昨日のことのように想い出す。

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June 27, 2007

朝の音、朝の光景

朝、4時過ぎからウグイスが鳴いている。近くで、自分をアピールするかのように鳴くウグイス。他の小鳥も、ぴーちく、ぱーちく。新聞配達の人のバイクの音。朝の静けさ。

昔の九州の田舎では、アサリ貝売りの声があった。「あっさり貝♪、しじみ貝♪」。時折聞こえる犬の声。ラジオの通信高校講座世界史Bとか、雑音交じりのラジオの音も朝の光景の一部として懐かしい。

蛍雪時代って厚い雑誌もあった。旺文社の英語の参考書。遠い昔ではない。 今、そこに自分がいると錯覚出来るほど。 朝の空気に、色んな人生の場面を想像したり、そして、ふっと我に帰り、出勤の準備。

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June 26, 2007

豚肉混入は、アラブ人には怒り倍増

牛肉と偽って豚肉を混ぜていた事件を、昨日、会社のアラブ人との会話の中で触れながら、これは、アラブ人にとっては、またとても心外な事件だろうと思った。一番避けていたはずの食べ物をだまして入れられていたとは、納得し難い事件だろう。ミートホープ社の顧客の中にアラブ人がいたかは不明だが。

杜撰な、悪意の企業経営の倫理が最近目立つ。安く、大量に販売しているものも中に、そのような欠陥商品が入り易いと思う。コスト削減で、いつの間にか姉葉建築士現象。豚肉混入の他、賞味期限切れ食品の手直し再販売もあった。

食の産業化に潜む粗悪食品は、特に気をつけないと健康を一気に害するから危険。主婦は安い方に、気をとられて買いがちだから、食への吟味力を磨かないと、特に危険だと思う。

偽装や違法ではなくとも、食への吟味力は健康や寿命を決めるが故に、人生では極めて大切。植物油と称しながら、海外で規制が始まったトランス脂肪酸(化学的製造、人工油)を入れている植物油も多い。真剣に健康志向なら、食は特に高品質なものを選ばないといけないと思う。

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June 25, 2007

「そのまま」「今 ここ」

進歩もしていなければ、退行もしていない。好くもなっていなければ、悪くもなっていない。

これが、人生の実態かも知れない。ただ、感じる自分が、色々受信機を取り替えているだけ。

絶えまない上昇思考は息切れがする。虚無思想は、陰気でうつ的。

最高なのは、そのままでも生命に感謝出来ることではなかろうか。「そのまま」「今 ここ」を、静かに喜ぶ境地。

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June 24, 2007

井戸端会議

居酒屋で、男性のサラリーマンのどうしの会話が耳に入って来ることがある。あの人がどうだとか、こうだとか、よく聞く会社帰りの会話だ。女性がよく云われる井戸端会議と同じレベルなのだと思う。

男は、仕事でもまれて大変なんだとか云いながら、実は、男も女も、同じような井戸端会議をしていると思うと、滑稽にも見えて来る。

当人達は深刻な井戸端会議でも、江戸の長屋の庶民の暮らしの浮世絵を見ているようなのどかさを感じてしまう。

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June 23, 2007

平目のムニエル

私の結婚式は、26年前、浜松町の貿易センタービルだった。前々日くらいに、九州から両親を呼び、両家の両親を交えて会食した。私の九州の両親は、病気がちだったが、何とか上京することが出来た。宿は、芝増上寺前にあった旅館にした。会食は新橋第一ホテルのレストラン、フランス料理で、平目のムニエルなどもあった。

今思えば、何と変な料理を選んだことかと後悔する。年老いた両親に、平目のムニエルはないだろう。さぞ、落ち着かなかったことだろう。慣れ親しんだ、日本の田舎料理が、最も好かったことだろうと思う。

昨日夜、国際盆踊り練習会が開かれた港区役所からの帰りに、浜松町の駅まで歩いた。 両親が泊まった旅館のことや、会食のことなど想い出した。  

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June 22, 2007

リッチの形容詞、リッチの落し穴

昨日会食したアルメニア人の知人はスイスのルガーノに住んでいたことがあり、スイスの体験を興味深く聴いた。そのなかで、スイスに住む外国の金持ちの一部をFilthy Rich(醜悪なリッチ)と呼んだ。雑誌でObscenely Rich(猥褻なくらいのリッチ)と云うのも見たことがある。

仕事をして、それが社会に人に役立って、初めて報酬を貰って稼いで行くのは素晴らしいこと。人を裏切るコスト削減や違法なことをして大金持ちになっていく人や会社は、醜悪で猥褻と云うのは行動・発言を聴けば納得。マスコミで連日、謝罪する社長が多いこと。社長は、醜悪で猥褻の代名詞になっていく。松下幸之助さん、本田宗一郎さんとか創業期の社長は、人に役立つと云う視点・軸がぶれない。

親の遺産でセレブをしてる幼児心理のセレブも醜悪で猥褻。お金は大切だが、人を醜悪・卑猥に見せる一番怖いもの。Filthy Rich とは、的を得た発言にピタっと通じるものを感じた。

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June 21, 2007

バイリンガル、奥州藤原氏

水戸の女性は、英語ペラペラが多い。 何でか? → 「梅林ガル」。 (六本木には麻薬の「売人ギャル」:非オリジナルギャグ)

奥州藤原家の三代は、もし会社員になったら、偉くなれなかっただろう。基衡(もとヒラ)・秀衡(ひでヒラ)・奉衡(やすヒラ)。 藤原もとヒラ社員。 ひでーヒラ社員。やすーヒラ社員。 何だ??? この大発見。 4代は藤原ヒラヒラと命名したら、蝶々みたいで、高校生も真面目に歴史を勉強する気をなくしたかも知れない。

通勤電車の中で思い付いたオリジナルギャグ。自分の著作権のあるギャグにちょっと満足。

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June 20, 2007

自家用機と幼児性

また自家用機の記事を週刊誌の見出しで見付けた。介護事業のコムスンの社長の趣味。欠陥建築のヒューザーの社長、ホリエモンなども自家用機を持って自慢していた。偶然ではないようだ。自家用機への憧れは、幼児性の現われではないかと思った。かつて貧乏だった人の究極の憧れのようなものかも知れない。セレブ志向も同じだと思う。

貧乏と云う絶好の修行のチャンスを与えられていながら、これでは救われないほどの未熟さ。心が貧乏のまま。物欲の蟻地獄にはまってしまっている。

世に云う成功をしても、益々質素の魅力に気づき、質素に憧れる人もいる。道を極めた修行僧のように、質素に美と安らぎを感じる境地を感じる人もいる。

ご飯と味噌汁だけの質素な食事、朝の小鳥の声、朝の空気など。自分が生きていく上で、最小限のものを頂く実感は、自然との調和感・安心感を与える。西行や芭蕉を生んだ日本、素晴らしい境地だと思う。

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June 19, 2007

ハルピンの余韻、そして2階立て新幹線

ハルピン行き前後にも色々な驚きがあった。新潟空港で、出発の時に、新潟在住の長年の知人が笹団子を持って見送りに来てくれていたのは、嬉しかった。30年前私が会社の独身寮にいる頃、近所に住んでおられたご夫婦で、今でも親しくさせて貰っていたが、奥さんの病気のリハビリで大変な中、ご主人が見送りに来てくれた。

昨日、私の人生におけるハルピン行きの意義を再度考えてみた。やっと母の人生の真実の厳しさの一部が、昨日のことのように、自分のことのように、臨場感をもって感じることができたと思う。やっと母を深く理解することができたと思う。今、母が生きていたら、一緒に同じ気持ちで泣くこともできたと思う。

昨日、週刊誌AERAに、日本一哀しい格差殺人の記事があった。2人の知的障害児を抱えた母子家庭の母親が、日比谷公園で、10才の次男に睡眠薬を飲ませナイフで殺し、自分も自殺未遂を起こした52才の母親のことが書いてあった。「死ぬ前に、一度2階建て新幹線に乗せててあげたい」と東京から越後湯沢まで乗ったことも書いてあった。
私も、一昨日2階建て新幹線にのって東京へ帰って来た。何気なく乗っていた、2階立て新幹線。どっと、感情がこみ上げてた。過酷な人生は、私の何気ない日常の中に起きていたことを思った。

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June 18, 2007

ハルピン駅、馬家街、中央大街

60年以上前の母の青春時代の足跡を訪ねるハルピンへの旅は、やはり強烈な想い出の旅であった。飛行機から見ると、広漠とした大地・畑の広がる平野にハルピンはあった。当時、多くの日本人が、日本への帰国の為に、徒歩の逃避行をした圧倒的な大地を見るたびに、当時の苦難を想った。新潟からたった2時間で来る距離が、引き揚げ者には、何年にもわたる苦難の旅であった。

母の前夫の親戚から聴いていた馬と云う字のつく地名に、馬家街と云う場所があることを知り、探した。母が住んでいただろう場所である。ハルピン駅のそばに、車で5分くらいの場所にその地名はあった。川が流れ、川岸に店が立ち並ぶ大繁華街であった。駅の反対側に、また5分くらいで、ハルピンの銀座、中央大街(ロシア名、キタエスカヤ)があった。古い商店に1922年や1925年創業とのサインも見付け、この繁華街をたぶん当時の母も歩いたことだろうと想った。

母の人生を知る場所を、初めて、まじかに見て、強烈な印象と、ほっとする想いがあった。60年の歴史、時の経過が、一瞬飛んでしまうような錯覚も味わった。長崎の田舎から、一緒にハルピンへ行くはずの駆け落ちの相手にすっぽかされ、単身ハルピンへ渡った母の人生の決断、勇気に、改めて感動した。

ハルピンの沢山の写真を、兄弟姉妹にも見せたいと想う。


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June 14, 2007

新潟発ハルピン行き

今日終業後、新幹線で、新潟へ行き、明日15日の12:15新潟空港発のハルピン行きフライトに搭乗する。ハルピンでは先に入った中田慶雄先生(日本国際貿易促進協会)が待っている。2泊3日だが、私の人生では、忘れられない日々になる。

私の人生で、どうしてもしておかなければならない旅、これが旧満洲への旅。そうしないと、人生におさまりがつかない程の大切な旅。両親の人生の現場を、必ずこの目で見ておきたいと、私はずっと思って来た。

この旅を境に、私の人生の新たな章が始まる。一つの大きな区切り目。

やるべきことをやった後は、気持ちも晴れ、更に新たなチャレンジにも向かえる。第2の故郷のような、大好きな新潟から、ハルピンへ発つのも不思議な縁。自分の人生に、ずっしりとした足跡を残すようにすがすがしい気持ちで、明日は旅立つ。

(ハルピンへの旅の期間、15日から3日間、ブログはお休みします)

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June 13, 2007

人体は、たんぱく質の再生

人体の60%は水。脂肪15%。たんばく質20%。その他ミネラル等。人体を造っているのはたんぱく質とも云える。

良いたんぱく質の代表が大豆。 美しい肌には、大豆。 化粧は2割、中身の栄養が8割と云う。「エステより食事、たんぱく質」とは、確かにと思う。また肌の新陳代謝は夜22時から朝02:00と云う。この時間に寝ていることが大事だとも云う。

血液も細胞もホルモンも髪も爪も骨も、たんぱく質で出来ている。理想のたんぱく質は大豆。

肉も、たんぱく質としては良いが、人体で固まる脂肪を伴って入って来る。肉は年齢が進むほど、リスク大。やはり古来の伝統食、大豆が一番。大豆に感謝。


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June 12, 2007

「わるグモ(蜘蛛)」

武蔵小杉近くの多摩川の河原に、等々力公園がある。娘が小さい頃、自転車に乗せてよく連れて行った場所。公園の木々に、蜘蛛の巣を見つけ、時に大きな巣には、白く糸だらけになった蝉を見たこともあったのだろうか?

親子で、「あっ!!!。 悪蜘蛛がいる!!!。 あだだだだ!!! もう、悪いことすると、しょうちせんじょ。」とか一緒に云って興奮していた。

毎日、朝に、夕に、東横線の車窓から、富士山方面に、大きな水をたたえ緩やかに蛇行する、雄大な多摩川の流れを見る度に、娘と作った"悪蜘蛛"と云う言葉を想い出す。

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June 11, 2007

紫陽花、蝉時雨

紫陽花は、姉達のお母さんが亡くなった時に咲いていた花。6月7日。雨の中咲いていた、紫陽花。当時子供だった姉達には、忘れられない哀しみの花。

私の母が亡くなったのは、真夏の蝉の鳴き声の真っ盛りの日だった。8月2日。昭和初期のプロレタリア俳人、栗林一石路の句に、「故郷や、蝉の声しむ 母の骨」と云うのがあった。故郷のワシワシワシと鳴くクマゼミの声は、子供時代への郷愁と、母との別れを想い出させる。

6月の雨の降る日に、鎌倉に、あざやかな紫陽花の咲く寺や山道を歩きたいとも思う。

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June 10, 2007

名古屋弁、語学

名古屋弁は、「て」が「と」になると云う。

食べている。食べとる。行っていない。行っとらん。寝ている。寝とる。

但し、例外あり。 行ってみたら? 行ってみやー。

これを、文法の本で聞いたら、イヤー参ることだろう。語学は勉強と考えちゃいかん。 まったくその通り。

これから、英語以外に挑戦する時に、ヒッポクラブ(語学勉強団体)の説明に同感。

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June 09, 2007

横浜挨拶・昔巡り実現

根岸の製油所は、私が20代後半に勤務した想い出の職場。私が石油会社勤務時代に長年お世話になった、タンカーやLPG船の会社は、今みなとみらい地区のビルに本社を移している。

昨年、産油国石油会社日本支社に転じてからも、昔巡りの訪問をしたかったが、まだ実現していなかった。昨日一挙にそれが実現した。夕方成田発の便で帰国予定のアラブのゲストが、根岸の製油所を見学希望し、私が引率して午前中に訪問した。製油所長が英語で直接説明して下さってこれも感激だった。製油所の副所長は、私と同じ福岡出身の後輩で、あっと、お互いに再会を喜んだ。製油所は、私が、独身時代、ちょうど輸入の仕事に面白さを感じ始めた頃の職場だった。本社に乗り込んで、本社の仕事にカツをいれてやると意気込んでいた。

午後、アラブのゲストを送り出して、私は横浜に残り、みなとみらい地区の船の会社の方々、友人・知人への、遅ればせながらの挨拶周りができた。イラン・イラク戦争の時のタンカー攻撃の頃の話しや、グループ内運賃の昔話など、船や船乗りが好きな私には、楽しい昔巡りの訪問だった。

午後の最後のスケジュールは、普段は余り来れない、川崎の旧石油公団(現JOGMEC)の知人を訪ねた。川崎のミューザと云う近代的なビルには、同じビルに話題の緑資源機構があったことも小さな驚きだった。

午前中根岸へ行った帰りに、古い友人巡りの挨拶周りが実現し、気になっていた胸のつかえがとれた思いだった。

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June 08, 2007

ハルピン行き現実味

昨日は、突然、一緒にハルピンに行く予定の中田先生(日本国際貿易促進協会)から、中国の友人の人達との夕食に誘われた。中田先生は、まさに先生と中国・日本の人達にも慕われる人格であり、素晴らしい人達を紹介して頂いた。世間の表面的な価値観とは違った価値観をはっきり持っておられる人達だった。

先生の新大久保の中国の友人の店での会食を終え、嬉しくて、姉や妹、弟にも電話した。今からでも間に合うから、一緒にハルピンに行かないかとも誘った。

今回のハルピン行きは、15日日(金)~17日(日)の予定にすると、会社は金曜日だけしか休まなくて済む、又金曜日は、アラブではお休みの日。この数日、一旦諦めかけた時もあったが、2泊3日のアイデアなら、海外出張中のアラブ人の代表にも話し易くなり、OKを貰えた。もう一人のアラブ人の同僚も海外から14日に帰国する予定が前提ではあるが、兎に角、今回は、何とかハルピンに行けそうになってきた。必ず、行きたいと思う。

心はもう、ハルピンに飛んでいる。

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June 07, 2007

タコ漁師でなくイカ漁師、訂正

昨日、夜のニュースで、「北朝鮮の脱北者の人の職業を、タコ漁師と報道しましたが、イカ漁師の間違いでした。」とのと訂正のがあった。思わず吹き出しそうになった。

タコが、イカになったところで、何の意味があるのか????。 人生や社会は面白い。未だに?????。

昨日の朝は、アラブ人ゲストをANAホテルに出迎えたが、変わった人で、これも驚いた。待ち合わせの時間に、部屋へ電話すると、これからシャワーを浴びたいとか、昼食の約束はキャンセルしたいとか、???? やはり、私の考えの及ばない世界や人がいるものだ。

でも、想定外のことは、可笑しくも感じる。驚きは、笑いのもとでもある。

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June 06, 2007

サラリーマン人生

6月末の株主総会の時期が近づいて来て、日本の各社の役員の人事内定の情報が入って来るシーズン。サラリーンにとって役員になる事は、大変な出世。なられる人はすごい。

普通の人は定年を迎える年に、益々重要な仕事に就くわけだから、正反対みたいなもの。役員になられた人は、ある意味では、精神的にはハイ状態。 益々仕事の話に、熱と磨きがかかってくる。

業界や会社全体のことを熱っぽく語られる時に、確かに大きなエネルギーを感じる。一方、仕事と云うゲームに夢中になってる間に、あっと云う間に進んでいく時間、人生の時間が刻まれていることを気づかれているだろうかと思うこともある。

人生を終わる時に、枕元にいて欲しい人との時間を大切にしているだろうか? 本当に自分は人に役だっただろうか? 私は何者だったのか? ・・・・ と誰しも、等しく考えるのではないだろうか? と云うことも、私は同時に考える。

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June 05, 2007

ちょっと緊張の日々

私の働くアラブの会社の日本支社は、アラブ人男性二人と私の三人の男性と、三人の秘書の日本人女性が日常の事務を処理している。昨日から、何とアラブ人男性二人が海外出張などで一週間以上不在となることとなった。

アラブの会社の業務を、日本人だけでやることに、不思議なスリルを感じた。不安と云うより、新鮮な心地好い緊張って感じだ。頑張ろう。

無難に乗り越えられるように願っている。ただ、15日から予定していた休暇・ハルピン行きが、あやしくなって来た事が気掛かり。 何とか行ければ好いとまだ、望みを捨てずにいようと思う。

 

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June 04, 2007

三姉妹、ギャグ

同窓会の二次会での会話で、ギャグをメモした。 三姉妹なら好いが、四人だったらどうなるの? ししまい(獅子舞い)・・・これは、傑作。

因みに、私は四人姉妹、二人兄弟合計六名。獅子舞いねー。 なるほど。 お姉妹(おしまい)。

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June 03, 2007

高校同窓会、兄弟、故郷

昨日は、三池高校の同窓会が市谷のアルカデイア(私学会館)であり、2才下の小田原の妹と一緒に出席した。会場では、35年前に、28才で亡くなった私の姉のご主人(義兄)も出ていて近況を聴いた。何と息子(36才)が、4月22日の選挙で福生市の市会議員(公明党)に当選したとの話しを聴いた。

私は、彼が生まれてから、赤ちゃんの時しか見ていないので、逢いたいと思っていたが、彼の市会議員の凛々しい写真を見て、とても嬉しかった。しげしげと眺めた。姉の面影を想い出した。高尾のお墓には、4月21日に行ったばかりだった。

名古屋の姉や、大牟田の姉や弟に、早速連絡して、祝った。生まれたばかりの子供を残して病気で死んで行く時の母親の辛さは、どんなに過酷だったことだろう。その姉も、息子の成長をどんなに嬉しく思うことだろう。姉の代わりに、祝ってあげたい。

夜、横浜は、花火大会だった。空には、ライトアップされた気球まで飛んでいた。パーっと空いっぱいに、鮮やかに開く花火を、ベランダから見た。花火を見ると、小さいころ、妹と文具箱に入れられて、自転車の後に乗せられて、父と見に行った大牟田の花火や祭りを想い出した。

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June 02, 2007

満洲のDVDの感動

私が、近々旧満洲のハルピンに行くことを知って、ある知人が旧満洲の記録DVDを送って下さった。 満鉄のアジア号で満洲を旅する記録映像だった。大連からハルピンまでの町や沿線の当時の様子を動く映像で見て感激した。

当時の父も母も見たであろう光景が、沢山画像にあった。ハルピンは、母が駆け落ちに失敗して辿り着いた場所。母の目には、どんな光景だったのだろう。ロシアの建築やロシア人の姿も多い、国際都市だったハルピン。

父や母と、この映像を一緒に見ながら、解説を聴きたかったなー・・・・と思った。

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June 01, 2007

自転車姿の父

私は高校2年になったばかりの時、肺浸潤で大牟田市立病院に入院した。4人部屋の病室、2ヶ月くらいいただろうか。病室のベランダから、道行く人々を毎日眺めていた。

時折、私の父が、自転車で家から牛乳を持って、病院に来てくれた。病室のベランダから、病院へ近づいて来る父の姿を、愛しく想い出す。父と子で話すことは何だかぎこちなく、そんなに話すことはなかったが、父の優しさは、私が年を経る毎に伝わって来る。

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