働くということの意味
"働く"と云うことは"人に役立つ"ことをすることと云う考えは、ユダヤの富豪の本の中で知った。
大学を卒業して会社に入って、最初は、研修、机に座ってもマニュアルや資料を読む時間ばかり、懇親会も、そして少しづつ仕事らしい、資料作成などに進んで行った。社会に役立つ、人に役立つと云う視点、社会に役立つと云う実感で仕事をして来ただろうかと振り返る。
理論的に社内や業界を説きふせること、会社の利益に貢献することなど、カッコ好く立ち回って、給料は、社会主義国家の福祉のように当然入って来る権利のように思っているのが世の中のサラリーマンの大半ではないかと私は思う。
人に役立てば、人はお礼をしたくなる。それが働くこと、給料を貰うことの原点。人に役だったなーと、人が喜んでくれた顔が浮んで、その喜んだ分が、私の給料って思うと、その報酬は、自分の身体の一部のように愛しくなる。
昨日、会社終業後、ビジネスマンの集まり10名くらいに、私は食育の講演をした。無償でも社会貢献のつもりだった。聴いてくれた人達からは、感謝の気持ちや質問も相次ぎ、講演後の会食もとても嬉しかった。 そして、会からのお礼の気持ちとして少ない予算で運営してるので少ないですがと云われながら封筒を渡された。
その謝礼こそが、私が"働く"ことの意味を感じた。本当に自分を実感することができた。これからも、自分が社会に役立つ、人に役立つ存在を、強く実感しながら生きていければ素晴らしいと思う。
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