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May 31, 2007

順風満帆とドン底

順風満帆も、ドン底も同時進行をしている。人は、勘違いで、どちらかに偏った見方をしているのだと思う。実際は、ただ、坦々と物事は起きている。

去年9月26日、松岡農林水産大臣は念願の農林水産大臣就任が実現し、感涙にむせんだと云う。そして8ヶ月後の今年5月28日の自死。彼の遺書に、"日本国万歳"とあった。彼は一生懸命に生きたことは確かだったと思う。ご冥福を祈ります。

人生のジェットコスターは自分が創る幻想だと思う。全ては同時進行しているのだと思う。ただ貴重な人生の"時"が流れているだけ。

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May 30, 2007

濃縮されていく時間

着実に時は刻まれている。人生は年を経る毎に、残された時間は減って行く。その後の人生はどんどん濃縮されて行く。

そう思うと、年を経る毎に、どう時を過ごすかは、人生の重大な選択。その選択の持つ意味の重大性は、加速度的に増して行く。

自分で選んだ"時"を"、ひと時"を、どう過ごすのかは大切な選択。他人や世間に惑わされない、自分との対話の意義は大きい。

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May 29, 2007

人生の万華鏡

人生を歴史になぞらえると面白い。心穏かであれば平安時代の曲水の宴のシーン、心が殺伐としていれば応仁の乱、ひもじい時は天明の飢饉並み、蒙古襲来も、南北朝時代も・・・・とても面白い。

人生も、そのようにめまぐるしく変化している。

出て来る主人公である自分も、色んな人物になぞらえると、これも面白い。ある時は"二宮金次郎"、ある時は"金子みすず"、"東郷平八郎"、"ビートたけし"も。

人生は、いくつものシーンをいくつもの人物が演じているようなものかも知れない。 人生の万華鏡。

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May 28, 2007

日本海海戦

102年前の5月27日昼、日本海海戦が戦われた。これで負ければ、日本はロシアの侵略の脅威に晒される瀬戸際だった。日本が列強に伍して大陸に進出したと云うより、欧米列強は、弱肉強肉の侵略を繰り返した時代だったと思う。日本も危うかった時代。

横須賀に残る、戦艦"三笠"船上で行われた記念式典に初めて出席した。約122Mのこの船が、ロシアの南下から、日本を救い、アジアを救ったんだと思うと、改めて不思議な、歴史を身近に感じる感覚を味わった。

東郷平八郎元帥や、旅順のロシア軍を攻略した乃木将軍の写真を艦内で見た。悲壮感と武士の覚悟と、国を守る気概が溢れていた。 三笠艦上に翻るZ旗は、国の興廃を決する戦いを示し、そしてそれぞれの役割を果たそうと鼓舞した。

人生の難局に直面した時は、この日露戦争・日本海海戦の時の、"三笠"の艦上に翻るZ旗を想い出そうと思った。

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May 27, 2007

517番教室、1972年

昨日、大学卒業後60年になられる生田正輝名誉教授(マスコミ論)の記念授業が慶應大学、三田517番教室で開催された。80歳代の先生の講義も、しっかりされていて、為になった。

言論の自由は、マスコミが国民と一体である時に守られるべきものであって、マスコミが国民に嘘をつき始めたら、国民を守る名目で国の介入を招く事態になってしまう恐れがあると、マスコミの自浄作用を熱心に説かれた。

教壇へ向かって緩い下りのスロープになった大教室、517番教室の左の窓には、昔ながらの木々の緑が、午後の日を浴びて輝いていた。机や椅子も当時と同じように、静かな光を浴びていた。

授業の後、公衆電話をすると、故郷の母が直ぐ出て来るような錯覚に陥った。

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May 26, 2007

働くということの意味

"働く"と云うことは"人に役立つ"ことをすることと云う考えは、ユダヤの富豪の本の中で知った。

大学を卒業して会社に入って、最初は、研修、机に座ってもマニュアルや資料を読む時間ばかり、懇親会も、そして少しづつ仕事らしい、資料作成などに進んで行った。社会に役立つ、人に役立つと云う視点、社会に役立つと云う実感で仕事をして来ただろうかと振り返る。

理論的に社内や業界を説きふせること、会社の利益に貢献することなど、カッコ好く立ち回って、給料は、社会主義国家の福祉のように当然入って来る権利のように思っているのが世の中のサラリーマンの大半ではないかと私は思う。

人に役立てば、人はお礼をしたくなる。それが働くこと、給料を貰うことの原点。人に役だったなーと、人が喜んでくれた顔が浮んで、その喜んだ分が、私の給料って思うと、その報酬は、自分の身体の一部のように愛しくなる。

昨日、会社終業後、ビジネスマンの集まり10名くらいに、私は食育の講演をした。無償でも社会貢献のつもりだった。聴いてくれた人達からは、感謝の気持ちや質問も相次ぎ、講演後の会食もとても嬉しかった。 そして、会からのお礼の気持ちとして少ない予算で運営してるので少ないですがと云われながら封筒を渡された。

その謝礼こそが、私が"働く"ことの意味を感じた。本当に自分を実感することができた。これからも、自分が社会に役立つ、人に役立つ存在を、強く実感しながら生きていければ素晴らしいと思う。 

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May 25, 2007

おたまじゃくし博士

娘がアブダビの日本人学校の小学生の時、たまたま日本から出張で来た会社の技術屋の先輩と、休日、数名で砂漠ツアーに出かけた。オマーン近くの岩山のそばに、湧き水の出る小さな川があった。そこで、子供達は、水遊びを楽しんだ。川にはおたまじゃくしもいた。

そのとき、おたまじゃくしを何匹か巧みに採ってくれた会社の先輩を、娘は「おたまじゃくし博士」と呼んで、はしゃいでいた。

砂漠のテントで泊まり、荘厳な朝の砂漠の光景を見た。早朝、風紋の砂丘を歩いて、月面にいるかのようにも神秘的に思った。

「驚きは、想い出は、人生の映画館。」名作だったなーと想いながら、昨日は、"おたまじゃくし博士"との再会を楽しんだ。

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May 24, 2007

草食動物の群れの中

草食動物の群れの1匹が、ライオンに襲われるシーンなど、よくTVで見かける。その時の、草食動物の群れは、なすすべも無く、その場を立ち去り、また平穏な群れの生活に戻っていく。恰も何事も無かったかのように、又、草を啄ばむ。

時に、人間社会も、同じような残酷さを感じる。ライオンを1匹残らず退治するのが、理想の政治のように云うのは、非現実的すぎる。運にも支えられ、生き抜く知恵も備え、毎日に感謝して生きなければならないと思う。国や社会は、ただ草食動物の群れの中にいるだけのこと。

社会の色々な事件を見るにつけ、人間も、そのような、生物としての厳しさも感じる。

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May 23, 2007

透明人間

余裕って、人の考えを聴ける力のことかって思った。

自分のことを沢山説明して、分かって貰おうとする時は、自分の危機状態の時か?

周りを観察したり、人の考えに関心がある時は、自分が透明人間状態。つまり環境に、溶け込んでいる。

ある時は透明に、ある時は自分らしく主張する、それが一番人間らしいことかとも思う。そして、透明人間の割合をふやして行くのが修行だと思う。

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May 22, 2007

会社の先輩の葬儀にて

昨日は、会社のもと上司74才のお通夜に参列した。会社時代は部長と平社員の関係だったが、辞められてから、この数年の付きあいが、とても嬉しかった。私が、坐禅に行った帰りに、藤沢へ立ちより、駅前の蕎麦屋さんで、軽く飲む会食を3~4ヶ月に1回続けた。会社時代に知らなかった人生観を聴かせて頂き、新鮮で、またありがたかった。

通夜では、25年くらい前の供給関係の方々が参列され、驚きの再会の連続だった。故人に仲人をして貰った後輩が夫婦で、娘さんを連れて参列していて、その娘さんとの再会にも、ビックリ。会社のアパートの同じ棟の上下の階に住んでいて、私の娘と遊んでいた娘さんが、立派な綺麗な娘さんに成人されていた。

是非、自分の娘にも知らせなきゃと思って、携帯していたカメラで写真も撮らせて貰った。それぞれに、人生の旅の途上の人々が、街道の茶店で語らうようなようなひと時であった。

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May 21, 2007

会津若松城の空気

約140年前、会津城に散った、若い命のことを知り改めて人生の過酷さを知りました。会津藩家老、西郷頼母の妻他、2才を含む一族、婦女子総勢21名は全員自決しています。

「もののふの道と聞きしを 便りにて 思いたちぬる 黄泉の旅かな」会津藩家老西郷頼母の妻の妹の辞世。

「手をとりて ともに行きなば 迷わじよ いざたどらまし 死出の山道」上の句(たき子)13才、下の句(たい子)16才の姉。まだあどけなさ残る姉妹の句です。

飯盛山にある白虎隊の墓そばには、「日の御子の 御影をあおぎて若桜 散りてものちも 春をしるらむ」と、白虎隊生存者だった、飯沼貞雄さんの歌が添えられていました。

こんなことがあっていいのかと思うくらい、人生は過酷なことも知りました。先週の金曜日から、もう数年経ってしまったような、別世界の体験でした。

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May 20, 2007

磐越西線、SLの旅

SLの汽笛、蒸気、線路の石、SLの煙の匂い。昨日やっと、念願のSLに会津若松から新潟まで乗ることができた。

子供時代に、母や姉や妹とSLに乗って行った長崎への旅が脳裡に浮んだ。子供だけの旅で、鹿児島本線の大牟田から、長崎本線に乗り換える鳥栖まで、母が見送りに来てくれた時もあった。トンネルを数えたり、急いで窓を閉めるのも楽しかった。

トンネルの中では、天井の大きなオレンジ色の灯り、赤茶色の木の色の車内を、何十年ぶりの友人に会うように眺めた。窓を開けて、先頭を見ると、カーブにさしかかるSLが、蒸気を下に、横に吐きながら、私が子供時代に見た時のように、頼もしく私を引っ張っている様子が見えた。時折、畑の中で、ポー と汽笛をあげてくれて、ありがとう。

時折見える民家のそばで、3~4才の女の子達二人が、ぴょんぴょん飛び上がって、"わー""わー"と叫び、SLの姿に喜んで手を振っている。明治・大正時代の尋常小学校の國語の教科書の挿絵みたいな光景。

水田や畦道に射す夕日が綺麗だった。煙の向こうには、母や父の顔、長崎の親戚の人達の顔も浮んだ。

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May 19, 2007

祭りの後、廃墟、孤独、これも安らぎ

祭りの後、廃墟、孤独。

これらのことは寂しさを連想させ、人生では、その反対に憧れることが多い。しかし、祭りの後も祭りそのもの、廃墟も栄華そのもの、孤独も仲間との時間そのものって、私は最近感じる。

祭りや栄華を求めるアメリカ的な成功ビジネス人生論は、若いギラギラした出世欲の強い時期や、忙しくて人生を深く考えてられない人には、已むを得ないことかも知れない。

だが、同じ葉っぱの表と裏を別のものと見てしまいがちなのが人生。祭りの後、廃墟、孤独にも、人生の安らぎ、楽しさ、深い味わいがある。

大きさ揺りかごに乗ったような境地で、波に惑わされない大海を感じながら、人生の色々な場面を眺めて生きたいと思う。

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May 18, 2007

命名・Zwe

昨日は、シンガポール在住のミャンマー人の友人から、赤ちゃん誕生のメールが入った。彼は、生まれた男の子にミャンマー語で、Zweと云う名前をつけたと教えてくれた。どう云う意味かを尋ねたら"Perseverance"と云う意味とのことであった。"何かに向かって努力を継続する事"と理解して、父親の想いが伝わるような感じだった。

帰宅後、Perseveranceを大きな辞書で調べてみると、忍耐とか究極救済という意味があった。ミャンマー(旧ビルマ)は仏教の伝統の強い国だから、彼は、"究極救済"と云う意味に惹かれたのかも知れないと思った。

私も娘が生まれた時の事を想った。生まれた日も今日のような快晴だった。生まれた病院へ行く時に、電車から見えた荒川の川辺の緑や川面の銀色に輝く光を想いだす。2800g 、娘がいくつになっても、あの日の情景を想いだしながら、娘を見つめることだろう。

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May 17, 2007

神田の古本屋さん

美智子皇后様の夢に涙した。もし、透明人間のようになれたらと問われて、「隠れ蓑のようなものがあったら、学生時代に帰り、神田の古本屋さんの軒先で本の立ち読みがしたい。」・・・・・・・

今度、神田の古本屋さんへ行って、店先で本を手にしたり、立ち読みできる事の意味を考えてみたい。美智子皇后の気持ちを想ってみたい。人生の一つの気づき。

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May 16, 2007

相田みつを的つぶやき

好い事も終わるが、嫌な事も終わる。それで、おあいこ。

好い事もあるが、悪い事もある。これで、おあいこ。

微妙な組み合わせ、これが自然。全てのエネルギーのもと。そして調和。

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May 15, 2007

調理場の光景

居酒屋で、最近、好くアジア系のの従業員が働いているのを見掛ける。安い労働力として雇われているのだろう。カウンターから見える調理場で、日本人の怖そうな板前さんに、色々指示されて働く姿を見ていると、自分が大学時代に、川崎駅前の焼肉大将軍と云う店でアルバイトで働いた時を想い出す。1日が終わると、本当に働いたって感じのする、日々だった。

九州から妹が友人を連れて上京して来た時などは、自分が働いている事が、妙に大人っぽく、カッコ好いと思い、嬉しくもあった。1日が、くたくたになるまで働くって事は、同時に、心地好い安心感や、社会人なんだと云う実感を与えてくれた。

辛いけど、嬉しいって云う変な感覚だった。

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May 14, 2007

トランス脂肪酸また警告

5/12日経・夕刊、一面に、トランス脂肪酸(マーガリン・揚げ物・菓子に含まれる)の追放のニュースがあった。 欧米では使用規制強化中。日本では規制の動きまだ無し。

トランス脂肪酸とは、植物油脂に水素を添加する過程で生成する。食品に固さや、サクサク感を出すのに使い、クロワッサンなど菓子パン類にも使われている。代表的なものはマーガリン。 血中の悪玉コレステロールを増やし、心筋梗塞など引き起こすと云われる。

米国ニューヨーク市では、7月から全レストランで、一食あたり0.5mmg未満に義務つける。スターバックスコーヒー店も北米の全店舗で、サンドイッチ・ドーナッツなどを作る調理油から、トランス脂肪酸を追放すると発表。

デンマーク では2004年に油脂中のトランス 脂肪酸の量を2%未満と義務つけている。日本では、まだ、表示義務も規制の動きも無く、何も知らされていない消費者への影響が懸念されている。

大事な事は、人任せでは駄目。赤信号みんなで渡れば・・・では済まない。知らぬが仏では、本当に仏になりそう。

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May 13, 2007

江戸小唄・端唄

昨日午後、初めて愛宕山古典芸能祭に行ってみた。550年前に大田道灌により建立された愛宕の青松寺の境内や、愛宕神社の境内で、江戸小唄、端唄、三味線、落語、踊り、狂言、能などを聴いたり、見て回る事ができた。

小唄、端唄は、江戸や上方の粋を感じさせて、へー、江戸時代の人は、こんな事を考えたり楽しんでいたんだと、改めて気づいた。 野村万作・萬斉の狂言「彦一ばなし」は熊本の方言を使った、河童、天狗の話で、狂言は、とても面白かった。

午前中ガイド研修に訪れた水天宮は九州久留米からの由来の歴史や、河童の話もあり、東京にはロマンに満ちた日本文化の世界も同時に広がっている事を想った。

職場で見慣れた愛宕の森タワーの脇で、歩いている姿を偶然見掛けた和服美人が、何と上方端唄の藤原ふく葉さんだった。後で、ステージやパンフレットで見て、やっぱりと関心したり、昨日は、まったく非日常に飛び込んだ1日だった。


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May 12, 2007

健康診断の日

昨日朝、築地の聖路加タワー2階のクリニックに、会社の健康診断で出掛けた。比較的広い、諸検査の待合室のテーブルに穏かな表情の母親と子供の姿もあり、好い表情だなーと、私も穏かな気持ちになった。

朝日がさす陽だまりで、ボーツとテーブルの先を見ている親子。余り大きな心配事は無さそう。薄い白いカーテンを通して朝日がかかるテーブル。

時折、看護婦さんが、名前を呼ぶ声が聞こえる。静かな待合室。ちょっと、いつもと違う環境が、新鮮だった。

バリウムを飲んだり、採決したり、レントゲンを撮ったりして、午後、業務に復帰した。

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May 11, 2007

パソコンからの航空写真

昨日、沖縄の石油基地の場所を確認しようと思い、関係先に問い合わせたら、グーグル・マップの事を教えて頂いた。 パソコンで、世界中のどこでも、上空を飛んでる飛行機からのような映像で、地表を見る事ができる。

住所をいれると、沖縄の石油基地の配置まで、きれいに見る事ができる。改めて、情報革命が起きた事を思い知った。昔だったら、会社のパンフレットに載った地図をコピーするとかで、場所を確認しただろうが、今は、インターネットのグーグルマップを見れば好い。

そう云えば、弟から、半年か1年ほど前に、グーグルマップで、九州の実家のそばを航空写真で見せて貰った事があった。改めて、パソコンを使いこなす事の意味を、感じた。

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May 10, 2007

神楽坂散歩

昨日は、会社帰り、無性に神楽坂を散歩してみたくなり、地下鉄を乗りついで、神楽坂へ立ち寄った。神楽坂は、古い狭い道や、古い商店が立ち並び、風情がある。街灯も明る過ぎることなく、適度に明るいところが好い。田舎の八百屋さんのような、質素な店も残っているところも好い。夏目漱石がよく原稿用紙を買ったと云う文房具屋さんも残っている。

居酒屋に立ち寄ると、"金事草と湯葉のお浸し"や"谷中生姜"と云うメニューもあり、これらをつまみに、薩摩の海や珊瑚と云う銘柄の焼酎をお湯割で飲んだ。仕上げには、"白身魚と葉わさびの釜飯"を食べてみた。とても美味しかった。釜飯を大好きな、九州の姉の事を想い出した。

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May 09, 2007

ハルピン行き前進

昨日は念願のハルピン行き実現へ大きく前進した。6月中旬の日本国際貿易促進協会の訪中ミッションに合流して行くには、その時期に会社を休めるかが心配だった。昨日、アラブ人の代表に事情を話したところ、彼は快く私の休暇願いを承諾してくれた。

満州引き揚げ体験をお持ちの、協会の中田理事長は、毎年、ハルピンに行く時は、私にも案内を送って下さった。今年は、やっと、行きますと返事ができる。過去3回くらい見送ったのは、他のスケジュール との重なったり、何故かうまく実現しなかった。そんな時は、亡くなった母も、「もっと落ち着いてから、精神的にも余裕のある時に来なさい」と云われているようで、また来年トライしようと諦めて来た。

やっと行けると思うと、母の顔や、父の顔や、中田理事長の顔が浮んで来て、大事業が実現できるような喜びがこみ上げた。

折りしも昨日の夜、知覧の特攻の映画、「俺は、君のためこそ、死にに行く」の試写会を見た。人生がとても、激しいものであることを思い出させてくれた。

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May 08, 2007

再稼動初日

連休明け初日、沢山の通信に目を通したり、連休中に起きたトラブルの応急処理、それに昨日からまた早速アラブからのゲスト4名の応対。それは、まさに優先順位の選択が問われる忙しい業務だった。

だが、連休明けの初日(7日)も無事終わって、一気に平常な業務生活をとり戻した感じである。

ちょっと、落ち着いて、公私の分野で、何をやるべきか整理しているところ。今朝は、慣れた自分の部屋から、小鳥のさえずりを聴きながら、窓の外の朝日を見ている。

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May 07, 2007

ガイド実務研修修了証

大阪でのガイド研修が終了し、無事修了証を貰った。研修は大変だったけど、とても好い刺激になった。自分をちょっと苦しめるくらいの体験もたまには、必要だと思う。新たな研鑽の意欲も湧いてきた。

帰りは、過去何度か行った難波の吉本興行のグランド花月付近をちょっと散歩して、居酒屋で軽く飲んだ。店内は心地好い、大阪・難波らしいガヤガヤとした生活感があり、浪花の酒やなーと密かに嬉しく思った。ひれ酒のメニュには、「寒い日には、これでんがな」と書いてあった。

4日間の別世界を振り返りながら、ちょっと達成感を土産に、新幹線で横浜へ向かった。

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May 06, 2007

初めて見る金閣寺・平安神宮

昨日は大阪のホテルから集合場所の京都みやこホテルへ行き、バスで、京都・奈良の観光実習をした。京都には何度か行ったことのある私は、まだ金閣寺も平安神宮も行ったことがなかった。二条城の中も入ったことがなかった。

日本に生まれ、日本人でも、私のように、まだ、見たことのない人も案外多いかも知れない。

じっと、解説を勉強したり、聴いていると、自分が見ているものが、遠い知らない人の世界のものでなく、自分の人生で、まるでその出来事が起こったかのような感覚も湧いて来る。人生を経て来た事が、想像力を使って、頭の中に、歴史の別世界を呼びこんでくれる。

石も木も山も、当時の人々の想いを、静かに抱えこんでいるように見える。昨日は晴れだったが、京都や奈良は、雨も似合いそうな気がする。

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May 05, 2007

OKサインは国際的大問題

日本人には、何でもない日常に見掛けるOKのサイン。

親指と人さし指で作る○のサインは、うまくいった時には、顔の横などに○を作って、笑顔になったりする。この光景は、地域によっては(中南米・東欧など)見た人には、とんでもない猥褻なサインとのこと。バスで人数確認の後、OKと指で○でも作ろうものなら、外国のご婦人が、オー・ノー!!!と失神するかも知れない。

それから、高校で習った英語、You had better to は 、「テメー何々しろよ」と云うくらい乱暴な云い方に聞こえる外人もいるとのことで、ガイドには禁句。もちろん、You must も 、You should も禁句。 It may be a good idea toとか、 I would adviseとか , You might as well とか、の柔らかな云い方に慣れる必要があるとのこと。

驚く世界が拡がる。

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May 04, 2007

日本のタクシーの説明

昨日は、ガイド研修の訓練で、英語での自己紹介や、英語での日本のタクシーについての説明を行った。

日本のタクシーについて重要なことは、ドアが自動で開閉すること、運転手さんが英語をしゃべらないので、地図や日本語のメモを用意することなど。また、日本のタクシーは、安全で信頼できることや、初乗り料金、空車のサインなどもつけ加えた。

今回はできなかったが、余裕ができたら、タクシー客の増加が、身近な経済指標になっていることや、日本のタクシーはLPG車が多いことなども云えれば好いと思った。

経験は、とても大きな刺激になり、何をすべきかを、身体で感じることができる。

京都観光の講義の途中、会社の携帯で緊急の呼び出しがあり、30分くらい、講義が聴けなかったことは残念。ただ緊急の連絡も、好い方向の連絡だったのが、救いだった。


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May 03, 2007

ガイド研修開始、大阪

昨日の夜、新幹線で大阪に来た。私にとっては、JR大阪駅が阪急梅田駅と同じと云うことが新鮮なこと。博多と福岡みたいな同じことかと思う。

今日から阪急・豊中で始まるガイド研修の為に、阪急十三(じゅうそう)駅そばのビジネスホテルに投宿、これから4日間の勉強が始まる。

大阪は快晴。先週までの石油の仕事を脇において、新しい世界に飛び込んで試よう。

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May 02, 2007

1年の歳月

1年前は、私は何をしていたか?と想い出してみる。この1年で何があったか? 印象深かったことは? と思うと、結構沢山のことが浮ぶ。1年前を大昔のようにも感じる。

想い出すと、人生が、あっと云う間に過ぎていない気持ちになれる。子供時代に感じた1年の重さに似た、沢山の新鮮な出来事を感じる。 新しい体験、旅、人との出会いなど、小さな驚きの積み重ねは、人生に心地好い節目を創ってくれる。

すっかり、サラリーマン時代の価値感と変わってしまった自分に、密かな大きな満足感もある。それは、田舎の田んぼの畦道を、土や草やカエルや風を感じながら歩くのに似ている。

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May 01, 2007

英語ガイド研修

5月の連休中に大阪で、英語ガイドの研修を受ける予定。初めての研修に、ちょっと緊張も感じる。学生時代に、憧れていた英語ガイドの仕事を、自分で実際にチャレンジして試る時が来た。本気でやるとなると、大変なことも多いだろうと思う。

英語ガイドや、食育のこと、これは、私の今後の人生では大切な修行の領域。また、春の季節に、新入生の世界に入る。

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