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March 31, 2007

入浴朝6時から

夜、福岡へ着き、博多駅前のビジネスホテルに泊まった。"入浴朝6時から"の張り紙をみて、朝6時に入浴してみた。男性のビジネスマンが他に4人入浴中だった。内メタボリックシンドローム気味の人が3人。夫々に、出張中のビジネスマンっぽい中年男性。シャワーを浴びる裸の後姿のサラリーマン。夫々のサラリーマン人生を想う。

朝食は、朝7時からなので、これも、朝7時過ぎに計画。私は朝はめっぽう強い。朝食後、博多駅前徒歩10分の住吉神社境内の散歩もしてみよう。

娘の子供時代に、私のことを、私の造語「朝つよマン」と教えた。娘は、朝眠たくて、機嫌も悪く怒る時は、"朝おこマン"とあだ名を付けた。可笑して懐かしい。


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March 30, 2007

故郷の花見

今日は、終業後、九州へ帰省する。土日の短い滞在だけど、今回は、町内会の花見にも出席出来る。桜のころの、生まれ故郷は、何十年ぶりだろう。

近所の人は、私を覚えているだろうか?どんな再会があるだろうか?子供時代の私に会えるだろうか?

今年の私の、大切なイベントの一つ。

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March 29, 2007

桜、桜

昨日は、昼、会社に転勤の挨拶に来た若いゲスト と2人を伴って、愛宕神社の境内の中のレストランの外のテーブルで食事した。ほぼ満開の桜を、空に仰ぎながら、談笑した。

丸亀藩の間垣平九郎が愛宕神社の急階段を一気に馬でかけ上がった話や、水戸の浪士が桜田門外の変の前にこの愛宕神社で祈願集合した話、それから、勝海舟が西郷隆盛を愛宕山に招き、江戸城開城の話合いをしたことも、私のにわか勉強も披露した。 オッホン。

夜も同じく愛宕神社境内そばに、会社のメンバー6人で場所取りをして、夜桜鑑賞をした。シャンパン・ワインなど飲みながら、気分も高揚し、小声で、♪さくら、♪さくらなど口ずさんだ。桜の花びらが、ハラハラとシャンパンのグラスそばに舞い降りた。

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March 28, 2007

ふとした輝き

「幸せだから感謝するのではない。感謝するから幸せなのだ。」、作者不詳の言葉とのこと。心にとまる言葉。

先日、書道展で見た俳句に、「こだまして、滝は若葉の光研ぐ」と云うのも、心に残った。

日常にも、チラッと、きらりと光るものが、転がっている。

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March 27, 2007

富士山のこと、桜のこと

富士山を東から見たり、西から見たり、遠くから見たり、近くから見たり。それぞれに、違う表情を見せる富士山。

幸せに感じる時の富士山、不幸に感じる時の富士山、夫々に美しい。希望に輝いて見る富士も、絶望の淵に見る富士も、夫々に美しい。色々な表情の富士を感じることが、人生の味わいだと思う。

昨日は、桜の季節に入った東京を観察した。昼休みに、会社近くの愛宕神社の境内の桜を見に行った。会社帰りには、目黒川べりの、夜桜を見物した。まさに、日本はこの時期は、「桜の乱」と呼ぶに相応しい、花の競演。美しい桜を見れることは、人生を彩る美しい事件でもある。

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March 26, 2007

ある土曜日

一昨日、王子で書道展を見た帰りに飛鳥山の桜を試て見た。まだ、余り咲いていなかったが、観桜のグループも沢山みかけた。帰りは、荒川線の路面電車に乗りたくて、王子から庚申塚まで乗った。庚申塚は初めて降りる街だった。

庚申塚駅前は、とげ抜き地蔵へ続く巣鴨商店街に露天が立ち並び、レトロな下町ムードいっぱいだった。甘酒を飲んだり、北海裂きイカを食べながら歩いた。福島産干し柿を買った。ちりめんじゃこがイワシの子であることを知った。こうなごも買った。露天には、腹巻も売ってあった。フーテンの虎さんが出て来そうな街だった。

帰りに自宅そばの商店街のジャズ喫茶で、ライブを聴いた。小さな喫茶店でのトランペットは、また別世界だった。"黒いオルフェ"を何十年ぶりにか聴いた。大学時代に流行っていたダンスパーテイーや、一緒に行った友人なども想い出した。

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March 25, 2007

ブログ友達、佳代子さんの訃報

悪性リンパ腫で闘病中だった佳代子さんが、亡くなったことを24日夜、知った。とても哀しい。1年ほど前にブログを閉じられて寂しかった。 闘病しながら、時に、自分の内面をえぐるように、表現されていた。

最初に彼女のブログを偶然見付けた時、彼女の人間の心の分析は、目を見張るものがあった。また日々の生活の表現が、これでもか、これでもかと云う赤裸な人間らしさがあった。

ブログを通じて、一緒に泣き、一緒に笑ったような気がした。ブログを閉じられる時に、人生の戦友のように思っていますと云ったら、とても喜んでくれた。 やはり人生の戦友だったと思う。 佳代子さん、ありがとう。

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March 24, 2007

街中の可笑しな驚き

最近、見た光景で、とても可笑しかったことは、電車の中に、椅子を持ち込んで座っている人がいた こと。

ホテルの洋風レストランの椅子に正座して食事している人を見たのも可笑しかった。

道を歩きながら、手旗信号のように、腕を横とか縦に大げさに動かしながら歩いている人を見た時も、何だか思わず笑ってしまった。

驚きは、笑いのもと。

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March 22, 2007

米国・トランス脂肪酸の禁止の動き

米国では、マーガリン・フライドポテトなどに含まれるトランス脂肪酸の摂取を規制する法規制を始めたが、日本は、まだ、規制するかどうかを検討中。

トランス脂肪酸は、殆どが人工的につくられた油脂。サクサクした食感や滑らかな舌触りを出すのに、使われている。善玉コレステロールを減らし、悪玉コレステロールを増やす。心筋梗塞・動脈硬化はもとより数々の病気を引き起こす物質と云われて、先進国では、規制が始まった。

マーガリン、フライドポテト、菓子パン、コーヒー用クリーム、ポテトチップスなど、調理段階や加工食品含まれる、見えない油。普段若者が、よく口にしている食品。また若者は食に関心が少ない人も多い。将来の日本が心配になる。

これも、自然はあらゆる不自然を罰すると云う言葉を思い出させる。

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March 21, 2007

水溶性ビタミン

ビタミンBとかCは水溶性ビタミンと云われ、水に溶ける。野菜・果物も切って、切り口を、水に漬けて時間が経つと、ビタミンが溶け出して、出て行ってしまう。

キャベツなども刻んで、水に漬けておくと、ビタミンCも相当に無くなっている可能性高い。ってことも大切なこと。せっかくのビタミン、大切に扱わないともったいない。

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March 20, 2007

ほうれん草と魚

ビタミンA,D、E,Kは 脂溶性ビタミンと云われ、脂に溶けて吸収される。ほうれん草やにんじんのビタミンAは、それだけ摂っても吸収されない。 一緒に魚や玉子を食べると、それが油に溶けて吸収される。

ほうれん草やにんじんだけ食べてビタミンA(カロテイン)ばっちり、なんて云えない。 と云うのも、栄養学の面白さ。自然界は凄いと思う。極端に、ある特定の食べ物だけ集中して食べても、このような効果なしの結果も起こる。

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March 19, 2007

常在菌、病気、薬

MRSA(黄色ブドウ球菌の一種)で亡くなる人は、病院にしかいない。病院以外で、MRSAで亡くなった人はいない。これは、病院は抗生物質で、常在菌まで殺してしまうから、患者に抵抗力がなくなっていることと関係している。院内感染で有名なMRSA、MRSAで死なない為には、退院が一番。 と云う話は、九州大学・島添先生(薬学)の講演であった。

日常生活で、人間も外界も、沢山の常在菌と一緒に共存して生きている。それを、抗生物質で大量に殺してしまうと、そのバランスが崩れて、病気になるとの話。

ガン治療も、徹底的にガン細胞を殺す治療に彼は疑問を抱いていると云う。単に細胞を殺す薬を抗がん剤と呼んでみたりするのはおかしい。ガン細胞だけ攻撃する薬も開発されて来たが、それもどんどん耐性が出来て効かなくなっていく。抗がん剤は延命目的で、治癒目的ではない。 病気を、徹底的に敵にみたり、殺菌したりする治療でなく、病気と仲良くするような薬が、望まれるとの理想を語ってくれた。

沢山の常在菌も、病気も、自分の大自然の営みに一部と考えると、過激に大量に手を加えることは、自然に反するようにも思う。

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March 18, 2007

生野菜とカルシウム

生野菜を多く食べる時に一緒にカルシウムをとらないと身体に結石が出来易いとの話を、亜細亜大学・長野美根先生(栄養学)の講演で聴いた。ちょっと専門的なので、メモを取った。

身体の中の胆石などは、主に"硝酸カルシウム"と云う物質で、ほうれん草など生野菜などに含まれる硝酸を多く摂った時に、一緒に胃の中にカルシウムがないと、排泄されず、身体の中を硝酸が巡り、体内の各部のカルシウムと結びついて、結石を造り易い仕組みとのことであった。

硝酸は、カルシウムと、とても結合し易く、食べる時に一緒にカルシウムの多い食品を食べれば、胃の中で結合し、スムーズに排泄されて行くとのことであった。 生野菜は、小魚、ひじき、海草など、カルシウムを一緒に食べることが大切とのことであった。

カルシウム不足の食事が、寧ろ結石を造り易いと云う、とても専門的な話である。


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March 17, 2007

石油取引

昨日夜は、横浜で久しぶりの友人と懇親会をしたのだが、急遽、日本の夜の時間に、中東の石油のスポット取引の為、携帯電話を気にしながらの懇親となってしまった。ちょっと申し訳なく思った。

昔は、このような取引をやることを、とてもカッコ好いと感じていた。今、そのような取引のサポート役であるが、その当時のような感動は少なくなった。淡々とした普通の事務連絡のようにも感じる。 形の上で、大きな金が動いても、その人が動かしている訳ではない。誰しも、大きく市況から離れた取引は出来ない意味では、他の事務作業と大差ないとも感じる。

市況の範囲の中で、そのちょっとした価格の差の勝負をやるのがトレーダーの実力・力量でもある。また何時売買するかで、その大きな市況変動の明暗もある。ただ、長い目で見れば、色んな売買も均されて、余り大きな差は出なくなると感じる。 それから、売買の一方が大勝したり、大負けする取引は、長い安定したビジネスには、役立たないとも思う。

そして、今の私は、石油の取引を、かなり傍観者的に見るようになったことに気づいた。携帯電話の中座で、私は、ちょっと、ゆっくり飲み食いが出来ず、結局、割り勘負けの会食になった。でも、懇親会を中止せずに、参加出来て、古い友人とも再会出来たことが、嬉しかった。


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March 16, 2007

居酒屋光景

昨日は他社の30代の人と40代前半の人二人の合計4人で、居酒屋で飲んだ。私が会社を辞めていた期間のことを聞かれ、色んな人生の光景を見て来たことを、素直に話した。

会社を辞める時の覚悟、人生で何が大切かを考える材料、人生の出会いや不思議さなど、あれこれ話していると、余りにも、彼らが静かに頷きながら聴いてくれて、4人の居酒屋のテーブルなのに、何か囲炉裏を囲んで民話でも語っているような雰囲気になっていた。

身体を乗り出すように、私の話に耳を傾けてくれ、私もびっくりした。サラリーマン真っ只中の3人も、忙しい日常で、何か忘れているような、落し物をしているような何かを感じていたに違いない。帰る時に、彼らに、「講演料を払いたいくらいでした」と云われ、嬉しかった。


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March 15, 2007

故人を偲ぶ会の案

数年前に肝臓の病気で亡くなった、会社の1年先輩は、個性の強い、とても印象深い男だった。 最近、私が再会した友人二人が、その亡くなった先輩の家にお線香をあげに行きたいと云う希望を聴いて、何だか人間の魅力があったんだなーと改めて思った。

早く死んでも、その分、激しく燃焼した人生だったんだとも思う。 根岸や新橋で好く飲んだなー。 傑作な先輩だった。
今度、横浜の中華街で、先輩の奥さんと、我々3人が会食して、亡くなった先輩のことを語るなんて案が出て来た。

そのような、故人を偲ぶ会って、何だか素敵な展開だなーと、是非実現させたいと思う。

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March 14, 2007

淡いオレンジ色の朝日の昇る空

まっくらい闇から、朝日がのぼり始める淡いオレンジ色の東の空が、私は好きだ。アブダビ駐在時代に、よく深夜・早朝に空港に出迎え・見送りに行った時を、何故か想い出す。

優しいインド人のドライバーも一緒に行動したので想い出す。石油会社の駐在と云っても、半ば旅行会社の添乗員のような業務だったが、楽しかった。

同じような毎日でも、ゲストが喜んだり、驚いたりする顔をみるのが、とても楽しかった。 ホテルへゲストを送り、今度は、ミーテイングのアレンジ、会食、スークの買い物、砂漠ツアーなど。朝日の淡いオレンジ色の空が、その当時の新鮮な1日の始まりの空気まで運んで来てくれるような気がする。

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March 13, 2007

塩野七生さん

塩野七生さんとカルロスゴーンさんの対談が日経ビジネスに載っていた。塩野さんのローマの研究はライフワークに相応しい、深い考察がある。

13年かけてローマ人の物語を書き、昨年12月に完結させた70才の彼女の熱意のもとは何なのかといつも思っていた。対談の中で、彼女は、"2000年の後に、私がこの男を生かしてみせる"と云う思いであったと語っていた。

2000年の後に蘇る歴史上の人物、彼女に新たな解釈を加えられて、鮮やかに蘇る人物。凄いロマンで、また人間愛でもある。

歴史上の人物でなくても、自分の身近な人でも、その人の役割を深く考えると、私の人生に力強くそびえる偉人だらけのような感じもする。 塩野さんの"生かしてみせると云う気概"に痛く感動する。

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March 12, 2007

言葉の力

水に有難うと云うと結晶が変わると云う話が、議論を呼んでるとの話を聴いた。ご飯に有難う、バカヤロー、無視をした場合の、それぞれの場合の、腐り具合の実験の話も聴いた。

科学万能人間には、一笑にふすことかも知れない。

有難うと云うと、何か、世界を感知する方の受信機たる人間の方には、確実に変化が起きると思う。その受信機の変化が、美しい蜃気楼を生むかも知れない。 人生は、それぞれの感性が作りあげる蜃気楼のようなものとも思う。

夢のある実験話に、ちょっと心惹かれた。

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March 11, 2007

最高の想い出は"救命道具"

人生で最高の想い出を、思いだして、常に頭の片隅に置いておくと、危機に瀕した時に、救命道具になると思った。

私の場合、故郷の裏山で母や姉妹と見た夕日、娘との旅、私の大学合格通知の電報を見た時の母の笑顔などがある。

人生のまさかの坂は誰にでもある。濁流に飲まれた時、パニックになってもがくのは危ない。その時に、この人生最高の想い出が、救命いかだになる。常にどこかに常備しておくのが生きる知恵。

想い出は過去のものと云って馬鹿にしてはならない。大切な救命道具なのだから。

「もう安心、貴方の顔が見えたから」

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March 10, 2007

洗足駅

先週は、通勤途中の知らない街に降りてみる楽しみをみつけた。御成門から白楽まで帰る途中、昨日は洗足に降りてみた。小さな八百屋さんや、中華レストラン、イタリアンレストラン、古本屋さんが目につく、静かな街だった。八百屋さんの店頭では、私の好きな干し柿が、どんなものが置いてあるのかを注目しながら見たが、余りなかった。

八百屋さんのガラスに、ご主人の字だろう、「雅子様のご実家歩いて7分」と書いて地図まで書いてあった。 へー、小和田家は洗足だったのかと改めて知った。雅子様も、この洗足駅を何度も利用されたことだろうと思った。

洗心堂と云う古い大きな家屋の本屋さんがあり、古本屋さんと思って入ってみた。 本を手にとってみると、見かけは古いが、値段は正規料金のれっきとした普通の書店だった。 これも何かの縁と思い、私が興味を惹かれた"満州帝国がよくわかる本""人間の体・99の謎"と云うPHP文庫の本を買った。

中華料理屋さんに入り、満州の本を読みながら、知らない街で、大学時代のような感覚で、夕食をした。周りが全て新鮮だった。お客さんの様子も、店の人も、店の中も全てが新鮮だった。カウンターの上のTVでは、今話題の北朝鮮代表の映像が映っていた。

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March 09, 2007

ふわふわ

娘が小さいころ、私は、マシュマロが好きで、娘には、お父さんは"ふわふわ"が好きと云っていた。その後、娘は、成人するまで、私が"ふわふわ"が好きと思って、折にふれ何度も、買い物のついでにマシュマロを買って来てくれた。

その後、私は、食育にも関心が増し、マシュマロは甘過ぎると感じ、殆ど食べなくなったが、昔ながらに私が、マシュマロが好きと思って、娘が買って来てくれたことがある。

食べなくなったマシュマロでも、じっとマシュマロの入った袋をみると、嬉しく暖かい気持ちになった。"ふわふわ"の想い出。

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March 08, 2007

水の街、三島

「地表の7割は水、人体の7割も水。われわれの最も深い感情も思想も、水が感じ、水が考えているにちがいない」とは詩人・大岡信氏の言葉、三島駅前の白滝公園の前の川辺の碑にある。

三島の町に入れば、小川に菜を洗う女のさまも、ややなまめきて見ゆ。「面白や どの橋からも 秋の不二」と正岡子規の碑もあり、「眩しいほどに、その山の雪が輝いていた」と若山牧水の碑が続いていた。

先日の休日、名古屋へ行った時に途中下車して、歩いた三島の街。文学と水の街だった。 富士からの湧き水の小川のせせらぎの音を聴きながら、初めて降りたった三島と云う土地に、異次元の世界が広がった。

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March 07, 2007

食の工業化

"食の工業化"と云う言葉に、うなずくものを感じる。ファーストフードの拡大。携帯電話での販売情報の提供。食品添加物世界一の日本など、連想する。

最近アラブの糖尿病センターでの英国皇太子のファーストフード批判の記事や、クリントン元米大統領の自動販売機撤去運動など、私は本音としてはうなずいている。

余りにも過激な人工の食べ物、プラスチックのようなものを食べさせられている現代。自然はあらゆる不自然を罰すると思う。食への関心は、人生の基本だと思う。

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March 06, 2007

連日、徳富蘇峰

昨日は、元石油業界にいた友人と、東京駅・黒塀横丁で久しぶりに飲んだ。彼の実家は熊本で、昔、阿蘇で"ともした"と云う名の旅館を経営していたとのこと。旅館には、山頭火や徳富蘇峰もよく訪れたと聴きびっくり。

一昨日、馬込文士村で、徳富蘇峰の旧居や記念品をみたばかりだったのに、また蘇峰の話。偶然とは云え、不思議な話。 実家では、そのような有名な客も、なんてことない単なる小父さん扱いだったとのこと。

ちょっと、徳富蘇峰にも関心が出て来た。

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March 05, 2007

"積極的に美味しい"

昨日、東京シテイーガイデド 9人で、馬込文士村を見学した時のこと、歩きながら、初参加の米沢出身の男性と、質素な日本食も美味しいと云う話になった。美味しい様を"それは、積極的に美味しい"とおっしゃった。

"積極的に美味しい"とは、考えもつかない、曲芸的表現、アニメ的で、また意思を持った美味しさの表現だと思った。思わず、聞き返すような斬新な表現に感じた。

高級な食材でも、雰囲気が悪いと、"消極的に美味しい"ですねと、私も切り返した。

積極的に美味しいものを、積極的に大切な人と一緒に、「美味しいね」と云って食べられたら、どんなに幸せだろう。

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March 04, 2007

姉との語らい

昨日は久しぶりに名古屋の姉と二人で駅前の新しい大きなビル、ルーセントタワーで昼食をした。病気の祖父・祖母と同居していた両親に、また私の弟が生まれるころ、高校生の姉は、1日に10個の湯たんぽいれを手伝っていたと云う。

また、姉は、前の母親が亡くなった時、6月の雨の日のことを想い出して語った。姉にとって、雨の紫陽花は、その日を連想させると以前語っていた。

親の貸本屋の手伝いで、姉と二人、同じ大牟田市内の天領と云う所の支店に泊まりこみで行った時の、近所の街の灯りや、一緒に食べたぶどうの味なども、想い出した。

私にとって、当時の情景を想い出すことは、生きることへの原点。人生への畏敬や感謝の源でもある。

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March 03, 2007

幼児期に聴いたメロデイー

「玉子が三つあったとさ。ミミズが3匹おったとさ。雨がザーザー降ってきた。あっと云う間にたこ入道。」

「今泣いたカラスが、もう笑うた。」

私が3才、4才のころの世界。"驚き"と"泣き笑い"に満ちた、人生の探検への入り口だった。周りの人も、大きな探検の対象だった。そんな目で、また周りを眺めてみたい。

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March 02, 2007

迷い子の想い出

私は3才か4才のころ、街で迷い子になった体験がある。微かに覚えている。こちらの電信柱からあちらの電信柱に走っても、知らない小父さん小母さんばかり。賑やかな商店の前に沢山の人が行き交っても、一人ぼっちになった怖さ。そして交番だったのか、名前や両親の名前を聞かれたような思い出。

トリノオリンピックの銅メダリスト、韓国のドーソン選手は、3才の時に父親とはぐれてしまって、その後会えなくなってしまった。

父に会う為に、有名になって、自分を見つけてもらおうとしたその子供の心を思うと、・・・・・・・。人生は時に凄い試練を与える。余りにも凄い道のりだっただろう。

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March 01, 2007

産油国の、温暖化ガスへの取り組み

昨日は、赤坂プリンスホテルで開催中の地球温暖化ガス削減に関する国際シンポジウムで、産油国としての取り組みを発表するゲストに初めて、会いに行った。

二人で昼食をした時に、彼は、この問題に対する簡潔な要約をしてくれた。また、この問題に対する各社の経営陣の意識のレベルや、各国の実態、また大きなビジネスチャンスとして可能性を熱っぽく語ってくれた。産油国としては、油田・ガス田から出る温暖化ガスを大規模に効率的に回収するシステムを求めている。それがまた地球にとっても必要なことであるとの考えである。

京都議定書と云う、京都と名前をついた国際条約について、産油国の国民である彼が、日本人の私に説明をしてくれたことに、何か、あれれっと驚きを感じてしまった。

また、彼は、プレゼンテーションの時には、身振り手振りで説明し、また漫画のアニメーションを取り入れたり、不思議なタイプのアラブ人だった。昨日の昼に、急に入ったスケジュールだったが、時に、人生の出合いや展開は面白い。何か、この問題への大きな縁になったような気がする。


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