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January 27, 2007

主語と世界観

「皿が割れた」と云う言い方は、日本人には慣れている。誰が割ったのかわからない。

欧米人は、私が割ったとか、彼が割ったとか、割れた原因の主語を明確にする。との話を友人から聴いてハッと思った。欧米人は白黒の区別をつけたがるように思う。

日本語の云い方の中に、宇宙の大自然の法則に調和を感じる深い東洋的発想が隠れていたとは驚きであった。

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Comments

「意図して」割ったものではないものは、その皿にも運命があって、「割れるべくして割れた」といった、自然感がはたらいているのでしょうか。
日本人は我ながら面白いし素晴らしいと思います。

先日の咀嚼の記事を読んで以来、食べるたびに思い出して、よく噛むように意識していますが、これまでいかに「噛んで」食べてこなかったかを再認識します。

Posted by: のほほん | January 27, 2007 at 12:37 PM

のほほんさん、ものごとを他人事のように表現する時、誰も責任を取らない日本システムとビジネス社会では揶揄されますが、日本人の世界観はもっと深いものをもっているのかも知れません。苦笑いものですね。

Posted by: life-artist | January 28, 2007 at 10:03 AM

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