ピッコロ、イタリア語
ピッコロとはイタリア語で、小さいと云う意味。大きいがグラン。
ピッコロとは、とても可愛い響き。幼児番組で聴いた名前。イタリア語を勉強したくなる。
イタリア語の響きやカンツオーネは、時にしびれる。スペイン語やラテン音楽も。
単なるピッコロと云う単語から、お伽の国のような知らない世界への旅が始まる。
ピッコロとはイタリア語で、小さいと云う意味。大きいがグラン。
ピッコロとは、とても可愛い響き。幼児番組で聴いた名前。イタリア語を勉強したくなる。
イタリア語の響きやカンツオーネは、時にしびれる。スペイン語やラテン音楽も。
単なるピッコロと云う単語から、お伽の国のような知らない世界への旅が始まる。
米国で40年以上生活している新谷弘実医師は、米国では一度もビニイルハウスを見たことがないと云う。ビニイルハウスが日本で普及したのは、限られた農地で高い生産性をあげるために日本が発明したものでした。
ただビニイルハウスの農作物は露地物と比べると、ファイトケミカル(ポリフェノール、イソフラボン、カテキン、リコピンなど)が少ないと云うことが云われています。日光や風雨、害虫と云った外的刺激を遮断したビニイルハウスで育った植物は、ファイトケミカルの量が極端に少なくなってしまいます。 ー新谷弘実著"病気にならない生き方、実践編"より-
最近の野菜の栄養低下の一因は、この日本独特のビニイル栽培にあると云われています。
やはり、天は、あらゆる不自然を罰すると云う考えになる。時に利便・効率だけでは、大きな物を失うと思う。
今朝の日経に、"糖尿病専門のレストラン"の記事が載っていて驚いた。大阪府に去年オープンして、人気を呼んで入るとのこと。料理の多くはカロリーを1割~3割抑えた食材を使ってあり、思う存分食べてストレスを解消して欲しいとの女性経営者の言葉が書いてあった。
30年ほど前は、滅多にいなかった糖尿病。食の欧米化で激増した糖尿病。今では、予備軍まで入れると1200万人とか云われる。糖尿病が前提の社会になりつつある日本の惨状に驚き、何とかしなければと思った。
整理整頓の大切さと、健康のことを連想した。人間は、一種のパイプラインの集まり。食物繊維で掃除しながら、スムーズに綺麗に保っていないと、健康は壊れる。
整理して保存するもの、捨てるものを仕分けして、日々の生活を整理整頓しておくことと、それが、こころも身体も健康に保つ重要な要素だと思った。
毎日、何かを捨て、部屋を整理整頓すること、確かに気持ちよさそう。
「皿が割れた」と云う言い方は、日本人には慣れている。誰が割ったのかわからない。
欧米人は、私が割ったとか、彼が割ったとか、割れた原因の主語を明確にする。との話を友人から聴いてハッと思った。欧米人は白黒の区別をつけたがるように思う。
日本語の云い方の中に、宇宙の大自然の法則に調和を感じる深い東洋的発想が隠れていたとは驚きであった。
昨日、"幸福な食卓"と云う映画の試写会を見た。
男子高校生が、自分で働いたお金で、恋人の同級生の女性にクリスマスプレゼントを贈ろうと、新聞配達のアルバイトを始める。毎朝早朝、自分の家に、新聞を配達に来る恋人を、二階の窓からそっと見る日々。
そして、クリスマスの直前に、彼は、新聞配達の帰りに、交通事故で他界する。お互いに、残されたクリスマスプレゼント。彼女が編んだマフラーを入れた袋がそっと、彼女の部屋に残る。窓の外の、新聞配達のポスト付近に目をやる時の辛さは過酷だった。
残された彼女が、それを、乗り越えるのも、家族の力だった。Mr.Childrenの"くるみ"が主題歌に流れ、この曲が直ぐ好きになった。
蛸や烏賊のような柔らかい生き物が、貝や伊勢海老のような硬い生物をどうやって食べるのか、不思議でしょうがない。
渡り鳥は、どうして時差に悩まされないのか? など・・・・知らなくても、普通、馬鹿らしくて余り考えてられない不思議も多い。放ったらかしてる疑問も、時に考えると、人生は驚きに満ちている。
昨日、居酒屋で"青海苔やながわ"なるメニューに驚いた。ドジョウは食べたくはないが、青海苔だけの、青海苔の暖かいスープのような料理だったので、断然気に入った。
海苔の香りは、母と子供時代に歩いた長崎の京泊の浜辺の情景も連れてきてくれる。岩場を歩く小さな蟹や、潮騒の響きまでも。
この半年の間で、知り合った人の珍しい名前、生姜(ショウガ)さん、百足(ムカデ)さん。
思いだすだけで楽しくなる。 童話の世界のように感じる。
娘が子供のころ見ていたアンパンマンの世界を思い出す。
昨日、京橋の中央区民会館の予約(2月末の男の食育勉強会)に出掛けた帰りに銀座を歩いた。銀座の大通りの道路脇の木を覗き込んでる中年の男性がいた。私も、何かわからず一緒に覗き込んだ。メジロだった。緑色の可愛い小鳥、メジロ。「銀座の大都会で、メジロ。不思議ですね。迷ったんでしょうか?」お互いに声をかけた。
ちょっと、1羽のメジロを確かめて、有名ブランドの店など立ち並ぶ通りを歩いて、有楽町駅へ向かった。銀座の中で、田舎のあぜ道を思いださせてくれたメジロ。
現代病は、酸性・陰性食品に偏っていることによって引き起こされていると云う。酸性は血液を汚し、アルカリ性はきれいにすると云う。陰性は広がるエネルギー、緩むエネルギー、陽性は収縮するエネルギー。
酸性・陰性のもの: 砂糖・清涼飲料・菓子・パン・インスタント食品・ラーメン等。薬。煙草。
植物の灰汁(あく)は解毒作用の強いアルカリ性。酸性の毒を中和してくれる。
魚は、身体が大きいほど陰性になる。陰性が強いから緩み、大きく育つ。裏を返せば、小さい魚ほど陽性が強い。
食物の陰陽も、人体のバランスも微妙なバランスの上に成り立っているのだろう。人工的な食品を、美味しく便利など云って摂りすぎると、人体と云う自然は壊れる。人間も自然の一部なのだから。
昨日夜、お台場メリデアンで行われた、コスモ石油ガスさんの設立20周年レセプションに出席した。親しかったロンドンのLPGブローカーと、シンガポールのLPガストレーダーにも再会出来て、とてもHappy Surpriseだった。
彼らとも、今は、仕事の話より、人生論が似合うように感じる。2月21日ー23日には、日本で国際LPGセミナーが開催され、世界中のLPG関係者が集まる。この時は、私は、また、再会の嵐になることを、心待ちにしている。
人は驚きの宝庫、旅も驚きの宝庫、それぞれに芸術。驚きは、目をまん丸くするような、人生のエネルギー。
昨日、頓悟(とんご)と云う言葉の存在を知った。"思いがけない大化け、突然訪れる悟り""突然訪れる幸運"のようなものを云うらしい。 一方、苦労して得る悟りが、禅の悟り、禅悟(ぜんご)とのこと。
もともと、神のように輝くものを持っている人間は、その曇りさえ取り除いてやれば、頓悟が訪れるかも知れない。考えようによっては、人生は小さな頓悟だらけなのかも知れない。
同じ人から年賀状が2枚来ることがあるのは大して驚かないが、よく覚えていない人と何十年も年賀状のやり取りをしていると云う会社の先輩の話を聴いてびっくりした。聴いてた人も、一同大笑い。誰かわからないが、毎年年賀状が来るので、自分も出していると云う。いまだに誰かわからないとのこと。
「昨年は御世話になりました。今年も宜しくお願いします。」決まり文句を思い出すと益々可笑しい。ところで、貴方は誰でしたっけ? と20年後に聴かれたら? 単なる勘違いなのか? ボケなのか? 定かではない。
曖昧な人間関係も、時に、この様な傑作な事態を招く。想い出し笑い。
現代人の1回の食事での噛む回数は約620回、戦前は 1420回、弥生時代は 3990回。
よく噛めば、唾液の抗菌作用で虫歯や歯周病になりにくい、食べ過ぎることもない。
同じ人間でも、4000回と600回の差は凄い。
貴方の中の最良のものを、世に与えなさい。蹴り返されるかも知れません。でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。
貴方の正直さと誠実さとが、貴方を傷つけるでしょう。気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい。
貴方が善を行うと、利己的な目的でそれをしたと云われるでしょう。気にすることなく、善を行いなさい。
人は不合理、非論理、利己的です。気にすることなく、人を愛しなさい。
このマザーテレサの言葉は、凄いなーと思った。
坐禅の哲学で、「自他一如」と云う言葉がある。「自分は他、他は自分」の境地。
全ては一体。そう思うと、全てが愛すべき存在に変わる。
"蛍の墓"の物語の中の、兄の妹への深い愛情。最近の渋谷の歯科医師家族、兄弟殺人事件の兄の妹への憎しみ。深い愛情が故の哀しみ、強い憎しみが故の哀しみ、すさましい人生の哀しみ。
それでも、鳥は鳴き、風はそよぎ、海はどこまでも碧く、人生は美しい。
セレブ、豊かさ、蜘蛛の糸・・・・・。核家族、豊かさ、孤独死・無縁仏・・・・。私の連想。
平凡・質素に満足を感じられる精神の充実があったら、穏かな幸せがあっただろうに・・・・。
親戚・兄弟・近所付き合いを煩わしく感じなかったら、心のセイフテイーネットになっただろうに・・・・。
夢を持ちなさいと簡単によく云われるが、セレブや核家族の夢は、結局「凶器」みたいな物にもなると思う。夢は、人を幸せにしてあげる夢でなければ、凶器にも変わる。個人も社会も勘違いして来たのではないか。夢の中味が問題だとつくづく思う。
今朝の日経の書籍広告に「17才の硫黄島」硫黄島生還者、秋草鶴次さんの著書を見た。
すり鉢山の星条旗を、日本軍は2度も奪還していた、とあった。
すり鉢山に星条旗を立てる米軍兵士の写真は余りにも有名になり、あの写真から米国の決定的な勝利をイメージした人も多かった。
実際は、1日でも長く、米軍の本土侵攻をくい止めようとした、日本軍の捨て身の、執拗な抵抗が、あの写真の後にもあったのだろう。
秋草さんの見た、硫黄島を、静かに読んでみたい。
スエズ以東での需給は緩和するとか、タイト化するとか、石油・ガス 貿易ではよく耳にする。
East of Suezとか云うが、東はそのまんまに決まってる。
East(好い人)も、悪いすと(人)も、どっちだっていいじゃないか? (好い人オブスエズ なら、悪い人オブスエズもいるか?)
私のオリジナルのギャグ、手帖に書いてる。
PS: あしかが将軍なら、オットセイは副将軍。ーお耳直しー
昨日昼、虎ノ門パストラルでのLPガス協会の賀詞交歓会に出席した。懐かしい顔を見付けては、こころ踊るような再会に、会場を飛び回った。17年前、娘のアブダビ日本人小学校時代の同級生のお父さんが当時アブダビ日本大使館勤務であったが、現在、経産省勤務で、会場に見えていて、お互いに感動の父兄同士の再会だった。
また日本の商社出身のロンドンのトレーダー、ブローカーの知人も、来日中で、会場で再会出来た。沢山の再会と名刺を貰って、また、数年前、どっぷりつかっていたLPガス業界の魅力を想い出した。
昨日夜、たまたま見たTV番組"知るを楽しむ"で、チベットの人は、魚も鳥も食べないと云うことを知って驚いた。
鳥葬、水葬の習慣から、鳥も魚も食べないのだそうだ。チベット人では、遺体を鳥や魚に食べさせて葬式をする伝統があったこととの関係で、鳥や魚を食べる気がしないとの説明だった。
魚を食べない国民がいることを初めて知った。
塩は、エネルギーの受け皿。塩は、熱も冷気も発していないが、その熱が陽(プラス)であれ陰(マイナス)であれ、その熱を抱くと云う特徴がある。塩を入れた熱湯はいつまでも熱い、塩を加えた氷はなかなか溶けない。
梅干は、陽性でアルカリ性の食べ物、そして塩分はこの梅干で摂るのが理想。現代人は、陰性・酸性の食べ物が原因での生活習慣病が多い中で、梅干の中和力は凄い。
改めて、梅干の効用に脱帽。毎日食べようと思った。
今朝は、雨も止み、曇り空の中からも朝日が見えた。横浜のベイブリッジの上に朝日が昇る。昨日は、朝から本格的な雨だった。郵便受けポストの新聞を取りに、玄関を開けた瞬間の、久しぶりの大雨。だが、大雨にも何か子供時代に見た大雨の光景を想い出し、妙に懐かしさを感じたりした。
雨や曇り、朝日、毎朝の色々な光景。昨日、見た硫黄島の映画が、まだ頭の中に残像が残っている。硫黄島の1ヶ月余りの地下壕の戦いの中で、兵士は、どの様な朝日を見て玉砕して行ったのだろうと思った。
昨日終業後、夜川崎チネチッタで「父親達の星条旗」を見た。そして今朝、雨の中、「硫黄島からの手紙」も見て、念願の二つの映画を見ることが出来、ほっとした。
島の周りを埋め尽くす圧倒的な軍事力の米軍(上陸軍6万、艦船補給軍22万)を見ても、孤立劣勢2万の日本軍は、怯まず、1日でも長く本土空爆を遅らせようと35日もゲリラ戦で持ち堪えた。昭和20年2月末、硫黄島陥落の後、東京大空襲へと進んで行く。硫黄島の兵士が、武士道の潔い死に方ではなく、ただ1日でも長く、米軍の本土攻撃を遅らせようと、地獄のような環境で地を這い、戦ったことを覚えておきたい。2日3日で決着が付くような戦いを、35日も堪えてくれた栗林中将率いる日本軍が硫黄島にいたことを覚えておきたい。
日常何気なく過ごす35日と云う短い日々も、かつて、この様に生命を賭して守ろうとした兵士がいたことを覚えておきたい。日本の平穏な日を1日でも長く、続けられるために玉砕して逝った2万の兵士がいたことを覚えておきたい。そして、自分の送る何気ない1日の有り難さも、幾多の英霊に感謝を禁じ得ない気持ちになる。
昨日は昼、経団連会館の石油連盟の賀詞交歓会に出席した。懐かしい人達との再会がまたとても嬉しかった。組織の中では、偉くなってる人も、そうでない人も、今の私には余り関心ごとではない。ただ懐かしく談笑している中で、その人の人生に対する捉え方の方に、気が取られた。
甘利大臣、片山さつき議員なども見えて何か挨拶されていた。石油業界は全体で年間約21兆円の売上げで、経常利益が約8000億円、トヨタ1社で同じ約21兆円の売上げ、2兆円の経常利益と比較されていた。そこで、また私は、不図、日本のパチンコ業界の年間30兆円の凄さを想い出した。
世界の平均寿命の一覧(2004年)を見て、驚いた。南アフリカの近くの国々が、大概30代なのにびっくりする。ボツワナ35.49才、レソト35.60才、アンゴラ41.18才、日本は81.8才。同じ人間に生まれて、2倍もの差が現実としてあることに、何度考えても驚く。
日本人は、アフリカの人の二人分の人生を送っているとも云える。
昨日、東横線・武蔵小杉で、友人と昼食をした。武蔵小杉は私が、30代に10年くらい住んだ場所。南武線の改札を見ると、胸がジーンとくる。当時3歳くらいだった娘が、会社帰りの私を、時に母につれられて迎えに来てくれたシーンを想い出す。私の顔を見つけた時の、あどけない娘の笑顔が、改札の場所に焼きついている。
幼稚園の発表会でウサギのダンスを踊った中原区民会館。紙芝居を借りた中原図書館。時は、不思議だ。そのときの時間が蘇る気がする。
昨日、久しぶりで、小杉で会う約束をした友人とのことも、私に小杉時代を想い出させる人生の縁だったのかも知れない。人生の忘れられないシーンは、その後の人生を豊かもにしてくれる。
日本が貧しくとも輝いていた時代、"坂の上の雲"に憧れた時代、そんな時代のことに想いを馳せた。正月と云う節目に、自分にとって納得出来る「そうだ、そう云う生き方なんだ」と云うものを取り戻したい。
静かに、自分の歩むべき道を確認する。20代ではない、30代でもない、40代でもない、幾多のことを経て来た50代の自分が相応しいと想う生き方を、しなければと想う。
人生は修業を重ねて行く過程。修行の成果は、こころの安らぎに現われていく。正月は、静かな、人生の決意の時。
元旦、四国から大牟田に帰省している高校時代からの友人と、大牟田ガーデンホテルで昼、待ち合わせた。大牟田では、唯一の都会的ホテル。何と1800円でお正月料理のランチバイキングがあり、二人でバイキングを食べた。ロビーでは、振袖姿の女性からお屠蘇も飲ませて貰った。正月の穴場を発見って感じだった。
彼は高校時代に一緒にヒッチハイクをした友達で、一緒に2週間も山野での野宿なども体験した。こころ細くなったり、くたくたになったり、大変な旅だった。でも青春の想い出の旅。
人生の色んな場面をお互いに知ってる友人は、こころ落ち着くものだ。穏かな正月のふるさとの街を食事の後、ちょっと二人散歩した。シャッター通りの商店街も、一つの人生の場面のように感じられ、それなりに味わい深かった。
福岡空港のレストランで、懐かしい鯨の刺身で、にごり酒。正月の旅。塩鯨と辛子蓮根の土産を、明日行く小田原の妹の家用に買って、18:40発のフライトを待つ。
今年は、もっと、芸術的に生きたい。今までの人生観を、年ごとに集約した様な、円熟した境地で人生を送りたいと想う。
今年の具体的な抱負を、飛行機の中で考えながら東京へ向かう。
新年も宜しくお願いします。