新年挨拶、life-artist
今年も、有難うございました。
新年は、九州・福岡・大牟田でのお正月です。
新年は、坐禅の修業も深めたいと希望します。人生の喜びも哀しみも、堂々と受け止め、どんな時でも人生に感謝したい。そして、益々、自分自身に雇われたような、人生を送りたいと思います。
新年も、宜しくお願いします。
今年も、有難うございました。
新年は、九州・福岡・大牟田でのお正月です。
新年は、坐禅の修業も深めたいと希望します。人生の喜びも哀しみも、堂々と受け止め、どんな時でも人生に感謝したい。そして、益々、自分自身に雇われたような、人生を送りたいと思います。
新年も、宜しくお願いします。
母の妹が12月15日、長崎で84才で亡くなった。母の面影を感じる人だった。5年ほど前に何十年振りで、長崎に訪ねたのが最後になった。本当はとても縁の深い、大切な人間関係なのに、自分の生活のことが精一杯だったのか、大人になってから、余り付き合いをしてこなかった。子供時代は、母に連れられて、大牟田から長崎へ行き、優しいおばさんのイメージが、強く残っているのに。
何となく、いつかまたと思って、再会を先送りして生活していく中で、大切な人も亡くなっていく。人生では、間に合わないことも、沢山ある。大切なことの優先順位を、考えなければ、人生に悔いを残す。年末年始の、ちょっと時間の余裕のある時に、自分の人生の位置取りを羅針盤のようなもので、確かめることも大切だと想う。
昨日、姫路経由で夕方、福岡・大牟田へ帰省した。朝は、小雪の舞う姫路城を、散策した。初めて見る姫路城。確かに、日本で一番美しい城と云われるものを感じた。初めて見る、美しい場所、美しいもの、人生にはとても好い刺激。
博多駅に着き、駅のポスターの地図で"志賀島"の形を見たら、不図、高校1年生の時の夏、合宿に行った"志賀島"の砂浜を想い出した。中島先生と云う、教師になりたての人気のある、若い男性の先生が連れて行ってくれた。舟木一夫の高校三年生が流行っていたころ。
西鉄大牟田線で大牟田に近づくと、三池山も見え、線路脇には母校の三池高校の赤い丸屋根の体育館が、当時の形で迎えてくれた。
明日の仕事納めの後、19:20品川から新幹線で西へ向かう。九州への帰省だが、まず28日は途中、初めて姫路へ立ち寄ることにした(当初計画の岡山下車を変更)。 姫路城を見たことがない私は、是非立ち寄りたい場所だ。そして翌日の昼、姫路から博多へ向かう。
出発までは、慌しい日々だが、帰省の旅はこころが落ち着く。故郷で、故郷の風景と空気の中で、思索に耽りたい。
昨日の朝は、小田原の妹の家の周りを朝7時くらいに散歩した。畑のそばの道を歩いていたら、私の5mくらい前に、小鳥が路上に降りて来て、私の方に近づいて来た。夏、伊豆の坐禅道場に行った時も、そんな光景に出会った。
小鳥は、おそるおそる私に近づいて、直前で飛び立った。私は、小鳥に身を換え母が来たのではないかと思った。
小田原、開成の田園風景の中から見える山々は、故郷の三池山・大間山とそっくりに見える。私の好きな、田園風景。
白楽商店街の行きつけのジャズ喫茶のママさんは、28日~1月4日まで故郷の下関に帰省のためお休みとのこと。施設に暮らす88才の母親を訪ねる帰省とのこと。言葉の端々に、もう時折、別れの言葉を感じるとのこと。是非、大切な親子のひと時を味わって来て欲しい。
不図、いつか聴いた親子のエピソードを想い出した。「雪の中、見舞いに来た子供に、雪が深くなるのを気遣って、早く帰りなさいと云う母の気持ち」。親の愛情って凄いなーと想う。
大石内蔵助は、愛宕神社のある愛宕山から、遠く両国の吉良邸方面を確認するように眺めたとの逸話を聴いた。
私が働いている職場のそば愛宕山に、そんな逸話もあったことを知り、嬉しかった。今度、愛宕山から両国方面を内蔵助になったつもりで、眺めてみよう。
また、愛宕神社の階段はとても急で、私は登る気が起きず、愛宕トンネル脇のエレベーターを使うが、愛宕神社の階段は出世階段と云って、登ると縁起が好いとのこと。私はエレベーターで登り、階段を歩いて下ったことは何度かある。出世階段と云われる愛宕神社の階段を、登ったことは一度もなく、ただ歩いて下ったことが何度もある自分に苦笑。
昨日、もとの会社の知人を数人訪問した時に、沢山の昔の仲間に会えた。28年の会社生活の中で知り合ったそれぞれの人達との場面が一気に蘇ってくる想いだった。
そして、全ての出来事が、全て自然な、必然の力学で起こっているようにも感じた。人との出合い、関わり、再会もあれば、生涯途切れる人間関係もある。
運が好いことも、運が悪いことも、全てのことは、宇宙の自然の営みの場面ではないかとも想った。毎日の出来事の神秘性を想うと、また人生がビックリ箱のようでもあり、玉手箱のようでもあり、同時に健康に生きていることへの感謝も沸いてくる。この数日、色んな知人との再会や消息を聞きながら、不思議な気持ちになった。
昨日は、17年前のアブダビ駐在時代の知人と昼食をした。彼との話の中から、当時、親しかった知人の名前、消息などわかった時は、大変嬉しかった。
人生には、大切な人間関係なのに、うっかりして、途中で連絡が途絶えてしまう人間関係もよくある。日々の生活に追われ、きちっと連絡先を整理・フォロー出来ないことも多い。
それでも、また、こうして、消息がわかり、再会が出来そうになることは、素晴らしい楽しみだ。これも人生の"小さな驚き"。
食べ物には陰陽のエネルギーが宿っている。陰陽それぞれのバランスが大事で、それぞれに役割がある。現代人は陰性に偏った食事をして、生活習慣病を発症していると云われる。
陰性は広がるエネルギー。植物の茎や葉を伸ばす陰性。内臓や血管を拡張させる陰性。
陽性は集まるエネルギー。植物の根を伸ばす陽性。内臓や血管を収縮させる陽性。
陰性の食べ物: 暖かい、暑い気候の土地に出来るか、暑い季節に採れる。柔らかい、水分が多い、身体を冷やす。新陳代謝にブレーキをかける。
陽性の食べ物: 涼しい、寒い気候の土地に出来るか、寒い季節に採れる。硬い(縮まっている)、水分少ない、身体を暖める。新陳代謝を活発化する。
ー幻冬舎・千坂諭紀夫著「血液力」からー
食物の陰陽のエネルギーに、宇宙や神秘を感じる。
昨日は、会社のOBの方2人と3人の忘年会をやった。退職後、夫婦二人暮らしの生活の様子が、ちょっと考えさせられることがあった。自分が倒れることより、奥さんが病気になったらどうしようと云う不安の大きさ。いずれは、施設にでも入るかな、と云う将来への漠然とした不安などを語っておられた。
頼る人がいる安心感の一方、その喪失への不安も大きい。結局、一人で生きていく覚悟も、穏やかな幸せには、大切なことではないかと思った。その上で、人を愛することは、人生の充実だと想う。
昨日、人生で初めて、新宿の歌声喫茶"ともしび"に行った。東京シテイーガイド文学グループ有志7名。歌声喫茶は、何十年も噂に聴いていたが、敢えて無理してまで行くほどの場所ではないと思っていた。
行ってみると、私が上京した1970年ころの東京の雰囲気があり、美しい歌のオンパレード。昔聴いたメロデイーに、またその歌詞に、深い人生の味わいや芸術性を感じた。歌っていたら、何か民話を聴いている時のような、穏やかな好奇心が心地好かった。
私が大学卒業後、新潟で勤務、二人部屋の寮に住んでいるころ、九州の母がくれた手紙に、幾山河隔てても心は繋がっていますとの文があったことを想い出した。ロシア民謡”灯火”に「♪海山はるかに隔つとも、二人の心に熱く燃える、こがねの灯火とわに消えず」の歌詞を見つけ、母が確かにこの歌を愛唱していただろうことを想った。
「♪帰れ帰れもう一度、命かけたあの夢」、山の娘ロザリオのメロデイーの懐かしさ。そして、最近この歌声喫茶でも最高の人気になっている、「千の風になって」のCDを買って帰った。沢山の人生への想いを反芻させながら、歌声喫茶を後にした。
昨日は、午後、日本エネルギー経済研究所の講演を聴いた。2004年ころを境に、消費国の在庫が高いのに、石油の価格があがり続けると云う異常な事態になっているデータも見た。
石油市場への大型マネーの介入の影響が云われている。2004年以降、需給では説明出来なくなった石油。まさに政治と、巨大資本の手中の中で、ミステリアスな力が働いているようにも感じる。
むしろ、産油国は、潤っていると云うより、翻弄されているようにも感じる。世界で今、何が起きているのか?どのような世界に向かっているのか? そんな時は、むしろ、業界の人ではない人との話が、参考になる。
毎日の事象から、世界史の中での現代を考えてみたくなる。
昨日、白楽商店街の居酒屋の前に、富山県氷見の天然ブリが飾ってあった。10kgで十数万円するのだそうです。
私は、まず「氷見の天然ブリ」と云うものを、今まで聞いたことがなかったし、縁もなかった。店の主人に聞き、店の前に出て、シゲシゲと眺めた。
そのへんのマグロのトロなどより美味しいとのこと。明日の宴会のお客さんに使うのだとのこと。でも、値段から判断して、自分で食べてみたいとは、思わなかった。
また、私にとって、「氷見の天然ブリ」は、人生における小さな驚きであった。
昨日、朝のTVニュースで、アフリカのソレトと云う貧しい国(月収2000円の家族)の子供達の生活がちょっと報道された。
7~8歳の子供達は、給食が目当てで学校へ行き、子供は、自分の食べる分を残して、家族へ持ちかえる様子などを知った。
もう何も説明の要らない人生のシーン。
昨日は、忘年会で、沖縄の海葡萄と云う海草を初めて食べた。沖縄の海、珊瑚礁のポスターのある沖縄の創作料理の店で、沖縄の音楽を聴きながら、沖縄の旅気分を味わった。どれも、伝統食的な、歴史の中で培われたような美味しさ、味わいがあった。
それに、何と、角界ご出身のご主人の、相撲太鼓の実演も聴かせて貰った。TVで好く聴く、相撲中継の時の太鼓の響きを、目の前で聴き、妙に懐かしく感じた。昔、九州の実家で、「大鵬・柏戸・栃の海」時代、遊びから帰って来て、家族で、夕食の食卓を囲んでいた頃なども、フーと蘇ったりした。
驚きが沢山あった今年の、想い出に残る忘年会だった。
昨日の朝出勤途上、砂糖の消費を宣伝するポスターを東横線の電車の中で見つけた。元巨人軍の中畑選手がにっこり笑って、「お砂糖で、脳も心もゼツコーチョー。お菓子を食べて更にゼッコーチョー。」とあった。
現代社会では、それぞれの利害のある団体が、それぞれロビー活動が出来る自由な社会。どう判断するかは、その人の人生観と、判断力それを含めて"生命力"と思う。
食べて、噛んでいるうちに甘くなるもの、米・芋など、昔の日本食の糖分がどれだけ脳にも身体にも好く、素晴らしかったことかと思う。
昨日は、17:16の東京行きの新幹線に乗る前、新庄駅前の質素な食堂に立ち寄った。50代60代のご夫婦で鳥もつラーメン、納豆ラーメン、鯛焼きなどやってらっしゃる、いかにも昔、TVで見た昭和30年代の食堂のような作りの店だった。
私は、熱燗2合と湯豆腐を頼んだ。外は、雪。壁には、以前立ち寄った芸能人の色紙が少々。中で、「人生8勝7敗、各駅停車」と云うのも私の心を惹いた。
戦後直ぐからこの店は始めて、今のご夫婦で3代目とのこと。銀山温泉は、おしんのお母さんが、酌婦として働きに来た温泉であったことを、この食堂の女将さんの話で初めて知った。外人の女将さんで有名な旅館や、大正ロマンのハイセンスな温泉、銀山温泉。おしんのお母さんは、どんな思いで銀山温泉で働いたのだろうと、はっと温泉への新しい思いが加わった。おしんとお母さんの別れの、雪の最上川は、どの辺だったのでしょうと、私は尋ねた。私には、女将さんが云った地域の名前がわからなかった。最上川下りの観光のポスターに、おしんとお母さんの別れのシーンがダブって浮かんだ。
山形は日本海方面には酒田や新潟が近い位置にある。昔、米沢の田舎の畦道を、真っ白な銀世界の中、蓑をかぶり三味を持った鼙女(ごぜ)が歩いていたと云う。
どんなにか人生が厳しく、そしてまた自然の美しい情景があったことだろう。真新しい雪の上に点々と続く人の足跡が、どれほど愛しく感じられたことだろう。
今朝、山形から新庄へ向かう2両編成のローカル線に乗り、北へ向かう奥羽本線の車窓から今年初めて、雪の降る田園光景を見た。向い風に、斜めに流れて行く細い雪。時おり見える、まだ残る柿の実の、赤い色。人生ってこんなに感動的だったんだと云う瞬間。
人生の全ての情景が蘇る。昔、青春時代に住んだ雪国新潟の情景も想い出す。私にとって、今年の初雪は、山形への旅。55才の冬の旅。
先週は、まとめて、ちょっとした仕事上の問題点の多い週であった。予期せぬ事件、予期せぬ展開、予期せぬ解決、予期せぬ幸運など、入り乱れ、人生における神の裁量、自然の微妙な展開のあやの存在を思った。ただ、その自然の展開に身を任せ、起こった様々の現象の意味を感じとっていこうと思う。
昨晩は終業後、東京駅へ向かい、新幹線で山形へ来た。人生で、初めて降り立つ山形駅。夜10時の山形駅西口のイルミネーションは、綺麗で、綺麗で、幻想的だった。
先週は、人生の色々な場面を考えさせられる一週間だった。土日は、私にとっての新大陸発見のような、山形の旅を体験したい。
昨日夜は、7~8年前のLPガス開発に関する西シベリア調査委員会の同窓会だった。毎年、何となく集まって、シベリア出張の時の想い出話や、ロシアの話、自分の近況など語りあっている。私は、その15人ほどのメンバーの中で、何の用事が当時あったか、唯一、シベリアの現地調査に参加していない。それでも、楽しくロシア、シベリアの話を聴かせて貰っている。いつか、旧日本だったサハリンにも行ってみたい。ロシアは、何となく重苦しい雰囲気を感じる国だが、母が好きだったトルストイの文学を生んだ国。ミステリアスな国。
ある商社員のメンバーはその後、ナイジェリア駐在をやったとか、ナイジェリアに住んでみた感想にも驚いた。国民性について、是非、その背景を探求したくなる国だ。
このような、同窓会は、脳に刺激になって、別世界が見れてとても好い。
通勤途上の道に、薄茶色と白の交ざった色の、ちょっと太めの犬、コーギーを連れて散歩している人がいた。コーギーは時折、座り込んで、後ろを歩く私の方に目を向けた。
コーギーの目は、何故か優しく、亡くなった父の目を直ぐ想い出させる。伏し目がちに、気が弱そうに、でもとても愛情のある目をしていると思う。
最高に頑張っていたのに、遠慮がちに、伏し目がちに、私を覗きこんでいた父。本当は、どれだけ私を愛していたか、今の私にはわかる。たまには、一緒に酒を酌み交わしてやれば好かったと思う。
もうすぐ、父の住んだ満州時代の同窓会、鳳城会の東京在住の縁者有志の忘年会がある。私の万難を排しても出たい忘年会です。戦後生まれの50代半ばの私にとっても、父が住んだ満州は、大切な想い出の世界です。
昨日の夕方渋谷ハチ公前で、女性の阿里耶と云うシンガーが歌っていた。「♪低目の野望・・・♪緩めの目標・・・♪でも、あったまりたいの・・・・」って、オリジナルっぽい、大きなアクションの振り付けで叫ぶ様に歌っていた。
"低目の野望"って言葉に、彼女の持つ若者の迷いや、一所懸命さ、素直さも伝わる。あの大勢が行き交う渋谷ハチ公前で、渋谷で最低はCD8枚は売りたいなーとマイクで挨拶。歌の後、2分くらいして、30代くらいの男性が1枚CDを買った(@1,000円)、私も今日の想い出に2人目のCD購入者となった。彼女は、とても喜んで、歌のどこが良かったですか?と聴いて来た。咄嗟に、"低目の野望って言葉です"と答えた。
"低目の野望"って、何だか、可愛らしい人生観だなと思った。野望って、人生のはしかみたいなものかなとも思った。最近、ハチ公前に設置された、緑色の丸っぽい形の大昔の東横線の車両を見ながら、政治家になって目立ちたいなどの野望を持っていた大学時代の自分が、愛しく想い出された。
昨日は、横浜みなとみらいの万葉の湯に初めて、忘年会で行った。憩いの広間は、規模は違うが、子供時代に行った、九州の船小屋温泉の温泉センターの光景を想い出させてくれた。露天風呂から、横浜の海も、鮮やかな群青に見えた。そして、先週の一週間とは、全然違った話題で、酒を味わいながらの忘年会が、大変心地好かった。
昨日の朝、近所の洗濯屋さんへ行くとき、今年の夏に亡くなった近所のおばさんの家が、取り壊されている光景を見た。 よく挨拶を交わしていた、79才の一人暮らしのおばさんの家の前は、家の前を通ると、いつも胸がキューと悼んだ。そして、昨日の朝は、おばさんが住んでいた家の柱も壁も、茶色の土の上に塵の様に散らばっていた。かろうじてまだ、ベランダの鋼材が形をとどめ、ブルドーザーが敷地の中に放置されていた。いよいよ、おばさんが住んでいた証拠が消えると思うと、辛い光景だった。心の中で、またおばさんに挨拶した。穏やかなおばさんの笑顔を忘れない。12月23日の町内会の忘年会で、また町内の人と、おばさんを偲ぼうと想う。
先週は、中東・日本の石油会社の沢山の会談に同席した。業界の置かれている状況、課題点を、まとめて把握するのにとても好い機会になった。
また、中東・日本側の双方の人間模様、人徳、哲学、人間としての余裕もゆっくり観察させて貰ったこともとても新鮮だった。
今日は、横浜みなとみらいの温泉での、パソコンソフト(マイツール)の愛好者の会の忘年会。土日は、全く別世界に身をおこうと思う。
嵐山光三朗さんの芭蕉感が新聞に出ていた。
「芭蕉は旅の魔術士。カメラの代わりに俳句で風景を描く。旅する心は感性のリレー。風景や建物は朽ちても文芸は朽ちない。団塊の世代も、人生の再出発と肩をいからせるのではなく、下り坂を楽しむくらいで、旅を始めて欲しい。」
私も、旅先の光景を、時折メモに書きながら、旅するのが好きだ。27日から、JR東日本の”大人の休日クラブ”の期間が始まった。旅への憧れに、また身を任せようと思う。