« September 2006 | Main | November 2006 »

October 31, 2006

庭に宿る神

30日、宗教学者・山折哲雄さんが、京都おこしやす大学(半蔵門FMホール)で講義をしてくれた。

山折さんは、京都を訪れる人々が、何時間も庭を見て過ごす人も多いことに気づき、人々は、庭のかなたに、神々の気配を感じているからではないかと説く。それは、100年や200年で培われたものではなく、人間の心のDNAみたいなものではないかと云う。

仏像に惹かれるのではなく、庭に惹かれるのも、確かに自然への信仰心に他ならないかも知れない。

| | Comments (0)

October 30, 2006

べか舟

べか舟とは、一人乗りの海苔採取用の木造船のことです。昨日は山本周五郎の青べか物語の舞台、浦安を東京シテイーガイド有志10名くらいで散策した。明治・大正そして、昭和46年浦安が漁業権を放棄するまであった浦安の漁業の光景を想像しながら、歩いた。当時の商家や漁師の家が文化財住宅として保存されていて、素晴らしい。

浦安は、"安らかな漁の栄える浦"であって欲しいと云う願いが込められた名前であった。

20代を浦安の船宿で過ごした山本周五郎は、その船宿の当時小学生だった長太郎と、30年振りに再会する。「その時、彼を「長」と呼び、彼が「おう」と答える時に、私の心には、30年と云う時間の距離は無かった。」と周五郎は記している。その船宿・千本は、今も船宿・吉野家として、境川ヘリに残っている。


| | Comments (0)

October 29, 2006

子供の世界、壷の中の世界

駅や電車の中で小さな子供を見る時、よくその子供の中の世界を想像する。表情の穏やかな子も、寂しそうな子もいる。昨日朝、駅のホームのベンチに若い母親と5歳くらいの女の子がいた。女の子は、ベンチの上に放置された紙切れを好奇心から触っていたら、かなり激しく母親に叱責された。それは発作のような怒り方で、愛情というより、ヒステリックなくらいだった。女の子は、叩かれ、肩を引っ張られ、悲しみのどん底に落ちた表情をした。

逃げ出したいけど、逃げられない。生きていくには、親の感情に合わせるしかない子供の人生の閉塞を思った。子供には無限の可能性があるといわれるが、子供にとって、親は選べなく時に世界は壷の中のように狭く、可能性なんて考えられないこともあろうと思った。子供であればあるほど、人生の幸、不幸の振幅を感じる度合いも大きく、人生は過酷過ぎるかも知れない。

解決する術も、思考力も育っていない子供に、過酷な感情や状況が訪れた時、子供は世界をどう見るのだろう。地獄も廃墟もはっきり見て、哀しい表情がしみこんでいくのだろう。

心からの愛情をこめて、子供に接したら、メルヘンのような、穏やかなおとぎの世界が、子供達の心に広がると思う。

| | Comments (0)

October 28, 2006

土から飛び出してる大根の根

昨日、終業後、小田原の妹の家に来た。今朝は、大好きな田園風景の散歩をした。

大根の白い根っこが、土の上に10センチくらい飛び出している様子がとても不思議に、また滑稽にも思える。何故か布団から飛びだしてる子供のように見え、土の中に押し込めてやりたくなる。白っぽい薄緑の、長ネギが50センチくらいまっすぐ畑の土から天に向かって聳えている様子もたくましい。

田んぼのそばをサラサラと流れる水の音、道で出会う人、知らない叔父さんや叔母さんに「お早うございます」と声をかけると、間髪をいれずに大きな声で「お早うございます」っと返ってくる。

私の、心休まる大好きな光景。

| | Comments (0)

October 27, 2006

"ひだるか"

昨日夜、下北沢で映画"ひだるか"を見た。"ひだるか"とは九州・三池の言葉で、「ひもじくてだるい」状態の言葉。確かに、故郷で聴いたことがあった。

総資本対総労働の戦争だった三池争議を、その子供の世代が描いた映画だった。弟を大学に出すために、第2組合に入ったヒロインの父。社会や生きて行く為には第2組合的な生き方が求められることが多いのが人生。

指名解雇された労働者1200名を、全国の労働者がカンパして支援したころの炭鉱労働者の主婦達の映像も残っていた。女達も貧しくとも、団結して戦った。ホッパー(石炭出荷施設)の前の攻防に命がけで、2万5千人がピケをはり、1万人の警察官と対峙した。

私は、江戸時代の"天草の乱"のようなものを感じた。労働者が余りにも美しく、哀しく滅びていった。生前、父母に三池争議について意見を聞いたことは無かったが、炭鉱関係者ではなかったが、父母は、まちがいなく第1組合を支持したと思う。私達兄弟姉妹6人を育てた実際の生き方とは違っても。

"ひだるか"は三池以外の土地では、よく「ひもじい」の意味に使われるという。"ひだるか"は過酷な炭鉱労働者が、作業中に疲れて、"腹はすいているのだが、身体がだるくて食べられないような状態"を表現したのだと思う。

監督は、この"ひだるか"感と現代社会を、重ねて捉えている。真剣に生きる、必死に生きることに、人生への愛しさを感じながら、深夜の賑やかな下北沢をあとにした。

| | Comments (4)

October 26, 2006

頭、7kg

成人の頭の重さは約7kgとのこと。7kgの重さを支えて歩くには、姿勢が大事だといわれる。確かに、前かがみだと、さぞかし骨に負担だろうと思う。

人間の骨は、小さなバラバラな骨が組み合わさっているから、しなやかに、色々な形に動くことができる。骨を動かす筋肉。人体ってすごいなーと感じる。

| | Comments (0)

October 25, 2006

空蝉(うつせみ)

昨日夜、平安時代に着た十二単(じゅうにひとえ)の着付けを、銀座ヤマハホールの「京都おこしやす大学」の講義で初めて見た。十二単と装束姿の当時の男女を見ると、幼い時代に見た雛人形を想い出した。一緒に父母の顔も浮かんできた。古い汚れた小さな雛人形だったが、何十年も昔の雛人形の顔まで想い出した。

十二単は着るのは大変だったが、脱ぐのはまとめて脱ぐので簡単だったと云う。十二単が重ね着のまま、優雅に脱ぎ捨てられている様を、宮内庁出身の方の説明では「空蝉」とも云ったと云う。

フェリス女学院、三田村雅子図書館長の説明で、源氏物語の世界を覗いてみた。

| | Comments (2)

October 24, 2006

18.36.72.144 不思議なリズム

1分間に海の波は約18回打ち寄せると云う。人の呼吸も1分間に約18回。

18+18=36度Cが平熱。 36+36=72が脈拍。 72+72=144が血圧。

引き潮で産まれ、引き潮で死んで行く人間。

このような話を聞いた。大宇宙が、人間と云う小宇宙の中に存在しているかのような気持ちになれる。

| | Comments (4)

October 23, 2006

断食明け休暇

今日は、イスラム国の断食(ラマダン)明けの休暇の日で、私も特別な休暇となった。アラブの人にとってはお正月のような時、"イッド・ムバラク"と御祝いの言葉をかけ合って祝う。日の出から日没迄の1ヶ月間の断食をすることで、心も身体もリフレッシュするアラブの人達。人間というシステムの定期点検のようなもの。明日から新鮮な気分で、晴れやかなアラブの人達と会えると思う。

パソコンも18日にノートパソコンMebiusを購入、昨日やっと無線接続をセットアップ、ブログが書けるようになった。今日は、以前と同じメールアドレスの設定をする予定。また、ブログで何かを表現できる生活に戻れる。以前のパソコンが壊れたことで、残念だったけど、ラマダンのように、精神の点検ができたかも知れない。

| | Comments (0)

October 17, 2006

パソコン不調

14日から自宅パソコン不調で、近々買い替え予定です。ちょっと記事を書けない日々が続いています。

| | Comments (0)

October 14, 2006

刀匠の家

昨日は,長い付合いの友人と飲んで入る内に,その友人が8代将軍吉宗に献上した刀(国宝)で有名になった玉置一平安代の9代目当主だと云うことが判った.彼は途中から姓が変リ,その奥さんの家系がそうであったことを昨日初めて知った.大きな驚きだった.

人は関心が無いことは,見てても見えていない世界だったのだとつくづく思った.日本刀の美に関心がある人にとっては,名前ですぐ,ピーンと関心が湧くことだったのかも知れないのに,何十年も親しい友人なのに知らなかった.

最近,私は美術館にも関心が深くなり,日本刀の芸術性にも少し関心が出てきていた頃なので,これはビックリだった.人の持つ知らない世界がこれほどまでに衝撃的に現れたのは初めてである.

今までどおりの居酒屋で飲みながらも,素晴らしい境地だった. 人生の新たなパノラマを見る思いだった.

| | Comments (0)

October 13, 2006

油と糖分を絶つ療法

九州大学薬学部島添隆雄先生は云う。癌もアトピーも、油(リノール酸)と糖分を徹底的に絶つことで治す方法がある。逆に云えば、それくらい油(リノール酸)と糖分は恐いもの。

リノール酸は体内でアラキドン酸に変り、アラキドン酸はプロスタグランジンと云うホルモンを造る。プロスタグランジンは血管に好い作用もあるが多過ぎると炎症も造る。アレルギーのもとのロイコトルエンと云う物質も造る作用がある。

日本のサラダ油のリノール酸 対 アルファリノレン酸 比率は 80 : 1 。 極端にリノール酸比率が高いのがサラダ油。 理想は 2:1 。 アルファリノレン酸( 代謝してEPA,DHAに変る)比率が高いのは紫蘇油とのこと。 サラダ油を紫蘇油に換えることで、アレルギーは大改善するとの説を島添先生は唱えている。

油と糖分が病気のもとと云う説は、私も食べ物で実験するとそんな気がする。身体で、その違いを感じれる気がする。

| | Comments (0)

October 12, 2006

恵比寿ガーデンプレース

昨日は、早朝、来日中の外国のファンドトレーダーの友人との朝食ミーテイングで早く出かけた。恵比寿のウェステイン・ホテルは、そのようなトレダーには似あう場所であった。若い頃、この様な高級ホテルに泊まれて、バリバリの仕事をするなんて憧れていた。今は、むしろ千利休のような質素な芸術世界が性にあっている自分に気づく。

仕事の話も凄いなーと思いながらも、色々な人生や、そのときどきにおける人生の関心事の違いを感じた。昔知りあった友人と沢山再会する度に、それぞれの人生の旅の光景を思った。

それでも、色々な友人達が活躍してる様子は、頼もしく、時には愛しくもあった。朝食の後、恵比寿ガーデンプレースの近代的な街並みを歩きながら会社ヘ向かった。

| | Comments (0)

October 10, 2006

"梁塵秘抄"

平安時代末期、後白川法王は、当時の流行歌・今様を集めて、"梁塵秘抄"と書いたと云う。日本の歴史で馴染んだ名前でも、名前の由来は、これまで知らなかった。

中国古代の歌手の歌声が、思わず落涙する程の美しさとであったことを表現した由来だと云う。

梁(うつばり)に溜まった細かい塵(ちり)、声の響きに乗って舞い立ち、三日間も落下沈着しないほどだ。梁の塵が舞い上がるほどの美しい歌を集めた大切な本であると云う名前の由来とのこと。

一昨日の合唱団のコンサートの曲名に"秋来ぬと"と云うのがあり、"梁塵秘抄"よりと解説があった。

| | Comments (0)

October 09, 2006

"空の名前"、"結い立て"

暁、夜明け、東雲、朝焼け、筋雲、羊雲など、"空の名前"が、ピアノと女性コーラスで流れてきたらどうだろう。辿ってきた人生の情景が、想い出され、神秘的な空間に入り込む。 曲の信長貴富氏の解説に、多彩な空の表情を鮮やかな音のパレットで描いたような曲にしたいとあった。私は、故郷の裏山で夕暮れに母と見た空、姉と見た空を想い出した。

昨日、日本女子大の卒業生の方々が1964年に結成された伝統ある合唱団の定期コンサートに初めて行ってみた。確かに、素晴らしいものであることがわかった。

混声合唱に"ゆったて哀歌集"(五木宏之 詩)と云うのがあった。"結い立て"とは、会津地方の言葉で、山道などの立ち木に「私は今ここに来ています。あなたとお会いできずに」と結び残しておく置き文のことらしい。人生には、このような哀切な場面がある。多くの"ゆったて"は、相手に届かず、空しく残されたままになっている。その哀しみを歌うと解説にあった。

| | Comments (2)

October 08, 2006

鬼武みゆきさん、Jazz

昨日は、横浜ジャズ・プロムナードの日だった。 トップバッターで、12:00から開港記念館の最前列で、鬼武みゆきトリオの演奏を聴いた。私が、7年~8年前に横浜・馬車道のジャズ喫茶"エアジン"で初めて、彼女の清楚なピアノの演奏を聴いた。その後、2002年、私が会社を辞めた年、ファーストアルバムのCDが出た。 よく聴くようになったので、私の人生の節目とかには、彼女のピアノの演奏を時折想い出す。

昨年、ゴッホが晩年を過ごしたと云うフランスのオペル・シロワーズと云う所をゴッホを偲んで旅して作曲したと云う"SunFlower"と云う曲も披露してくれた。毎日を小さな旅ととらえる彼女、そして大きな旅が人生。

横浜生まれの彼女、ある日、山下公園を歩いていたら、雨が止み街中がキラキラ輝いて見えたと云う。その時の感動を"Rain"と云う曲で表現したと云う。

演奏終了後、彼女のセカンドアルバム"Little Journey"を買って、彼女にサインしてもらって会場をあとにした。

| | Comments (0)

October 07, 2006

こうすけ君

昨日朝、神谷町の駅で、アブダビ駐在時代の友人と偶然会った。アブダビ日本人学校で小学生の時の娘と同じ年の男の子、"こうすけ君"のお父さんだ。

日本人の数家族で一緒に砂漠ツアーに行って、砂漠のテントのそばで、砂の上に大の字になり、満天の星を見たことを想い出した。星を見ながら話す小学生の"こうすけ君"の声を鮮明に想い出す。彼も今年大学を卒業して就職したとのこと。

神谷町駅での2~3分の立ち話しの小さな同窓会を終え、雨の中だったが、清々しい気持で会社ヘ向かった。

| | Comments (0)

October 06, 2006

マドンナの歌

昨日の驚きは、初めてマドンナの歌をカラオケで聴いたこと。職場のグループで懇親会でした。

TV画面の歌詞をよくみると、凄い表現力などと思ったりした。人間の一場面をよく、表現してるものだとも思った。「マテリアル・ガール」(唯物論の女性の歌)などは、唯識論の私にとって、極端過ぎて寧ろ新鮮に可笑しかった。

| | Comments (0)

October 05, 2006

調停委員懇親会

昨日、調停委員の同期の会があり、辞めてからも今まで通り参加させてもらい、とても嬉しかった。日々、人生の大変な場面にいる当事者と接する職業であるが故に、調停委員の人達には、サラリーマンにはない独特の緊張感と人生観があるように思う。関わる事件に、自分の人生を照らし合わせてみたり、自分も日々の研鑽・修業をしながら、当事者の人生の重大な岐路に立ち合う。

ちょっとした会話にも、極端な方向にはいかない安心感がある。"聞き役の職業"ならではの穏やかさのようなものがある。改めて、調停委員の方々のユニークさを認識した。

そして、数人で、二次会のカラオケにも行った。ナツメロ、演歌に、それぞれの人の人生観もちょっと垣間見て、調停の雰囲気とのアンバランスが面白く感じられた。また、これからも、時折調停委員の懇親会に出させてもらって、私も、人生観のバランスを保っていきたいと思う。

| | Comments (0)

October 04, 2006

柿本人麻呂

JR西日本の奈良旅行のパンフレットに、東大寺の頭上に輝く秋の月の写真が載っている。

そして、「天の海に、雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」と云う歌がポツリとある。 柿本人麻呂の作。

月を舟に見たてる心が風流で、しびれる。

| | Comments (0)

October 02, 2006

象を食べる?

「象を食べる時どう食べる?」と云う問いに面食らった。「食べません」と思ったが、物事を計画的にやっていくにはどうすべきかの例えであった。

2年で食べるなら、365日X2年で割って、毎日これくらい食べれば、2年で食べれるとか、3年なら云々とか、、結局、大きな目標は、毎日これくらい進めて、近づいていくとか、そういうロードマップ、道しるべのようなものが必要と云う例えであった。

バルセロナの教会サクラダファミリヤは約220年前に着工、まだ約100年要る工事だと云う。300年以上かけて建設中。

私の人生で、色々な工事をやるのに、資材を放ったらかして、工事中断や、何を工事しているやら、わからない作業も多いことに気づく。

私は、人生は、決して効率ではないと思っている。だが、何を工事したいのか、何を造りたいのかは、ある程度明確でないと、充実しないものだと思う。特に年を重ねてくるとその気持が強くなる。

| | Comments (0)

October 01, 2006

旅する心

心とは、"教育された本能"と云う。人は何故、旅するのだろう。知らない自然の光景、人々の暮らし、人との出会い。

それは、人生の讃歌ではないかと思う。蝉は生まれて7年くらい地下で過ごし、地上では7日間くらいで生涯を終る。春も秋も知らず、今が夏と云う意識もなく、ただ鳴き、木々を飛び渡る。蝉の声が、生命の協奏曲のように聴こえる。

小さな旅であっても、人は旅することによって、この世が、どのようなところか、を深く味わうことができる。旅は、生きていることの確認作業ではないかと思う。自分の人生の出会いや光景を、深く心に刻むことができる。

| | Comments (0)

« September 2006 | Main | November 2006 »