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August 28, 2006

人指し指の上の野鳥

26日朝、27日朝、伊豆天城の坐禅道場で、早朝4時からの坐禅をした。26日の朝、6時過ぎ、坐禅の休憩時間に、道場の周りの散歩をした時のこと、私の後ろで突然、パタパタと音がした。振り返ると、道路の上に、可愛い小さな小鳥、こちょこちょと用心しながら、私の様子をうかがっている。人懐っこい小鳥。

私は、嬉しくなって、ちょっと小鳥に話しかけると、もっと近づいて来た。私の周りを、低くぐるっと回ったりした。私は左手の人差し指を、横に枝代わりに差し出してみた。小鳥が乗ってくれたら、凄いナーと思って、期待してみた。

何と、山の中の野鳥が、私の指に止まってくれた。ダイダイ色や灰色の混じった、それは小さな可愛い小鳥だった。何かを、伝えに私に来たのだと思った。心の中で、一挙に涙が溢れ出した。母だと確信した。

この事を、坐禅に来ていた、同じ会の人に話したら、「修業が、進んでらっしゃるからですよ」と云われ、この事も、また凄く嬉しかった。小鳥が近づいて来たのは、私が自然と穏やかに調和していたとすれば嬉しい。

清々しい朝の伊豆山中での、小鳥がくれた感動と幸せ。

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Comments

自然との調和・・・素晴らしいです。
素敵な体験をされたのですね。(*^o^*)
最近、我の強い部分の私が表に出たがって仕方がありません。
どんな時も穏やかで居られる自分が理想なのですがね。

Posted by: ごーすと | August 28, 2006 at 09:50 AM

Life-Artistさん こんにちは!

『小さな可愛い小鳥だった。何かを、伝えに私に来たのだと思った。心の中で、一挙に涙が溢れ出した。母だと確信した。』これを読んで教室の先輩の方の作品で泣きながら読んだ『メジロとなり帰ってきた弟 昇』が浮かんできました。http://fumimama.cocolog-nifty.com/fumi/2005/03/post.html

Posted by: りりー姫 | August 28, 2006 at 11:46 AM

ごーすとさん、私にとって、全てをあるがままに受容する禅の思想は凄い救いでした。何事も自然のなせるわざ、そして全ては自然に帰って行くように感じます。人生を、まさに本来の自分に帰るプロセスと考える事もいいものです。

Posted by: Life-Artist | August 28, 2006 at 11:26 PM

リリー姫さん、「メジロとなって帰って来た弟」の話、読ませてもらいました。特攻隊のホタルの話もそうです。小鳥や虫も、何かを伝えに来ているのかも知れません。感じる受信機の感度次第で、メッセージが聴けたり、聴けなかったり。

草や木、空や空気も、全ては、何かを語りかけているかも知れませんね。耳を澄ませば、人生は素晴らしい世界ですね。

Posted by: Life-Artist | August 28, 2006 at 11:35 PM

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