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August 31, 2006

街の風景、社会の激変

昨日、六本木ヒルズ、汐サイトにある会社を挨拶訪問した。4年前にはなかった最先端のビルに激変する時代を感じる。六本木ヒルズ駐車場で見かけるみたこともないような高級車。高級なレストラン。

一方、報道で知る、社会的・経済的に、追い詰められた人の事件の増加。夜は、ツカサグループ代表川又三智彦氏の講演を聴いた。彼は、大富豪から大貧民になった経験から、今では動物的感覚で、独自に、社会・経済的変化を敏感に強くとらえている。大きな不安定期に入っている日本の現状を感じる。

私が、川又氏に興味がある点は、彼の昭和30年代村構想(伊豆・伊東)を熱っぽく語るところ。路地で遊ぶ子供、縁側で猫を抱いてただ座っているだけでもサマになるお年寄り。彼は、安定した、穏やかな社会には、ほのぼのとした風景のように、年寄りがいてもらわないと困ると云う感性。アルバイトの金を払ってでも、年寄りに、エキストラのように、その街にいてもらわないと困ると云う発想。とても素晴らしいと想う。

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August 30, 2006

4年振りの会社

4年振りに、もといた石油会社本社の関係部に挨拶周りした。28年いた会社だから、実家ヘ帰ったような気もした。
これから私はアラブ側の会社の立場であるが、とても懐かしい人達に囲まれ、また、以前と同じように仕事ができることを、とても幸せに感じた。

会社を早期退職した時は、このような展開は全く考えていなかった。人生の展開に、神秘的なものも感じる。

今年春、大学を卒業して就職し、千葉で一人暮らしをする娘が、今回の私の石油・ガスの仕事への復帰祝いにハンカチをプレゼントしてくれた。早速、そのハンカチをポケットに通勤した。娘と仕事の話もしてみたいと思う。

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August 29, 2006

「緩める」ことの凄さ

太極拳は、「動く禅」と云われることを知った。伊豆の坐禅道場にちょっとだけ見えた住職の知人の方は、太極拳を20年やっているとのことであった。(道場の住職は、太極拳の著名な師匠でもある)

太極拳の極意は、「緩める(ゆるめる)こと」と感じた。緩めることに、色々な段階があり、修業の度合いが現れる。「緩めること」の中に、ちょっと力を逃がすことに、人生の意思力が最大に発揮される感覚を感じた。

彼は、太極拳の形より、その内なる「気」を込めることに毎日の練習の時間を費やすとのこと。太極拳は、形を真似して、遊戯や体操のようにやっては、表面的で薄っぺらなものになってしまう。

住職も云う。坐禅から昇る道、太極拳から昇る道、結局は同じところヘ到達すると云う。太極拳は「動く禅」。太極拳は、「緩めることで、最大の力を発揮する人間のエネルギー」と感じた。

緊張してる時は折れやすい、崩れやすい、緩めることは精神も肉体もしなやかに強靭にする。人生の成熟度合いは、緩め方の良し悪し、緩め方の度合いだとひらめいた。

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August 28, 2006

人指し指の上の野鳥

26日朝、27日朝、伊豆天城の坐禅道場で、早朝4時からの坐禅をした。26日の朝、6時過ぎ、坐禅の休憩時間に、道場の周りの散歩をした時のこと、私の後ろで突然、パタパタと音がした。振り返ると、道路の上に、可愛い小さな小鳥、こちょこちょと用心しながら、私の様子をうかがっている。人懐っこい小鳥。

私は、嬉しくなって、ちょっと小鳥に話しかけると、もっと近づいて来た。私の周りを、低くぐるっと回ったりした。私は左手の人差し指を、横に枝代わりに差し出してみた。小鳥が乗ってくれたら、凄いナーと思って、期待してみた。

何と、山の中の野鳥が、私の指に止まってくれた。ダイダイ色や灰色の混じった、それは小さな可愛い小鳥だった。何かを、伝えに私に来たのだと思った。心の中で、一挙に涙が溢れ出した。母だと確信した。

この事を、坐禅に来ていた、同じ会の人に話したら、「修業が、進んでらっしゃるからですよ」と云われ、この事も、また凄く嬉しかった。小鳥が近づいて来たのは、私が自然と穏やかに調和していたとすれば嬉しい。

清々しい朝の伊豆山中での、小鳥がくれた感動と幸せ。

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August 25, 2006

カジュアルデイ、週末坐禅

今日は、初めてカジュアルな服装で会社ヘ行くことを体験する。通勤時間帯に、ヨレヨレのカジュアルで電車に乗ったら、新鮮な驚き。ちょっと楽しみでもある。

終業後は、坐禅の修業ヘ2泊で伊豆山中に籠もる。私のヴェーダンダ哲学の先生、山口住職がいる「一灯禅林」と云う道場に泊まる。房総館山の道場には大海原を見晴らす「自照庵」と云う庵がある。共に私の精神の修理工場みたいなところ。

明後日の日曜日の朝、坐禅を終え、横浜への帰りは、2500円各駅停車乗り放題の"JR青春18切符"で、伊豆半島を探検して帰ろうと思う。


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August 24, 2006

1989年アブダビ

久々に、慣れ親しんだ業界の人達と少し、話たリ、会ったりし始めると、1989年に、私がアラブ首長国連邦ヘ海外駐在で赴任した頃のことが、ワーと頭の中に浮かんで来る。

アラブは、異次元の世界に飛びこんだような、新鮮な驚きの世界だった。「驚き」の魅力への扉だった。

父の満州の同窓会のように、私にとってアブダビの同窓会は、私の人生の原点のようなもの。昨日は、当時一緒にアブダビに駐在していた友人数人との会食し、当時の自分と再会する思いだった。

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August 23, 2006

昭和20年のクリスマス

1945年(昭和20年)のChristmasの日、旧満州の新京(長春)は朝から粉雪の舞う寒い日の朝だったと云う。難民収容所そばの雪の中で、孤児の3才の女の子、のんちゃんは赤い靴下を持ったまま・・・・死んでいたと云う。

終戦の年のソ連軍の侵攻の混乱の中、3才の、のんちゃんの母親は、「サンタのおじいさんと一緒に逢いに来るから・・・」と、のんちゃんに言い残して亡くなったと云う。通りかかった日本人が、のんちゃんを収容所につれて来てくれた。

当時、17才で収容所にいた男性の記録が、昨日の朝日新聞・横浜版に載っていた。彼は、のんちゃんに「サンタさんは来ないよ」と教えてやればよかったと後悔している。 余りにも、哀しくて、美しい、人生のシーンだと想った。

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August 22, 2006

会社帰りのJazz"Blue Note"

昨日は、懐かしいものの洪水だった。業界の言葉、業界の人達の名前、アラビア語の響きなど。何だか、昔、アブダビで勤務した時のことを想い出した。窓の外には、アラビア湾でなく、東京湾。ちょっと違うけど、あのころの新鮮な気持がよみがえる。

昨日は、想い出の日にと、会社帰りに行きたかった、青山のJazz の老舗"Blue Note"に初めて立ち寄った。20代でジョン・コルトレーンのバンドに抜擢された、テナーサックスのファラオ・サンダースと云う奏者だった。よく行く横浜のJazz喫茶とはエライ違いの雰囲気、迫力。人生は想い出作り、エピソード作りと思って、昨日と云う記念すべき日は、
"BlueNote"と結びつけて記念することにした。

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August 21, 2006

新しいスタートの日

朝4時起床。5時頃、既にアブラゼミが鳴いていることに気づく。今朝は、4年振りの朝の通勤電車体験の日。でも8時半過ぎの電車だから、以前よりは遅い。東横線と目黒経由三田線。

人生の節目の一つを感じる。自分が、今後どんなサラリーマン生活を送るのだろうと、人ごとのように興味が湧く。新たな、人生の章が始まる。

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August 20, 2006

人生のルネッサンス期

私は4年前、51才の時、28年勤めた石油の会社を早期退職した。人生でどうしてもやっておかないと収まりつかないことが、沢山あるように感じ、退職後、それらのことを一つ一つ処理して来た。そして、今まで、見えなかった人生の美が、パノラマが拡がったような気がした。ジェットコスターのように感じる日々もあった。私の人生のルネッサンス期だったように想う。

明日から、再び、産油国と縁あって、石油・ガスの仕事に復帰することになった。人間も自然界の一部と考え、健康への探求、そして、何より、人生そのものを芸術と考える発想。これが今の私の人生観。

新たな気持で、昔の友人・知人との再会を喜び、仕事を頑張りたい。

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August 19, 2006

後輩との別れ

大学の後輩が49才で大腸ガンで亡くなった。通夜の後、参列した大学民族舞踊研究会のOB、OGで、彼を偲ぶ会を行なった。皆が、亡くなった彼からのメーセージを心で感じていることを知った。何気ない、年に1度か2度程度の同窓の集まりのつき合いでも、人は沢山の影響を受けあっていたことがわかる。人の出会いの神秘さと、別れもまた神秘であると思う。
商社マンだった彼が、南アフリカ勤務の頃だろうか、娘さんとラクダに乗って微笑んでいる写真が、私の人生のスナップ写真とダブって、胸がいっぱいになった。

理髪店の週刊誌で、元NHKアナウンサー絵門ゆう子さんも同じ49才で、乳がんで亡くなったことを知った。清楚な感じの好いアナウンサーだったことを想い出す。自分が49才の時、何をしていたかを想い出して見た。それからも、沢山の小さな驚きがあった。
人生は、物理的な長さや時間的な長さではない、どう生きたか?、どんなメッセージを身体で発して生きてきたか? それが、亡くなった後、残された人達への贈り物になると思う。

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August 18, 2006

山のサワガニ

お盆で帰省していた九州大牟田の三池山に普光寺(フコウジ)と云う天台宗の寺がある。小学生の時などよく遠足で行った寺。823年開山と知った。最澄や空海の時代だ。樹齢400年の臥龍梅は有名だ。

三池山の中腹にある寺の横の岩肌に、山の上の方から流れて来る浅い小さな川がある。そこには、昔も捕まえたような、赤い小さなサワガニがいた。岩のゴツゴツした川に入り、2匹のサワガニを捕まえた。

45年振りの、普光寺のサワガニ。"ワシワシゼミ"や"サワガニ"を捕まえて、故郷の夏は、「千と千尋の神隠し」のような世界につれて行ってくれた。

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August 17, 2006

大分・久里浜 船旅

15日22:00大分・大在から船に乗り、16日22:00横須賀・久里浜ヘ帰って来た。台風の影響もあり、船体動揺激しく、完全に船酔い、24時間の船旅はさんざんだった。

乗船後、すぐ風呂に入って、大分の灯りを窓からみながら出航する時は最高だった。明け方4:00頃から、吐き気をもようし、下船まで16日は、1日中何も食べられなかった。船旅の辛さを思い知った感じだった。

昔の遣唐使や、満洲の引き揚げ船の辛さと比べたら、まだましかと思い、耐えながら、横須賀入港をひたすら待った。今朝は、お粥を食べ、ちょっと元気回復。14日から不調のノートパソコンの無線も復旧した。

船の旅は辛かったけど、これも旅の一部。想い出になった。

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August 14, 2006

クマゼミ捕獲

昨日、昼、神社の境内の低い木に停まっている"わしわし"(クマゼミ)を見つけた。セミ取り天才と云われた子供時代の感性が蘇った。

木をジーと眺めて、どのあたりでセミが鳴いているか、すぐ見つけだし、長い竿に「ハエ取り紙」のベタネタするトリモチを塗り、セミの羽をくっつける。小さな"チーチーゼミ"(ニーニーゼミ)、ガナガナとなく濃い茶色の"アブラゼミ"、夏の終りを知らせる"ツクツクホウシ"、そしてセミの王者"わしわし"(クマゼミ)。

家の中にいても、近所でセミの声がすると、耳を澄ませて、外に飛びだして行く"セミの天敵"振りに、母はいつも笑っていた。それでも、まじめにセミを捕りたいのが、私の遺伝子の本能だったのが可笑しい。

昨日は、その低い枝に停まっていた"わしわし"を、何と手で捕まえて、家ヘ持ち帰って、しげしげと眺めた。弟に見せびらかした。そして、お菓子の箱に空気孔を開け、"わしわし"を保管した。子供時代に、夏休みの宿題に、セミに注射して標本にしたことも想い出す。今回は、可哀想だから、今日妹や姉に見せたら、逃がしてやろうかと思う。

"わしわし"の羽を見る度に、自分に誇らしい満足感が蘇る。

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August 13, 2006

母の短歌

「今日こそは 死なんと思い 不図みれば ラジオに合わせ 踊るおさな子」

大正6年生まれの母が、満洲で2才の男の子と二人、ロシアの捕虜になり、畑の労働させられていた頃の歌と弟から聞いた。日中は子供と引き離され、結局子供はジフテリアで死んだ。前の夫との間の子供だった。前の夫は、結核で、終戦直前に内地の病院に送られ、母と幼子が満洲ハルピンに残されている時に終戦、地獄の日々が始まった。

その母が逃亡を経て、生きのびて、日本に帰って来てくれたが故に、日本で、同じ満洲(鳳城)からの引き揚げ者の父と知り合い、私が生まれた。弟によると、夫婦が死別したものどうし、短歌の同人誌のような会で知り合ったと云う。

亡くなって13回忌に知る母の短歌。そのころのハルピンの情景を想う。必ずハルピンを訪れたいと想う。

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August 12, 2006

故郷の早朝の散歩

今日は快晴の福岡県大牟田市。今朝06:30から実家の弟と一緒に犬(黒のラブラドール・レトリバー)の散歩をした。

40年くらい前、小さな弟を、1日100円で預けていた河野おばちゃんの家の前を通り、私が通った歴木中学高の前を通り、鮒釣りをした堤(つつみ)の脇を通り、川には鯉、ウシガエルがいた。ワシワシ(クマゼミ)の鳴く、夏本番の季節を感じながら、木々の鮮やかな緑が、薄水色の快晴の空に映えていた。蝉も牛蛙も「博、よう帰って来たなー」と合唱してくれて、嬉しかった。

川にはアオサギがいて、電信柱にカチカチと鳴くカササギにも驚いた。秀吉が朝鮮征伐の時、佐賀の名護屋ヘ立ちよった時、カササギの鳴く「勝ち勝ち」と云う鳴き声にいたく喜んだと云う。カササギは別名カチガラスとも云い、佐賀の県鳥でもあると云う。

故郷の山にむかいて、云うこと無し。

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August 11, 2006

不審物

「持ち主のわからない荷物や不審物を見つけられた時には、車掌に直ちにご連絡下さい」と新幹線の中の電光掲示板から文字が流れ、不図、荷物棚を見ると、見慣れないリックがあった。隣で寝ているビジネスマンは、足の下に自分のバッグは持っている。

直ちに連絡しようと思ったが、その寝ているビジネスマンを起こして、「これは貴方の荷物ですか?」と聴いた。

「はい、そうです」と云う答え・・・・・・・。予想に反した、想定外の答え。・・・・ 一件落着。

自分の判断、行動、勇気が事件を防いだのか? 単なる私の、茶目っ気だったのか? 19:10に横浜から乗った博多行きの新幹線のぞみが23時過ぎに小倉に近づいた時の出来事。

我ながら、自分が可笑しくて笑った。ちょっとしたことでも、一人芝居の娯楽になると思った。人生には、笑いのネタが沢山転がっている。

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August 10, 2006

ロンドンからのゲスト

昔の仕事で知り合った友人が、ロンドンから4年振りにプライベートで来日した。彼は今、英国で地理・歴史の教師をしている。

昨日は、秋葉原の萌え文化を紹介したら驚いていた。私が東京シテイーガイドの研修で知り驚いた秋葉原の若者文化は、やはり彼にとっても好い見学であった。(彼にとって、寺・神社は何だか同じに見えるそうだ)

その後、彼と久し振りに新橋で、英語のカラオケを楽しんだ。私は"ロシア より愛をこめて"を英語で、"ナタリ"をスペイン語の字幕を見て歌った。彼は、聴くのが楽しいらしく歌わずじまい。

彼は、以前私が連れて行った、このカラオケの店のことが忘れられず、来日の楽しみの一つだったと云う。色々な人生の展開が、味わい深く、再会がとても楽しかった。終電近くで横浜ヘ帰った。

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August 09, 2006

近所のおばさんの死

昨日、町内会のお知らせで、日頃、朝 「お早うございます」と声をかけていた 一人暮らしのおばさん(79才)が、7日朝亡くなったことを知った。最近まで、元気だったのに。脳梗塞関係の病気だったのだろうか。

家の前の朝顔の手入れをしたり、家の前には、花や植物の鉢が沢山あり、朝夕、通りかかると、よく言葉を交わしていた。 元気な顔を想いだす。

昨日は、夕空が綺麗だった。今朝は大雨。何だか、おばさんとの別れのお天気のように感じる。「おばさん、天国に行ってね」と呟く。

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August 08, 2006

タローとジローの感動

上野国立科学博物館に南極探検隊のタロー・ジローの剥製が展示してあった。救出を断念され南極に放置された犬15匹の内、1年振りに探検隊と生きて再会(1959年1月)した2匹の樺太犬の話は、両親も感動して、私は何度も聴かされていた。

自分の運命を嘆かず、必死で生き、捨てたはずの探検隊と再会した時は素直に大喜びをする犬に、感動せずにおられない。タローとジローの逞しい毛並み、目を見てると、頬ずりしたくなる。よく頑張ったネ。

その後ジローは翌年(1960年)に南極で死に、タローは北海道で10年後(1970年)に死んだと云う。自分は助けられて当然と思って生きている人間と比べると、誰も怨まず、けな気に生きた犬に完敗の想い。

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August 07, 2006

季節の食べ物

「春は苦味(にがみ)、夏は酢のもの、秋辛味(からみ)、冬はあぶら」 を心して食べよとは昔の伝統的な日本食の食育の話し。

春は茎のもの(毒を消す)、夏は葉のもの(暑さをやわらげる)、秋は実のもの(冬に備える)、冬は根のもの(身体を温める)。

日本の季節の食べ物、まさに健康の源。ファーストフード や人工フード では到底健康にはなれない。

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August 06, 2006

町内会・夏祭

昨日、町内会の夏祭りの模擬店を手伝った。盆踊リも少し踊った。東京音頭。いつも夏になると、このように、地元の隣・近所の人との交流が楽しい。その時その時に、どんな気持で夏を向かえていたかを不図想いだす。

今日も、神輿が出て、八幡神社で芸能大会がある。境内で2002年に聴いた、アルトサックスのハロードーリーは好かったナー。その後、京都先斗町にハロードーリーと云うジャズ喫茶を見付けた。また京都に行って、ハロードーリーに立ち寄りたい。

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August 05, 2006

若冲と江戸絵画展

米国の日本美術コレクターのジョー・プライス氏の収集品の公開「若冲と江戸絵画展」が上野の国立博物館で開催中である。プライス氏は、独自の審美眼で、江戸時代の無名の奇想の画家の絵を買い求め、「若冲を蘇らせた米国人」とも云われる。

今回の展示で驚いたのは、プライス氏の光の演出。屏風絵に朝のような柔らかい光を当てたり、光の度合いを上げたり弱めたり、角度を変えたりすることで、その、屏風絵を実際に見ていた人が、1日の中でどのように見ていたか、四季折々の中でどのように見ていたかがわかる演出である。

同じ絵が、光の状況で、色々な表情を見せてくれる。動かない絵画でさえもこのように光の加減で変化することを想うと、人間と云う、変化している生きものが、毎日どれだけ激しく変化する様を外に見せているのだろうと想う。

雪の舞う山道に、2人の従者をつれた貴族が馬に乗り立ち止まっている屏風絵(酒井抱一作)に当たる淡い光の変化の中で、「駒とめて 袖うちはらうかげもなし 佐野の渡りの雪の夕暮れ」と云う藤原定家の歌が幻想的であった。

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August 04, 2006

新谷弘実先生講演会

100部突破の「病気にならない生き方」の著者・新谷弘実先生が米国から来日中で、昨日講演を聴いた。昨年、初めて新谷先 生の講演を聴いて、肉・乳製品・砂糖の害を再認識するきっかけになった。米国で、30年以上に亘り30万人以上の胃腸内視鏡検査を行なって来た医師が、市販の牛乳及びそれから造るチーズ・ヨーグルトも病気のもとと考えていることが印象的であった。現実に長く乳製品を食べて来た人の腸がどれだけ汚れ病気しているかのスライドを見ながらの講演であった。

また、今年印象に残ったのは、コーヒーの飲み過ぎと不整脈との関係であった。市販のコーヒーには27種もの化学物質が入っている。缶コーヒーは、大量の砂糖の害でも有名。

子供が1日、5本くらいの清涼飲料を飲んでいると云う。1本30g程度の砂糖として1日150g、角砂糖で50個。まさかと思うような数字だ。これでは、子供の身体も心も壊れると思う。

クリントン元大統領が学校から清涼飲料の自動販売機を撤去する運動をしていることを、別のニュースで知った。子供は、親が社会が、その様な健康被害を教えなければ知らぬ間に廃人になっていく。食と健康の勉強は、人生で一番大切な勉強。

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August 03, 2006

戦乱の世と何が違う?

駅や駅の近くで、汚れた服のホームレスの同じ人を何度か見かけることがある。何処で寝て、何を食べて、何がこの人にあったのか気になる。

応仁の乱の頃、戦禍や飢饉で、道端で、どんどん人々が死に逝く情景を、映画やTVで見た。道端で、死に逝く人を見ながら、どうすることもなく人々は淡々と通り過ぎる。

戦乱の世と今がどう違うだろう? 警察も、助けることもない、市民団体の運動も全てにはゆき届かない。結局、大勢の通行人も、政府も福祉団体も、死に逝く人を淡々と見過ごす。

結局、人間も野生の動物のように、自分のことで精一杯生きてるだけかも知れない。社会が、福祉が、誰かが助けるべきであるなど云ってみても、戦乱の世の惨状は人間の歴史に続いて来た。これから何を悟るべきか?内なる私に問う。

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August 02, 2006

祭り

昨日は横浜の花火大会だった。花火を見ると、故郷で父が自転車の後ろの荷台に文具箱を乗せ、私や妹を入れて、街に花火を見に行った頃のことを思い出す。祭りと云えば大牟田は、7月20日頃の大蛇山祭り。大蛇の口の中に入れられると元気な子になると云われていた。恐かったなー。

また横浜の町内会の祭り(5日、6日)も近づいた。盆踊。模擬店。神輿担ぎ、神社境内舞台での芸能大会。毎年私は、模擬店も手伝う。盆踊もする。神輿も担ぐ。近所の人達との交流が嬉しい。

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August 01, 2006

苦学、貧道

「学は苦学より美しきはなく、道は貧道より善きはなし」先日の円覚寺の足立老師の話にあった。勝海舟の言葉とか。

辞書が買えなくて、友人の辞書を使わない時間帯の夜中だけ貸してくださいと云って勉強する人の話。苦学の熱意が伝わる。

質素な貧しい生活は、古来から人の精神性を高めてきた。「貧しさ」「質素さ」は、人間を鍛える大切な要素だったことに気づく。それは時々の断食が、身体の眠れる機能・遺伝子にスイッチをいれてくれるのと似ている。


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