母の短歌
「今日こそは 死なんと思い 不図みれば ラジオに合わせ 踊るおさな子」
大正6年生まれの母が、満洲で2才の男の子と二人、ロシアの捕虜になり、畑の労働させられていた頃の歌と弟から聞いた。日中は子供と引き離され、結局子供はジフテリアで死んだ。前の夫との間の子供だった。前の夫は、結核で、終戦直前に内地の病院に送られ、母と幼子が満洲ハルピンに残されている時に終戦、地獄の日々が始まった。
その母が逃亡を経て、生きのびて、日本に帰って来てくれたが故に、日本で、同じ満洲(鳳城)からの引き揚げ者の父と知り合い、私が生まれた。弟によると、夫婦が死別したものどうし、短歌の同人誌のような会で知り合ったと云う。
亡くなって13回忌に知る母の短歌。そのころのハルピンの情景を想う。必ずハルピンを訪れたいと想う。
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Comments
Life-Artistさん おはようございます。
亡き母が大正9年生まれで、読んでいて胸にじんときました。
Posted by: りりー姫 | August 13, 2006 11:13 AM
私達は、何と平和な時を過ごしていることか・・・。
もっと優しく、もっと力強く生きていこう!(^-^)
そんな事を感じさせていただきました。
Posted by: ごーすと | August 13, 2006 07:16 PM
リリー姫さん、大正生まれの人達の時代、苦労を感じることは、人生に気力みたいなものを与えてくれますね。
Posted by: Life-Artist | August 14, 2006 06:21 AM
ごーすとさん、確かに、そのころの人達は、生きる迫力が違ったように思います。優しさも力強さも桁違いに大きかったかも知れません。
それは、特攻隊の人の"生"に対する凝縮された感性のようなものと似てるように感じます。そう思うと、人生の素晴らしさを感じます。
Posted by: Life-Artist | August 14, 2006 06:27 AM