配慮の暴力?
"配慮の暴力"と云う言葉の存在を知り驚いた。 障害のある人への周りの配慮が、返って障害のある人を痛く傷つけてしまうことがあると云うことである。健常者と同じように扱われない自分を、惨めに感じる辛さのことである。
確かに、云われて、ハッとした気づきである。自分は、素晴らしい、優しいことをしているつもりが、受け手側の心理では、心理的暴力になっていることもあると思うと、深く考えさせられる。
自分のとげに気づかずに人は生きているかも知れない。また、とげは、自分で造るものもあれば、受け手が造るものもある。
ただ、他人には、測り知れない宇宙があることを知りつつ、自分を評価しなければならないと思った。
Comments
こういうこと、よくありますよねえ。悪意はないんだけど、無意識に差別してるんですよね。悪意がないどころかむしろ善意だったりするから、よけいこじれちゃったりしてね。
Posted by: 佳代子 | March 13, 2006 09:27 AM
これもまた難しいですよね。
そう考えると、今までどれだけたくさんの人を傷つけて生きてきたか、計り知れないです。
Posted by: ごーすと | March 13, 2006 08:40 PM
佳代子さん、発信と受信の内容が全然別のものに変ってしまう程の人間の感受性の差に、ただただ驚くばかりです。
Posted by: Life-Artist | March 14, 2006 06:16 AM
ごーすとさん、私の母が、次のような言葉を気に入っていました。
「アザミ草、我が身のとげを知らずして、花と想いし今日の今日まで」
何だか、急に想い出しました。
Posted by: Life-Artist | March 14, 2006 06:19 AM
うーん・・・それでも私は、アザミも花だし大好きです。
Posted by: 佳代子 | March 14, 2006 07:39 AM
佳代子さん、アザミは、花でもあるし、とげでもあるし、そんな気づきの詩なのでしょう。
Posted by: Life-Artist | March 15, 2006 05:26 AM
私もアザミが好きだ~!(笑)
Posted by: ごーすと | March 16, 2006 01:22 PM
ごーすとさん、アザミってそんなに好きですか。今度、気にして見てみます。
Posted by: Life-Artist | March 17, 2006 06:24 AM