"配慮の暴力"への住職のコメント
坐禅道場の住職に、"配慮の暴力"(3/13の記事)について、心のなかで如何に解決すべきか問うた。
原因と結果を解決としてみるのではなく、その体験から、学び、心を深くすれば好いと云われた。自分の意図が伝わらなかった時に怒るのは、エゴ性。
人の本質は、"光リ輝いている存在"、それをヴェーダンダ哲学では"アートマン"と称する。それはエゴと云う雲に包まれて、闇がかかっている。エゴに包まれても、完全に闇ではない。人は雲が私だと勘違いしてしまう。
エゴの闇が晴れた時、満点の月、光リ輝く存在、アートマンが現れる。それが悟り。
雲に包まれた、光り輝く存在を感じながら、今朝の朝日を見る。
Comments
なるほど・・・そこで何を学ぶか・・・なのですね(^^)
Posted by: ごーすと | March 24, 2006 09:51 AM
ごーすとさん、私も、このことは、住職と話してちょっと整理がつきました。人には、沢山の霧や雲がかかっているのですね。
Posted by: Life-Artist | March 25, 2006 05:58 AM