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January 31, 2006

屋根の上のバイオリン弾き

私の両親は、共に満洲の引き揚げ者。 引き揚げ前後に、共に配偶者を亡くした。 引き揚げ後、再婚して私が生まれた。 異母兄弟をいれて6人兄弟(姉妹)の私は、賑やかな家族の平凡な日々の営みが忘れられない。

とにかく必死で生きて来て、「この子がもうこんなに大きくなったのか? 」と、父は、母は思った時があっただろう。日は昇り、日は沈み、子供達はそれぞれの人生の道を歩んで行った。

"屋根の上のバイオリン弾き"の宣伝を見る度に、両親を、兄弟を想う。

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January 30, 2006

完成と和解、そして希望

昨日偶然、TVで、ある宗教家の話を聴いた。 満足した人生とは、「完成と和解、そして希望」と云う言葉に、惹かれた。

人は、時に家族・肉親でさえも、何か通じてないものを感じる。 そんな時に、いっぺんに、心を穏やかにしてくれる言葉がある。 「ごめんね。有難う」。 こんな言葉を、自分の大切な人が云っていると想うだけで、もう十分幸せだと想う。

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January 29, 2006

兎と亀

兎と亀の競争は、どうして亀が勝ったのか? について、"亀は目標だけを見ていた。兎は相手を見ていた。" との解説を聴いた。

亀は自分が勝ったなどとも思わない。ただ目標に向かうだけ。亀の一生では、目標には届かないかも知れない。人生も同じではないかと思う。何に向かって進んでいるのか? 人生を遺伝子の乗り物のように永遠に感じるならば、ちょっとだけの遅々たる歩みでも良い、それが進んでいるのなら。

自分は何に向かって進んでいるのか? ゴールには、大きく手を広げて、励ましてくれる両親がいる。

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January 28, 2006

時間工房

東京駅構内の丸の内側に、「時間工房」と云う、写真現像・鍵の店がある。 私はこの、「時間工房」と云う名前を、見る度にいつも惹かれる。

「時間のアトリエ」、人生は その人の「時間のアトリエ」。 どのように使うか、どう細工するか、どう工夫するか、どう表現するか、時間がその材料。

時間と云う材料は、万人に等しい。 時間と云う粘土をこねて、どんな形を造り出そうか?

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January 27, 2006

煙草のこと。赤ちゃんのこと。

煙草は、脳の麻酔効果と、血管を縮める作用が云われている。

妊産婦が、煙草を吸うと、お腹のなかで、赤ちゃんの血管が縮み、酸欠状態を起こすという。

赤ちゃんが首を締められている様子を思い浮かべると、そんなことが許されるだろうかと思う。

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January 26, 2006

生きること、エントロピーの減少?

秩序ある方向から秩序の無い方向に向かうことをエントロピーの法則と云って、エントロピーは増大すると云う。そして、生きることは「秩序ある方向ヘ導くこと。即ちエントロピーの減少」と、ある栄養学の先生が云った。 面白い視点。

確かに、放置すれば、何事も無秩序ヘ向かう。 その無秩序に時折、ビーバーのダムのように、堰をつくって、仮の棲家とするのが、人間なのかも知れない。 その人間の行動も、自然の営みの一部。それで調和している。

陰と陽。交換神経と副交換神経。自然界の、リズムを感じる。

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January 25, 2006

知識と行動

人は色々知りたがる。 知りたがるほどには、やりたがらない。 人を変革させるのは知識ではない。 行動が結果を生む。

行動の原動力は何だろう? 感動だろうか? 時には恐怖もある。

毎日習慣となっている行動に、感動があったら素晴らしいと思う。

人生で、何を中心に位置付けるかは、その人の運命そのもの。 中心に位置つけたものは、毎日意識する。 それが人生を形つくって行くのだろう。

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January 24, 2006

DNA アドベンチャー

人間は"DNAの乗りもの"。 人生はDNAのアドベンチャー。

人間が誕生する時、最初にできるのは心臓(25日目)と云う。 脳はその後。 心臓がパカツ、パカツと脈動を始めて脳を造る指令を出すと云う。 今では、心臓が分泌する神経伝達物質も発見され研究されていると云う。 "心臓心理学"なる世界もあると云う。

毎日 約10万回の鼓動を繰り返す心臓。 これは単なるポンプではなく、神のようなものかも知れない。 心臓は太陽、脳は地球。 吸い込まれるような宇宙。

「太陽の暗号」(三五館)の著者、エハン・デラヴィ氏の講演での驚き。

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January 23, 2006

医師の姉歯化懸念?

日本の医療費は、年間約31兆円。医師の数26万人(自衛隊と同じくらいの数)。 外来患者欧米の4倍。 一人当たり診察時間 米国の1/5。

日本のパチンコ産業の規模は約34兆円。 日本の葬儀産業は15兆円。 これは数字の比較は何なのだろう? マスコミの大衆扇動は、医師の姉歯化を押し進める恐れを感じる。 日本の医療は迷走しつつあると思う。

一方、米国は医療費高騰で、無保険者は約4、000万人(人口の15%)もいる。個人破産の半数(200万人内外)は医療費破産と云う。 米国の医療費は生活感覚的には日本の約10倍と云う。

従来の日本型の医療も駄目だが、米国型もとんでもない。 単なる医療費抑制でなく、病気にならないように、予防に予算を使い、病気にかかったら適切な医療を受けられるように、医療制度の悪化を防いでもらいたい。 先ずは、生活習慣病の予防の為にも、本気で、動物性脂肪・砂糖を減らす広報も必要と思う。

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January 22, 2006

雪と熱燗

昨日午後、雪のなか、大学時代同じ下宿だった同郷の友人と会食の為、横浜から新浦安まで出掛けた。 雪景色を車窓から見ながら、1時間の旅、そして、同郷の板前さんがいる寿司屋さんでの会食。雪景色のなかでの暖かい日本酒、郷里の話。30年前の大学時代のこと。下宿のこと。 ちょっとした自分の人生の絵画になりそうなひとときだった。

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January 21, 2006

坐禅の会、新年会での気づき

昨日、坐禅の会、菩薩会の新年会が田町であった。 昨日、心に残った言葉。 「何かを得るのではない。ただ明かにするだけ。」

懇親会で印象に残った言葉、「無一物、無尽蔵」。

ある人は現代人の「意識の先鋭化」現象を指摘された。 意識を先鋭化して行くと、恰も人体に対する活性酸素のように毒を発する。 とらわれず、混在する意識も、ただ穏やかに自然に漂わせることも、達人の生き方だと思う。

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January 20, 2006

専用ジェット機シンドローム

このところ、世間を騒がせた二人の人物。 ヒューザーの小嶋社長とライブドアの堀江社長。 二人に共通するものは、会社の急成長と専用ジェット機に気づいた。 専用ジェット機は、何か両社長の心のなかを表している様に思った。

毎朝トイレ掃除をする、慎ましい社長もいれば、専用ジェット機に憧れる社長もいる。 人は、何処かで、知らず知らず自分の精神性のレベルを表現している。 今回の事件で、たまたま、専用ジェットの存在に気づき、専用ジェット機は、徳の無さの象徴の様に思えた。

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January 19, 2006

人生の3大栄養素

人生の3大栄養素とは、「愛・笑顔・感動」との話を耳にした。 確かに、と思った。 3つのことが、物ではない、精神的なものであることが面白い。 精神は人生の羅針盤。 精神を鍛えないと、人生は翻弄される。

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January 18, 2006

人体の前では、全てがチャチに見える

人体の神秘的なくらいの精巧さ、気の遠くなるくらいの複雑で精巧なシステムのことを想うと、人工的なもの、人間が作り出したもの、社会的な事象が余りにもチャチなものに見えてしまう。

スペースシャトルなど、人間が作った精巧なシステムも、人体に比べれば、月とすっぽんのような単純なおもちゃ。 社会的な事象も、成功だ失敗だと云ってることも、人体の素晴らしさから見れば、チャチなもの。

この人体のシステムを考えることは、宇宙のシステムを考えるのと同じくらい、無限の複雑さ・神秘を感じる。そう想うと、人間として生命を受けている今が、黄金に輝く想いがする。

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January 16, 2006

最強のビジネスマン

昨日の朝、偶然TVの経済番組で、私は最強のビジネスマンを見た思いがした。 伸長著しい東京スター銀行の若き頭取、バッジ頭取。

彼の仕事観を問われて、「人生は仕事ではない。家族への投資が一番大きな投資。経済的な投資に優る、人間の幸せを与えてくれる。頭取は今だけの仕事。父親は一生のこと。」

彼の価値観の大切なものは4つ。 健康・家族・仕事・社会貢献、この4つを、日本のお手玉のように、落とさないように操るのが大切と云う。一つのお手玉だけでは面白くない。

彼は、若い頃、モルモン教の宣教師として来日、川崎の2LDKの安アパートで、家族で過ごした経験があると云う。いずれにせよ、このような価値観、精神性を備えて仕事をしているビジネスマンがいることを知って、とても驚き、また清々しい気持になった。

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January 15, 2006

母を知る文学

九州の姉から、母が、林芙美子の文学が好きだったことを聞いた。 また30年も前、亡くなった3番目の姉の看病に九州から東村山を訪れていた母が、国木田独歩の「武蔵野」の一節を口ずさんだことも覚えている。 当時私は大学生。

林芙美子随筆集と、「武蔵野」は、今 私の書棚の中にある。 母が読んだ同じ文字、文章を、私も読んでると思うと、嬉しくなる。 どんな気持で読んだか、親子だから想像できる。 はーん、そうだったのかなど、微笑ましくなることもある。

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January 14, 2006

相田みつを、金子みすずの言葉

「もう安心、あなたの顔が見えたから 」・・・・ この相田みつをの言葉は、母の顔、父の顔など心の支えになる人の顔を想い出させる。 何も云わなくても、存在するだけで 励ましてくれる存在、心に描くと幸せな気分になる。

そして、金子みすずの言葉も想い出す。 「私が淋しい時、母はやさしい。 私が淋しい時、仏さまは淋しい。」

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January 13, 2006

電車の中の天使

電車の中で、母に連れられた3才子くらいの女の子が、私の前に座っている。子供は天使だと思う。 別の人種のように思える。 キョロキョロ、電車の中を見渡す小さな目。 口を半開きにして、好奇心いっぱいに外を見ているキレイな目。 君が居るから、人間が好きになる。

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January 12, 2006

カルシウム

食品メーカーの人にカルシウムの原料について話を聞いた。カルシウムの原料として、質・価格の順番は、マリンカルシウム(魚の骨)→牛の骨→玉子の殻→貝殻→ドロマイト(白雲石・苦灰石)の順とのこと。

カルシウムを摂っていると云っても、どのカルシウムを摂っているかは、その製品のメーカーに聴くしかわからない。 欠陥建築事件のように、コスト削減を中心に考えるかどうかは、その会社の行動・社長の質を調べてみなければわからないと思う。

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January 11, 2006

バランス・リズム・メリハリ

今朝は、人生について思った。 力み過ぎてもいけないし、リラックスし過ぎてもいけないし、その微妙な舵取りは、難しいことだと思う。 かなりの生き方の技術がいると思う。

「バランス・リズム・メリハリ」。 客観性を保ちながら頑張るって感じだろうか? この技術獲得の為にも、鍛錬・修業をしなければと思う。

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January 10, 2006

信長・秀吉・家康

信長の生き方は、激しい生き方は激しい結果をもたらすことを教える。本能寺は余りにも悲惨。

秀吉の生き方は、要領よく生き、運良く、絢爛豪華な桃山文化を謳歌しても、「難波のことは夢のまた夢」と、人生の幻に気づく。

家康の生き方は、忍耐の歴史。彼にとって、人生は重荷を負って歩むが如し。 関が原から大阪冬の陣・夏の陣まで、15年も待つ人生。そして、夏の陣の翌年の死。

それぞれに、極端な人生の危うさ、むしろ滑稽さを表しているように思う。 小堀遠州の回遊庭園のように、春夏秋冬を味わうように、生き方も変えてみれば、それも素晴らしい充実だと思う。

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January 09, 2006

シカだらけの奈良に驚き

姉が住む名古屋は年に何度も訪れていたが、今回、奈良ヘ立ち寄ることを思い付いた。生まれて初めて奈良を訪れてみて、やはり沢山の驚きがあった。 驚きは、人間に全く別世界の視点を与えることもある。

奈良県庁前のバス通りで、早くも公園にシカが見え、その後、春日大社・東大寺ヘ向かうにつれてシカだらけ。余りにシカが沢山いて、何故だか子供みたいに笑ってしまった。 こんな世界が日本にあったんだ。 薬師寺・唐招提寺・法隆寺と駆け足でみて廻った。 奈良時代が昨日のことのように思え、別世界に浸った。 保存された唐招提寺の創建当時の甍は、まさに天平の甍、未だに信じられない気持だ。

行き慣れた名古屋から、近鉄特急で、2時間の距離に、こんな世界があったことをこの年になって初めて知った。

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January 08, 2006

商店街から流れる"枯葉"

昨日朝、駅に向かい歩く私の後ろから、大学ヘ向かう娘が自転車で追い越して行った。「お父さん」とちょっと声をかけて、元気に通り過ぎて行った。 そして駅ヘ着くと、駅前商店街から、"枯葉"のピアノのメロデイーが流れてきた。

娘が小学生の頃、グラビノールを練習して、私が好きな枯葉を、娘は、たまに弾いてくれて、隣で私が英語で歌った。 何気ない朝の出来事が、胸にジーンときた。

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January 07, 2006

卆婚

昨日、裁判所の新年会の挨拶で、"卆婚"と云う言葉を聞いた。 日本では、男性の退職後、約20年間、夫婦が新たに向かい合う時代がやって来た。これは、前代未踏の経験とのこと。

確かに、長い結婚生活の延長では乗り切れない、新たな境地が、夫婦それぞれに求められるのだろう。 夫としてではなく、妻としてではなく、人間としてお互いに、どう向かい合えるのか? それが、"卆婚"の意義かと勝手に考えた。

いずれにせよ、"卆婚"とは、とても考えさせる言葉である。

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January 06, 2006

米国の医療費 約200兆円に驚き

日本の医療費は年間約30兆円とは、よく云われている数字だが、米国の医療費をインターネットで調べてみた。ところが、2003年で、米国のGDP(約11兆ドル、1265兆円)の15.3%とのこと、即ち193兆円(約200兆円)となる。

米国は医療費は高く、また生活習慣病も多い。病める社会と思った。 医療費の増加に悩む米国は、1977年有名な「マクガバン報告」を出し、生活習慣病予防に「食生活を改善し、砂糖を減らせ、脂肪を減らせ、カロリーを減らせ」と警鐘を鳴らした。

ところが、大勢の人は、慣れた生活習慣から脱却出来ず、また、赤信号みんなで渡れば怖くないの心理か?、相変わらず、バタバタと倒れていく。 身体は食べものその物で出来ている。 そして絶えず、食べ物で造り変えられている。 気づいて実行した人は救われると思う。

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January 05, 2006

毎日の体温測定

一定の体温は、免疫機能が働くのにとても大事だから、今年は、毎朝、体温測定をすることにした。

35度台は、ガンになり易いと云う。最低でも36度台は維持しないと健康は保てない。白血球は、38度台でもっとも活躍すると云う。 風邪で熱がで始めた時には、冷ましてはならない。 40度以上になると脳に悪影響がでるので冷ます必要があると云うが、38~39度は、身体が免疫機能を十分発揮する為にそのままにすべきとのこと。

体温を落とす食品の代表は、砂糖。 知らず知らず飲んでる缶コーヒー、缶ジュースに角砂糖が20個内外入っていることを気づいてない人が多い。 現代生活には、砂糖や、身体を酸化させる動物性脂肪が多過ぎる。

体温を上げるのは、筋肉。筋肉は下半身に集中している。だから、歩くことは大事。 生姜湯・葛湯なども身体を温める。 私は、森光子さんがやってるヒンズースクワットの日課も、少しづつ真似したいと思っています。

因みに、体温測定の標準は、朝起床時すぐ、床のなかで計るのが好いのだそうです。

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January 04, 2006

初笑い

初笑い用に、自分のギャグメモを見た。

何があっても、知んねんど ! (変化の時代)

片付けないとは、感謝の意。 (江戸時代言葉、笑い出すまでの時間は個人差あり)

「X 」 : But の意味、 ばってん(九州弁)

私のギャグメモは、私の宝もの。



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January 03, 2006

幸せとは

幸せの元は安心と満足だと親鸞は説いたと云う。 安心には、健康・お金・人に関わる安定が必要。満足には、足るを知る境地が必要。

その対極にあるのが、不安と不満の世界。 一寸先は闇と云う世界。

人生は、幸せな時と不幸せな時が織り成す時間。 その不幸せな時の時間の面積を少なくしていければ良い。幸せがいっぱいに拡がっても、不幸せの痕跡くらい残していた方が、人間に 人生に味わいがあると思う。

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January 02, 2006

人生は宝くじ

人体と云う神秘的で、気の遠くなるような複雑系システムの支配者としての人間。 人間として自分が生を受けてることの有り難さに感動する。 人間として生命を受けたことは、既に宝くじに当たったようなものだと思う。

その有り難さを感じ、好奇心の目で周りを見ると、見るもの聞くもの全てがキラキラ輝く。

そして昨日、高知の友人から新年のメッセージ、 「負けるな、勝つな、遊べ土佐犬」が妙に心に残った。

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January 01, 2006

新年のエピソード

新年、明けましておめでとうございます。私のブログにアクセスして下さる方に、新年が、人生の意義を噛みしめるような充実をもたらすことを祈念します。 毎日、小さな、幸せな驚きに気づかれますように。

大晦日夕方は、横浜の町内会で、年越し蕎麦を町内に振舞う行事に参加した。そこで、何と、初めての"蕎麦うち"体験に心が踊った。 これが、噂の"蕎麦うち"かと嬉しくてしょうがなかった。 蕎麦粉に饂飩粉を少しいれて、少しづつ水をいれて、粘土のように造って、力仕事。 とても美味しく私は、2杯食べた。町内の人との談笑、焚き火、お酒、楽しいひとときだった。

そして、深夜は、前から念願の、王子の「狐の行列」を見にでかけた。 広重の、"王子装束の木、大晦日の狐火"の絵が忘れられず、また王子装束稲荷から始まる狐の行列の祭りが見たくてやって来た。 明治38年生まれの父から寝ながら聞いた"村の祭りの情景"の想像の世界に、ちょっと通ずるものがあるのではと、ずっと前から来て見たいと思っていた。 そこには、沢山の可愛らしい狐の化粧をした人が集まっていた。父から聞いた笛や太鼓の音ピュルヒュルヒュル、ドンドンドンと云う音色に似た、村の祭りの音色を想い出しちょっとしたファンタジーに浸った。 2005年大晦日、2006年正月の忘れられないエピソードとなりました。

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