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November 30, 2005

演奏は恋愛?

28日の朝日新聞の時の墓碑銘欄に、カナダのピアニスト、グレン・グールド(1932~82)の言葉が書いてあった。「演奏は競技ではない。 恋愛です。」

彼にその場の興奮に身を任せる闘牛場の観衆は不要で、静かにピアノと向かうくつろいだ密室こそが必要だった。 との解説。

"演奏は恋愛"とは、何と素敵な表現かと思った。 人生のひとときも"生命との恋愛"と感じられたら幸せだろうと思った。

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November 29, 2005

すき焼きとマシュマロ

年末が近づくと、子供時代、大晦日に"すき焼き"を食べたことを想い出す。 少ししか入っていない牛肉を見つけ出すことを"金鉱掘り当て"と云って、沢山の家族で食べていた。 大晦日は、私の誕生日で、私が"すき焼き"が好きだったので、母が、大晦日の"すき焼き"を恒例としてくれていた。 今では、肉食が余り好きでは無く、すっかり"すき焼き"も食べなくなったが、"すき焼き"と云うと、遠い昔の家族団欒を想い出す。

そして、娘(21才)が子供時代に、私が マシュマロの感触が好きで、お父さんは"ふわふわ"が好きと云っていたら、娘は、ずーっと 私は"ふわふわ"が好きだと想って、最近まで、時々 マシュマロを買って来てくれた。 本当は、もうそんなに マシュマロは好きではなくなっていたけれど、ただ、娘が買って来てくれるマシュマロが愛しくて、ジーンと感じていた。

"すき焼き"とマシュマロは、私にとって、特別な食べ物です。

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November 28, 2005

病める自己主張

日本人は、特に社会に対して非主張的に、周りに合わせて生きている人が圧倒的に多いと思う。一方、家庭のなかでは、攻撃的なくらいの自己主張のエネルギーをたぎらせているように思う。

外では、極端に自己主張を抑え、あるいは人任せの人生を送り、内では、"私はこうあるべき権利がある"くらいの強い自己主張のマグマを持っている。

それが、現代 日本人の多くが陥る、病める精神の元では無いのかと思う。 外にも内にも、自分と他者はいつも同じように存在する。 自分と同じ繊細な神経の他者の存在を思い、抑え過ぎなく、主張し過ぎなく、自分と他者を同時に思いやれる境地が、大切なことだと思う。

何事も、サーカスの綱渡りのように バランスを取る、精神の運動神経が大事なのだろうと思う。

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November 27, 2005

親分、お邪魔します

丁寧に云う言い方で"お"をつけると、とんでもないことが起こることがあるとの話に大笑い。

「夜分、お邪魔します。」 → 「おやぶん(親分)、お邪魔します。」

人生には、とんでもない驚きがある。 アー、ビックリした。

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November 26, 2005

孤独と美

人はこんなに大変な時に、支えになって欲しいと思う人が支えにならない時、孤独と怒りなどにさいなまれる。孤独の感じ方は、人によって雲泥の差がある。

ちょっとでも 優しく微笑んでくれる人が心に浮かべば好い。 一生のうちで、優しい微笑みに出逢わなかった人はいない。

自然は、圧倒的に美しい。 孤独な人間が、それぞれに 寂しい気持で 自然の美しさに触れた時、その孤独さは、抱きあっている。

人は、孤独を乗り越えて、慈しみ合う時、大自然の美と調和する。

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November 25, 2005

青木繁"海の幸"

九州(大牟田)から帰る途中、久留米、初めて石橋美術館ヘ立ち寄った。 そして、青木繁画伯、坂本繁二郎画伯の絵をみた。 青木繁の人生には、ずっと惹かれる。そして、"海の幸"は、もっとも心惹かれる。

彼は、千葉館山の布良の海岸で、この"海の幸"を着想した。 その布良の海のそばに、私がよく訪れる坐禅道場、能忍寺が在る。 なんだか、青木繁の研究をしたくなって来る。

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November 24, 2005

雨に咲く花、帰り船

故郷の九州大牟田で、姉と二人カラオケに行って、自分が生まれた昭和25年頃の歌を探して歌ってみた。当時の両親が、良く聴いていた歌がどんな歌だったのかを知ると、両親に逢えるような気がした。

母の歌は、余り記憶が無かったが、姉が、この曲は「母ちゃんが歌いよらしたよ」と見つけ出した曲があった。 それが、「雨に咲く花」(井上ひろし)だった。 ♪およばぬことと諦めました~♪です。そういえば、母が歌っていたのを聴いたような気もする。母の人生にとても大切だった曲。発見出来てとても嬉しかった。

父は、姉達をつれて満洲からの引き揚げ船の上で、日本の島影をみた時の、万感の想いの「帰り船」。父は感慨ふかげに良く口ずさんでいた。

雨に咲く花、帰り船、両親を知るのに、とても大切な曲。そして、すぐに両親に逢える曲。

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November 23, 2005

九州国立博物館

昨日、大宰府の九州国立博物館を訪れた。 何十年振りかの大宰府が、こんなに美しいところだったとは、初めて気づいた。 臨済宗・光明禅寺の石庭の紅葉も最高の時期だった。

蒙古来襲絵詞(竹崎季長)のオリジナルを初めて見た。蒙古の沈船から引き揚げられた蒙古軍の兜(カブト)、貝殻のついた古びた兜に、1281年の元寇が、想像の世界に鮮やかに蘇る。

外を歩くと、聞えて来るシニアの夫婦の方言の会話が心地好い。「ちょっと早かばい。 どこさんいきょっと?」 。 近所の住民の声も、「今、帰ってきんしゃった。」

レンタサイクルを借りて、大宰府駅界隈を走り、茶店で紅葉を楽しみながら甘酒を飲んだ。 私の旅のパターン。

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November 22, 2005

わかって欲しい人の海

世の中には、「わかって欲しい」と嘆く人が余りにも多いと感じる。 自らが、他をわかる力が無いまま、益々「わかって欲しい」欲求だけが募り、寂しさや対立を生んで行く。

細かく見れば、同じ名前で呼んでる原子や分子の世界だって一つ一つは違う。 違うことを前提に、他をわかろうとすることが、穏かな人間関係の元だと思う。

他をわかろうとしている時、人は優しくなれる。 人それぞれがおかれたタイミングもある。

余りにも繊細な人間、わかり合えないほどそれぞれに繊細な人間が、わかり合おうとするところに、成熟した精神があると思う。 「わかって欲しい」の前に、他をわかろうとすることのできる人は、そばにいても落ち着ける人だと思う。

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November 21, 2005

タミフルと鎮痛解熱剤の関係?

インフルエンザの薬、タミフルの副作用の疑いのニュースで、9月に聴いた九州大学島添先生(薬学)の講演を思い出した。

大阪で起きたインフルエンザ脳症で起きた4人の死亡事例の背景について島添先生は、次のようにコメントした。

ウイルスに効く「タミフル」の世界の6割も使っている日本。 死亡した患者は、ボルタレンと云う鎮痛解熱剤も併用していた。 熱を下げたらウィルスが強くなる危険なこと。

先ずは、タミフルのお世話にならないようにしたいが、薬の知識も大事な時代になって来たことを感じる。

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November 20, 2005

忘れることも人格

健康には、ストレスが大敵と云う。ストレスが身体に悪いとはわかっていても、どう対処するかが難しい。

村上雅治先生(広島大学出身)は、「忘れること」を薦めておられる。

「忘れることは人格だ」と云うのが先生の親の言葉とのこと。忘れることで、それ以上、人の心を傷つけなくても済む。 覚えて苦しむより、人格を賭して忘れることも大切かも知れない。

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November 19, 2005

くしゃみに驚き

自分のくしゃみの音に、母のくしゃみの音を想い出し、とても懐かしい思いになったことがある。 自分が今、見ているものも、実は母の遺伝子も、父の遺伝子も見ていると思うことがある。

生命は、ずーっと続いているヒモ みたいなものではないかと感じることがある。

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November 18, 2005

電子レンジと乳がん

遺伝子、染色体などの話のなかで、驚くべき関係の存在を指摘している説に出合った。 乳がんを発症する遺伝子は、電磁場ととても仲が好く、電子レンジを使う時は、1m以上離れることが薦められるとのこと。

何気なく台所にある電子レンジ、覗き込んだりしたら大変危険なことなんだ。 電子レンジのスイッチを入れたら、物影に隠れて避難した方が好い。 何だか戦争ごっこみたいだ。

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November 17, 2005

治療法は生き方改善の気づき

安保徹先生の語録として、次の言葉を、看護士の人から聴いた。 考え方に納得した。

「医者は助けてはくれるが、治してはくれない。 自分の生活を変えずに治すのは無理。」

「人間は自然の分身。身体は間違いを起こさない。生き方が間違いを起こす。」

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November 16, 2005

自分からの離脱の想像

葉っぱの両面の例えに驚く。 表が"善"、裏が"悪"。 善が広がれば、悪も広がる。平和であれば戦争が。神が出て来れば、サターンが出て来る。

人にとって理想に合うか合わないかが、善悪・好き嫌いを決める。 外の世界は人間にとって二元的に見えるが、実体は一つ。 実体は葉っぱ。 裏も表も同じ葉っぱ。

開いて閉じる世界、誕生と破壊の世界、陰と陽の世界、プラスとマイナスの世界。 自分から離脱出来たら、自然界の調和をもっと感じられるのにと思う。 ちょっと、針の穴から覗き見る想像の世界。 もっと見るには修業が要る。
インド、ヴェーダンダ哲学の世界に驚きと安らぎを感じます。

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November 15, 2005

科学の先にある世界

人間の細胞の核は1gの2000億分の1、そのなかに30億の科学文字(暗号)が書かれている。 大百科辞典の3000冊分、そこに書かれている通りに生命は活動している。

それを発見し、読み取り始めた人間の能力も素晴らしいが、それは、読む前に書いてあったことが凄い。誰がそれを書いたのか? 科学で生命は造れない。

科学は法則を発見するが、発見する前に法則はあった。 その法則は何なのか? 科学者は、そこから直感、感性の世界ヘ入っていく。

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November 14, 2005

脈拍と気分

自分の気分を判断する材料として、脈拍との関係が面白い。ー安保徹先生ー

50-54 悲しい辛い、 55-59 落ち込む、 60-64 元気が無い、 65-69 ニュトラル、 70-74 よしやるぞ気分、75-79 ポシテイブ思考、 80以上 嬉しくてしかたがないor 凄く腹を立てている。

因みに、私は今朝 、脈拍71だった。 日によってかなり変わるようだが、自分を知るのに面白い。
 

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November 13, 2005

副交換神経を応援

自律神経は交換神経(緊張状態の神経)と副交換神経(リラックス神経)からなり、そのバランスが大事だが、たいていの病気は 交換神経優位によって発症すると云われる。 人間の免役システムである白血球は顆粒球(約60%)、リンパ球(約35%)、マクロファージ(約5%)から成る。

交換神経が優位だと、顆粒球が増え、副交換神経が優位だとリンパ球が増える。 病気の大体90%は、この顆粒球過剰(リンパ球割合低下)で発症する。

人は年をとると誰もが自然に顆粒球割合が増えていくので、副交換神経を優位にする工夫が必要。 音楽・美術・自然を楽しむこと、感動すること、驚くことなども副交換神経を優位にすると云う。 呼吸も口では無く、鼻で呼吸する。

リンパ球がベスト(約38%)になる体温は、36・5℃ ~37・0℃ とのこと。

ー宝島社 "病気は治る" 安保徹氏&石原結実氏 対談よりー

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November 12, 2005

最低 5000歩以上

善玉コレステロール(HDL)は、運動することでも上昇するとのこと。ー雑誌Newton-

1日5000歩以下しか歩いてないと、善玉コレステロール値も危険な状態(40mg/dl以下)になると云う。

身体に必要なコレステロールは、70%は肝臓が造り、30%を動物性食品から摂っています。 コレステロールは細胞膜を造っており、ホルモンや胆汁の材料にもなります。

同じコレステロールなのに配送船に運ばれている状態を悪玉コレステロール(LDL)、回収船に運ばれている状態を善玉コレステロール(HDL)と云うのだそうです。

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November 11, 2005

血管 3000平方メートル

人間の血管 9万km(地球2.5周)の内腔の面積の総和は、3000平方メートルにもなるとのこと。 血管自体の重さは体重の約3%で、体重70kgの人で2.1kgにもなる。 1分間に心臓から拍出される血液の量は5500ml、 脳に750ml、肝臓に1450ml、腎臓に1200ml、筋肉に1000ml、門脈に1200ml、 皮膚に350mlなどである。 ー岩波新書 "血管の病気" 抜粋 ー

血管の3000平方メートルと云う広さが、また 信じられない。 そんな広い大きなものを自分が、抱えて生きてることが不思議でしょうがない。

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November 10, 2005

自分の操縦桿

自分自身は、自分のパイロットであり、自分で操縦桿を持っていたのに、実感がなかった。 殆どの人も、自動パイロットにして人生を送っているのではないだろうか?

身体の仕組みなど、医者の仕事として丸投げ、心だ身体など云ってるより、もっとやるべきことがあると思って、みんなが向かってそうな目標ヘ何となく一緒に向かって生きてきた感じではないだろうか。

自分がパイロットなのに、飛行機のメカニズムの知識を疎かにするなんて、何と云う無謀。 自分の身体・心が 何によって変わるのか、勉強しなければ、飛行機は何処へ飛んで行くかわからない。 人と一緒に飛んでいても、行き先に不安な時代、自分の生命力を試される時代かも知れない。



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November 09, 2005

ミス・サイゴン

昨日、本田美奈子さんとお通夜だったことを知った。 ミュージカル、"ミス・サイゴン"を彼女が演じていたことを想い出した。 TVでその時の映像がちょっと流れるだけで、泣きたくなる哀しみが蘇る。

人生って、誰が、どう決めてるんだろう。 今朝も、オレンジ色に夜が明けて行く。 今ある状況で、ベストを尽くして生きて行くこと、そのなかに深い人生の意義がある。 ベストを尽くして生きることが人間の意地だと思う。

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November 08, 2005

侘び・寂び・萌え

最近、秋葉原の商店街組合の方の話を聴く機会があったが、そのなかで、"侘び・寂び・萌え"と云う言葉に驚いた。

日本のアニメの輸出額は今や鉄鋼を抜いている。日本のアニメは今や、浮世絵のように世界に人気を拡大しているとの話で、秋葉原はその震源地。

観光客としてフィギア(女の子の人形など)の店も、初めて入ってみた。 これは、単なるお宅・変人の文化とはかたずけられない何かを感じた。 このような文化を"萌え"系と呼んでいるらしい。 何かをこよなく愛することらしい。

浮世絵は、波や山を大きく強調して表現したり、デフォルメ(変形)させ、見る人の感性に訴えるが、アニメも、女の子の目や頭を大きく強調したりして表現しているところが、新鮮で、世界に人気を博しているとの見方もある。

秋葉原は、単なる変人の街などと思っていたが、世界的に魅力を発し続ける理由が少しわかった気がした。近くの深川には、芭蕉記念館もあり、"侘び・寂び・萌え"と云う言葉が、妙に新鮮に聞えた。

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November 07, 2005

神奈川大学フェスタ 

5日、近所を散歩していて、偶然、神奈川大学のフェスタ(11/5,11/6)を見学した。 中でも好きなJazzのライブが聴けて好かった。 Jazz の"枯葉"も なかなかだった。 大学には、これから何かヤルゾーと云うエネルギーが溢れている。 キャンパスを歩いていると、自分も大学生だったことが、そんなに大昔ではなかったような錯覚に囚われる。

帰りには、大学近くの古本屋に入り込み、1時間くらい夢中になリ、11冊も本を買った。 大学生気分。

半年ほど前、六角橋商店街で、買物をした時、店のおかみさんに、「神大の先生ですか?」と声をかけられたことがあった。 大学の先生に見られたこともとても嬉しかった。

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November 06, 2005

細胞共和国大統領

細胞=生物と云うことを知った。細胞は生物の部品ではなく、細胞1個1個は単体の生物なんだ。 60兆個もの細胞と云う生物が集まって、一人の人と云う生物も造っている。 国家と国民のようなものだそうです。

生物である3つの条件は、①エネルギーを交換できる、②自分を維持することができる、③自己増殖ができる とのこと。

自分が、魚群のような塊りだと思うと 思わず笑ってしまう。 信じられない存在。

大きい人も小さい人も、細胞の数は同じで、細胞の大きさに差があるのだそうです。

自分は、細胞共和国大統領様だ。 "えっへん"とかしこまりたくなる。

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November 05, 2005

路上のアンパマンの落書き

3日、旅先の札幌のコンベンションセンター前の歩道に白墨で描かれたアンパンマンの落書きを見付けた。

私は、娘が小さかった頃、娘とアンパンマンの歌を歌ったことを思い出した。 一緒に膝を折ったり延ばしたりして、リズムを取って歌った。

アンパンマン の登場人物には、ばい菌マン、ジャムおじさん、カレーパンマンや、ほにゅうびんマンもいたことも想い出した。 その落書きを踏むのがもったいないような、暖かい気持で、ゆっくり、想い出を噛みしめるように、アンパンマンの歩道を歩いた。

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November 04, 2005

小樽運河

昨日から小樽ヘ来て、ノートPCの無線の繋がりが悪く、記事作成を断念しました。 今は 新千歳空港にいて、PCは正常化しました。

3日は、札幌シテイーガイドなる 私の興味をそそる検定試験にチャレンジに札幌ヘ来ました。 将来、外国人に沢山の日本を紹介する為に、日本各地の勉強をしたいと思っています。 今回は、ジンギスカン、札幌ラーメン、スープカレーの元祖の店も出題され、まだまだ私の修業は続きそうです。(回答は、"横綱"、"味の三平"、"アジャンタ" のようです。)

札幌では、世界的ニ有名な彫刻家イサム・ノグチの若い頃の閃きを具体化した、モエレ沼公園を見学した。 大学で建築を学ぶ娘も、友達と近々、この公園を見に行くと聴いていたので、「娘の先回り」をして大いに満足。

小樽運河は大正時代の香りが ロマンテイック で、 大正生まれの母の時代に想いを馳せた。 小樽運河の夜景を見ていると、また、人生の深さ、味わいを感じた。 人生は、その人がもっている時間に彫刻をしていくようなものかも知れない。

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November 02, 2005

蛍の墓

昨日、23時に帰宅した時、TVで"蛍の墓"をまだやっていた。 21時からあることは知っていたが、私はこの物語が、哀しくて見るに耐えられず、見ないつもりでいた。 それでも、家にいると、終りの部分をやはり見てしまった。

幼い妹、節子を栄養失調で亡くす兄の気持が耐えられないのだ。 亡くなる節子の楽しい時や病気の時の表情、言葉、仕草がたえられrない。 人生の過酷さ、人の愛しさを、これでもかと云うほど感じさせる。

節子の表情に、私はS59年生まれの娘、S36年生まれの弟、S27年生まれの妹、そして大正6年生まれの母のことも想い出す。

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November 01, 2005

蕎麦打ち男

昨日、"それでいいのか 蕎麦打ち男"残間里江子著(新潮社)と云う本の存在を知った。 団塊の逢い世代に、この蕎麦打ち男タイプが多いのだと云う。 (因みに私はS25年生まれ)

団塊の世代(S22~24生まれ)の大量定年が始まる2007年。 今まで知らなかった社会現象が起きるような気がする。 自分を抑えて 同じ方向で生きてきた世代だから 蕎麦打ちのような ささやかにも自分を表現した 安らぎが欲しいのだろう。 その安らぎの後にまた、新たな力強い行動を見出して行く人もいると思う。

人生のインフラ健康を見直し、自分の価値観を見直し、もう一度 もう一つ 別の人生を送れるような気もする。

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