« August 2005 | Main | October 2005 »

September 30, 2005

人間関係考察

職業柄、人間関係の破綻について考える事も多い。 人は「私」を主張すれば、するほど、人との距離が拡がっていく。 一方、「私」を主張しなければ、何の為に生きているのかむなしくなってしまう。

それは、交換神経と副交換神経のバランスが、健康には大切な事と似ている。 良い人間関係の構築には、その「私」を出したり、引っ込めたりする リズムが大切だと思う。

現代の世相は、四六時中 「私」を主張する事を煽り、結局、"大勢の孤独な大衆"を生み出している。 「私」を抑えて、誰かの為に動く時、人の心をうつ。 そのような人間関係は、先ず肉親のなかには自然にある。

誰かの為に、「私」を抑えてもつき合っていきたいと思える人が、多くいれば、笑顔と祝福のなかで生きていけると思う。

| | Comments (2)

September 29, 2005

各地のガイド検定

最近は、日本各地で、観光客の誘致に力が入っている。 地域ガイドの検定試験をやってガイドの育成をやってる県は、日本で3ヶ所と聞いた。 東京、京都、札幌。 旅好きな私は、旅の勉強が好きだから、これらの検定にもチャレンジしたくなる。 色んな事を知ってから旅する事は、何倍も深い味わいになる。

| | Comments (0)

September 28, 2005

横浜ジャズ・プロムナード

今年も、Yokohama Jazz Promenade が10月8日、9日と行なわれる。 最近、毎年、運動靴をはいて、色んな会場の演奏を聴いて回る。 Jazz には、何か、魂の叫びを感じてしまう。

数年前、氷川丸船上で、Jazz を聴いた時は、最高だった。 海を見ながら、赤レンガ倉庫あたりで、演奏を聴くのも楽しみだ。 いつか、海外のJazz Festival にも行って見たいと夢見る。

| | Comments (0)

September 27, 2005

英語も芸術

芸術的和訳に驚いた事がある。 私が20代の時に感動した話です。 ある広告代理店の入社問題で、"I Love You" を 好きなように訳する問題があったと云う。 そして、その時の答えのなかに、「母ちゃん、サンマ 焼けたよ」 と云う訳もあったと云う。 そうだ、その感性だ ! と私は共感した。

それから、別れの刻が迫る人間がお互いの決別の時の時間を尋ねる場面で云った言葉、 "How far the enemy ? "。 別れの時は "敵" 、敵は何処まで迫っているのか? と尋ねる。 時間を確かめる言葉に万感の思いがこもっている。 言葉は、芸術だと思う瞬間です。

| | Comments (2)

September 26, 2005

万博と思い出

1851年にロンドンで初めて開催された万博、今回の愛知万博も歴史に残る万博になったのだろうと思う。 モリゾウとキッコロも、我々に何かを伝えて再び森ヘ帰って行った。万博の開幕の時は、何も特に思わなかったのに、万博の閉幕のシーンを見ると、とても名残惜しく感じる。 私は大阪万博は行かなかったが、今でも大阪万博のシーンをTVなどで見る度に、あのころ自分がどうだったかを思い出す。

愛知万博のシーンも、又、将来、今の自分の事を、懐かしく連想させてくれる事だろう。 その当時、朝青龍が、琴欧州を破って6連覇達成もあったなーとも思い出すだろう。 時は鮮やか過ぎ行く。

その当時の私を、愛しく思い出すように、今、頑張らなくちゃと思う。

| | Comments (0)

September 25, 2005

心は酵素

愛知万博閉幕の日。 会場でのゴミの分別回収が、世界にもとても好い刺激を与えたと云う。 万博のテーマ「自然の叡智」にもふさわしい事と思う。 そこで、素敵な話を思い出した。

生ゴミは、汚いものとして扱うと、本当に汚く、ウジさえわく。 だが、いずれ肥料になると思って心を込めて扱うと、きれいに、自然に帰って行く。 その生ゴミのそばには、将来、綺麗な花や蜜蜂が飛ぶ。

全てを決めるのは、その人の心。 人生で、起きる事もそうだと思う。 忌まわしい事も、心の酵素で、素晴らしい、心の花園の肥料になると思う。

| | Comments (2)

September 24, 2005

「人が澄む」JRポスター

この時期は、駅で「紅葉の旅」のポスターをよく見かけ、立ち止まる事がしばしば。 自然の美の情景が、心に広がる。

自然の赤と橙色の世界、 「人が澄む」 。 そんなネーミングに、"まいった"とため息。 長野県 大町市。 是非、行って見たい場所が増える。

| | Comments (0)

September 23, 2005

大内義隆、二宮尊徳

私が、以前読んで、とても気になっていた言葉の作者がわかってほっとした。 一つは、戦国武将、大内義隆だった。
家来の陶晴賢に討たれる時に次の句を残した。 「討つ人も、討たるる人も諸共に、如露亦電応、作如是観」。討つ人も討たれる人も、大差のない愛しい儚い人生を詠った。 何十年もの前の私の心に残った。 この句を残して彼が討たれた、長門の大寧寺をいつか訪ねてみたいと思う。

そして、「声もなく、香もなく 常にあめつちは 書かざる経を くり返しつつ」 これは、二宮尊徳の言葉だった。 これも、一度読んで、ずーっと気になっていた句だ。 共に、私にとって、宇宙の調和を感じさせる心に残る言葉です。

| | Comments (1)

September 22, 2005

腸の表面積60坪

人体の事は、いくら云われても、信じられない事が多い。 日本人の成人男子の腸の表面積は、平均で、198m2で、約 60坪との事。 自分の家の敷地より広い面積に驚嘆。 ちょっと腸に対して口惜しい気もする。
どうやって身体のなかに収まっているのだろうと思う。 腸は植物で云えば、根っこに相当する部分。 広げて掃除したら、さぞ気持好いだろうと思う。

| | Comments (1)

September 21, 2005

「待つ事も勇気」の意味

「待つ事も勇気」姉が云い続けて来た口癖。 食と健康の関連、その重大性に気づいた姉は、何十年も、両親・兄弟・姉妹にその事を一生懸命に説いて来た。 しかし、食と健康は、一般論では理解しても、重大に捉えず、真剣に実行もせず、両親・姉妹の夫を、生活習慣病で失った。

私は2年前から、その事に気づき、実践し、生活習慣病予備軍のデパート状態から脱却した。 今では、食が健康を造っている事を身をもって確信した。

肉親、兄弟姉妹が、病気になる事が、目に見えていた姉にとっては、どんなに、もどかしい辛い事だった事だろう。 そんな時、「待つ事も勇気」と云って、自分を紛らわせたのだろう。 人はいつも何かのメッセージをもっている。 自分の感性で、その真剣なメッセージを捉えるのも生命力だと思う。

| | Comments (2)

September 20, 2005

精神の安定は単純な習慣から

精神を安定させるセロトニン神経(脳神経)は、歩行・呼吸・咀嚼など、基本的なリズム運動によって、活性化すると云う。 朝、20~30分の、読経・座禅等は抜群の効果をもたらす。 また、朝の太陽の光を浴びる事で、セロトニン神経は大いに活性化する性質があると云う。 規則正しい生活を送る事は、精神を安定させ、精神を強くしている。 有田秀穂著NHK出版「セロトニン欠乏脳」から得た情報です。

毎朝のトイレ掃除とか、もしやれば、凄い精神鍛錬になるだろうと思う。 そして、何か新しい事にもチャレンジすれば、活き活きしたエネルギーも湧いて来て、人生は更に充実すると思う。 毎日の単純な作業で、精神を強く守り、そして ワクワクするような夢にチャレンジする。 この組み合わせが大切なのだろうと思う。

| | Comments (0)

September 19, 2005

みかんの缶詰めと母の背中

一昨日夜、冷房を消し忘れて寝た為、昨日は風邪気味で起床した。 昨日沢山のビタミンC を摂り、今朝は回復した。 深夜、起きてトイレに行くとき、不図、子供時代に、病気の時、母が普段の何倍も、優しかった事を思い出した。

病気と云えば、「みかんの缶詰め」と、背負われた時に、へばりついた「母の背中」を思い出す。 治るときの、すがすがしい気持、母の愛情を一杯確かめた後の、爽快な朝を思い出す。 時々、病気になりたいとさえ思った。


| | Comments (0)

September 18, 2005

民主党代表、松下幸之助翁

昨日夕方、民主党の両院議員総会が開かれた会場である、芝の東京プリンスホテルに、たまたま居合わせた。16:20くらい、43才の松下塾出身の前原氏が、僅差で民主党代表に選ばれた事を知った。 ロビーは、緊張と熱気が溢れていた。 20年前、松下幸之助氏が、84才の時に、始めた政経塾の門下生が、徐々に政治の表舞台に登場して来た。 改めて、松下幸之助翁の人生の凄さを感じる。 20代の若者の目を輝かせた、84才の幸之助氏。 彼にもまた、中村天風と云う、偉大な師がいた。

前原氏の発言には、松下幸之助翁の発言を思わせるものが、随所に出て来る。今まで、地位・名誉・財などを求める政治家を、滑稽なくらい沢山見て来た。 私は、無党派層であるが、彼が、どのように、松下幸之助氏の精神を表現して行くのか、熱く見守りたい。

| | Comments (0)

September 17, 2005

自照庵

房総、館山の布良の海を見下ろす丘の上に、"自照庵"はある。 座禅道場「能忍寺」に隣接する質素な住居。 丘の上から見渡す限りの大海原。 青木繁画伯が、描いた「海の幸」の舞台となった布良の海。 今朝は、朝日を浴びながら、その光景を思い出す。

「自分を照らす庵」、何か、とても心地好い、腹が座った人生観を漂わせる。 張り詰めた、また穏やかな人生観がある。

人との出会いは、半分は自分が決め、半分は神が決める。 出来事も半分は自分が起こし、半分は神の采配。意思を行動に移せば、人生は変えられる事が沢山ある。 何しろ、半分は、自分に任されているのだから。 自分を照らし、自分が、どう生きたいのか考える。 今朝も、白紙になりなさいと、朝日が輝いているように思う。

| | Comments (2)

September 16, 2005

「勿体無い」と云う言葉

日本語の「勿体無い」と云う言葉に、惚れこんだ外国の人がいる。 ノーベル平和賞受賞のケニアの副大統領ワンガイ・マータイさんの話を聴いた。

私も気になり、辞書をひいいてみた。 「恐れ多い」「過分である」「無駄使いな」などのニュアンスを説明されていた。
確かに、この言葉には、不思議な魅力がある。

「ありがとう」と並ぶ、素晴らしい言葉ではないか? 宇宙との調和ヘ導く、魔法の言葉のような気がする。

| | Comments (0)

September 15, 2005

不足することの効用

何事も、不足することで、大切に使い、あり難い気持が湧いて来る。 充分な時、価値が薄れ、感謝の気持も謙虚な気持も薄れていく。

何事も、不足気味で、工夫して生きていくことは、豊かな人生の秘訣かも知れない。それは、楽しいことでもある。 望んだものが、「はいどうぞ」と、沢山出てきたら、どうだろう ? 不足や、思い通りにならないことは、人生に、寧ろ、絶えず心地よいエネルギーを注いでくれていると思う。

| | Comments (0)

September 14, 2005

紀元前の医療に感銘

3000前の中国の周の時代の医療に、「一番格式が高い医者は食べ物で治す医者(食医)、その下に薬を使って治す医者(疾医)、それからメスを使って治す医者(傷医)」とのランク付けがあったと云う。

BC460年に生まれた医聖と云われたヒポクラテスは、「食で治せない病気は、医もこれを治せない」と云っている。
彼は、西洋医学の大成者であるが、病気を自然現象の一部と捉えている。

2000年前の西洋医学にも5つの流れがある事を知り、自然を重視する考えに驚いた。 <1>ホメオパシー(同種療法、免疫療法)、 <2>ナチュロパシー(自然療法、アロマセラピー、ハーブセラピー等)、 <3>サイコセラピー(心理療法)、 <4>オステパシー(骨格を整える療法)、 <5>アロパシー(薬を使って治す、逆症療法) と云う。 明治維新と共に、アロパシーだけが、西洋医学として日本に伝来したと云う。

私は、人間も、病気も全て、自然現象として捉える思想に、感銘を覚える。


| | Comments (0)

September 13, 2005

劣っている事がリーダーの条件

人は、自分が劣っている事に気づいた時、他人が素晴らしく見え、他人を尊重できる。 人は尊重された時に心が動く。

教えてあげるといった態度の指導者は、周りに慕われない。 結局、真のリーダーにはなれない。 そのような、自信過剰な指導者は、ドンドン滑稽度を増していく。

「自らが劣っている自覚が、リーダーの条件」、何という素晴らしい発想だろう。 論語のなかにある孔子の考え方です。

| | Comments (0)

September 12, 2005

勘違い

昨日の選挙結果に、日本の政治の歴史的変化を感じる。 今までの政治の、題目だけ羅列して、後は政治家が自分たちで決める手法が、通じない時代に入ったのだろと思う。

政治家の判断に委ねるほどの人格者がいない為、イエスかノーか、直接問われた方が政治に参加しやすい。 法案の内容は、理想的ではないにせよ、今回は、民営化をやってみたいと云うのが世論の大勢だったのだと思う。

政治家は、結局、世論を勘違いしてみていたと云う事だ。 今後、当選した顔ぶれ、発言を聴くと、野党も与党も、まだ大きな勘違いが止みそうにないが、政治家は、絶えず自分の勘違いに対して敏感な感性をもってもらいたい。

| | Comments (0)

September 11, 2005

辛い気持を忘れさせるホルモン、オキシトシン

出産の前に、母親の体内からオキシトシン と云うホルモンが出て、それが赤ちゃんに伝わり、赤ちゃんの辛い、出産の時の苦しみの記憶を忘れさせてくれると云う話を、産婦人科の先生から聴いた。 そして、そのホルモンは、母親の出産の苦しみの記憶も消し去ると云う。 計り知れない、人体の神秘的な力を感じる。

また、母乳にも この 苦しみを忘れる オキシトシン が入っていると云う。 母乳を飲む赤ちゃんが、穏やかな訳だ。
また、母乳は、出はじめと、真ん中、後と、それぞれ味が違うのだそうだ。 ミルクは単純。 やはり、人工的なものは、自然には、及ばない。

豊かな人生は、自分も自然の一部として、自然に対して素直になるのが一番だと思う。 身体の機能は、まさに大自然への畏敬と同じように感じる。

| | Comments (2)

September 10, 2005

美の航海

初めて、桂離宮を見て、「泣きたくなる程の美しさ」と表現した、ドイツの建築家ブルーノ・タウト(1880-1938)の事を知った。 1933年、敦賀港に着いた翌日に桂離宮を見学し、日記にそう記したと云う。 日本建築の世界的奇跡と絶賛したと云う。

そんな、桂離宮を、私はまだ見た事がない事を恥じた。

「美の航海者」ブルーノ・タウト。 晩年はトルコのボスフォラス海峡を見下ろす自宅で亡くなったと云う。 人生を、美の航海であったと云える人生に、・・・・・ 感服。

| | Comments (1)

September 09, 2005

ヒットラーの健康政策

草思社の「健康帝国ナチス」と云う本をちらりと読んでみたら、ナチスは、健康を国民の義務と捉えて、肉食と糖分の取り過ぎを病気の元として、野菜・果物を食べる、菜食主義を強く奨励していた事が書かれていた。

ヒットラー自身も1931年から、肉食を止めて菜食主義者になっている。薦めていたのは大豆。 ナチスも、健康について、多くの研究・分析を重ね、肉食の病気との関係を指摘している。 欧米人でさえも、人間の原初の食べ物は、肉では無かったと記している。 氷河期に、已むを得ず、肉食が始まったと云う。

第二次世界大戦後、日本も 肉食文化が拡がった事が関係あるのか、沢山の原因不明の難病、生活習慣病が発生している。 ナチスの侵略主義、帝国主義は糾弾されるものの、ヒットラーが、肉を絶ち、野菜・大豆主義であった事には、とても驚いた。 健康と云う視点からのナチスの研究は、とても興味深い。 因みに本の英文名はナチスのガンとの闘い」となっていた。

| | Comments (0)

September 08, 2005

ライオンは偏食 ?

ライオンは肉しか食べない。 牛馬は草しか食べない。 動物は、極端な「偏食」なのか?

人間の歯、爪は、動物として、何を食べるようにできているのか? 戦後増えた肉・乳製品の欧米食と、現代の病気の関係を強く警告する医師・著作も増えて来た。

私は、質素な伝統の日本食には、単なる食べ物ではなく、高い精神性まで感じる。 ご飯と梅干だけでも、豊かと感じる事もある。私は 最近 偏食と云う言葉の使い方に、大きな疑問を発見した。

 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 07, 2005

緑の雨カエル、そしてゴムの長靴

雨が降ると、私は、よく雨カエルの姿を思いだす。 緑色の、木の小枝のような、小さな雨カエルを思いだす。 緑の葉っぱの上の水滴、小さな緑色の、みずみずしい雨カエルの姿。 妙に愛着を感じる。

カッコ悪い黒いゴム長靴、今は、全く見かけないが、鮮明に覚えている。 故郷の裏山を、雨上がりの裏山を歩いてみたいと思う。 山から見える景色、市街地の工場の煙突の白い煙でさえも懐かしい。

心は、どこえでも自由に飛んでいく。


| | Comments (2) | TrackBack (0)

September 06, 2005

杜子春と 山椒太夫

昨日、渋谷の紀伊国屋で、脳を鍛える名作読本と云う本に出あった。 ずーっと昔、母から聞いて強い印象が残っていた、芥川龍之介の「杜子春」、寝ながら聞いた安寿と厨子王の物語・森鴎外の「山椒太夫」。

その二つの作品が、書店で、偶然私の目の前に現れた。 パラパラとめくるだけで、子供時代に想像した情景が蘇る。 思わず涙がでる。 読み続けられない。

家で、じっくり読みたいと思って買った。 何か妙に、昔 無くしたものを見付けたような、安心が訪れた。 母が、一人涙しながら読んだであろう文字を、噛みしめるようにまた読める事に、大きな喜びを感じる。


| | Comments (4) | TrackBack (1)

September 05, 2005

いなり寿司の香り

スーパーで買った いなり寿司 を 昨日昼、資格試験受験の為に訪れた成蹊大学(吉祥寺)の校庭の芝生の上で食べた。 その時、野外の空気、心地良い風、いなり寿司の香りが、子供の頃、運動会で、母や父、妹と、運動場でゴザをひいて食べた母の作ったいなり寿司を思い出した。

思いがけなく、ちょっとした 香り、風が、こんな、素晴らしい映像を、心のスクリーンに映し出してくれた。 人生の忘れられないシーンだったから 思い出したんだろう。 幸せなひとときであった。

| | Comments (3) | TrackBack (0)

September 04, 2005

朝日俳壇

先日、新聞で見た 俳句が とても心に残った。 ー8月29日の朝日俳壇からー

「煤(すす)けたる、梁(はり) 縦横に土間 涼し」

「田を走る 風 美しき 帰省かな」

「我一代 鳴く蝉 四十五代かな」

私が、選んだ特別な思いの句です。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 03, 2005

大ハリケーンに思う

巨大ハリケーンによる、ニューオリンズの大被害の映像を見て、驚く。 昨年8月下旬、訪ねた町の惨状に、まさかと思う映像ばかりである。

これも、地球温暖化の影響なのかと思う。 自分が、加害者であり、自分が被害者である人間の行動。 自然はあらゆる不自然を罰する。 利便性・効率性・快適さを追求する余り、今までになかった災害が、人間が余地しなかった災難が襲ってくることもある。

人工的なものは、いずれ自然の法則のなかに飲みこまれ、つじつまが合わされる。 少しでも、自然のなかに調和した、質素なな生き方が、求められているように思う。

| | Comments (0) | TrackBack (2)

September 02, 2005

夫婦像

60代の夫婦のアンケートに愕然とする。 生まれ代ったら、もう一度、同じ人と結婚したいか? との問に、女性は15%しか、そうだとは思わない。 圧倒的多数の85%は、嫌だと思っていると云う。

男性は、46%が、もう一度同じ人と結婚したいと思っているとのこと。

このアンケートで、男性側の勘違いに驚いた。 そして、我慢してる側の心の底を垣間見る思いがした。 人生の選択肢が増えて来た社会的背景も、このアンケート結果にはあると思うが、何とも 寂しい限りである。

人は、全て微妙に違う事を認めた上で、思う通りにはならない事を認めた上で、パートナー との運命を、愛しく思えたら、穏やかな人生なのだろう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 01, 2005

冷房の恐さ

「赤ちゃんは、生まれてから 2週間くらいは、エアコンの利いた病室で過ごすと、汗腺の機能が8割くらい停止します。 その機能は、一生戻らないので、残り2割の汗腺で、温度処理をしなければなりません。」西丸震哉著「寿命を決める食文化」 で紹介されています。

この40年間で、小学生の体温は、0.5度落ちたとの統計もある(37度台から36.5度以下ヘ)。 ー真弓定夫医師ー
体温は、免役機能にはとても大切。 現代人の低体温の問題は大きい。

冷暖房の問題は、自律神経も乱す事。 屋外と屋内の温度差が、大人で10度C 以上、子供で、5度C 以上変わってしまうと、自律神経のバランスが取れなくなり、ホルモンの分泌が乱れると云う。 私は、アラブに3年住んだ時代、確かに、強い冷房で、身体の変調を起こした事を思い出した。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« August 2005 | Main | October 2005 »