胃ヘの滞留時間
栄養素ごとの、胃での滞留時間の差は、糖質で 約 2時間、 タンパク質で約 3時間、脂質で約 4時間 との事。
脂質は、確かに胃に長く残る感じがする。
それらの栄養素の、身体ヘの取り入れ、排泄を効率良くやってくれるのが、ビタミン・ミネラル・食物繊維。
何となく、人体工場の様子を、想像する。
栄養素ごとの、胃での滞留時間の差は、糖質で 約 2時間、 タンパク質で約 3時間、脂質で約 4時間 との事。
脂質は、確かに胃に長く残る感じがする。
それらの栄養素の、身体ヘの取り入れ、排泄を効率良くやってくれるのが、ビタミン・ミネラル・食物繊維。
何となく、人体工場の様子を、想像する。
二つの同じ種が、二つの川を別々に流れて行くと、流れた先の土壌の差で、できる作物が違うと云う。 東洋医学の先生の話。
その 土壌を作るのが、素晴らしい土壌を作るのが、自分の人生の役目だと思う。
肉親ヘの情を犠牲にしてまで、やらねばならない事が人生にはいくつあるだろうか? 肉親ヘの情でさえ犠牲にして来た事が、現代人を、心の荒廃に追いこんで行ったのではないだろうか?
結局、人間にはよりどころが必要である。 人生には、頑張る時と安らぐ時が必要だが、一人ぼっちだと感じた時、色々なものが崩壊して行く。
どんな時にも、帰るべき肉親が、何も云わなくても、ただ大自然のように受け入れてくれるように、保たれているならば、まだ大丈夫。
傲慢に、自分の力ばかり信じて、生きて行くのは危険だ。 ただ、自然界の陽と陰の波に漂っている自分に気づき、肉親との関係を守る事も大切だと思う。 それは、最後の心の砦なのだと思う。
新装なった小田原駅前に、地元(栢山・かやま)出身の二宮金次郎(尊徳)の銅像を見付けた。 背中に薪を背負って読書する姿が、何だか昔の日本人の価値観の懐かしさを感じる。
「どんなものにも徳がある。 譲って損なく、奪って益なし」 と彼の言葉が書いてあった。ジーンと来る。
1787年~1856年を生きた人。 丁度 松平定信の寛政の改革が始まった年に生まれている。
6人兄弟の私は、薪を背負った姿に、子供の頃、私を背負った姉の姿を想像する。 姉は、私を背負って、よく本を読んでいたと云う。 質素だが、心が豊かな、遠い日本の昔のことを思う。
吉田松陰の言葉は、教育者として人を鼓舞する力の凄さを感じる。
「未だ、見たことのなかった自分を目指しなさい。 心は熱く、一生に一度くらい、本気でやってみなさい。 必ず達成します。 運命を造りなさい。」 "未見の我"と云う言葉に凄まじい力が込められているように感じる。
松陰先生の教育を受けた人物は、熱い志のある若者が多くいた事がうなずける。 そんな弟子達にとって、武蔵野の処刑場の松陰先生を、柵の外から見送る時の、辛さは、どんなだっただろう。 気が狂うほどの悲しみと口惜しさだった事だろう。 それが、明治維新をつき動かしてきたのだと思う。
処刑を命じた、井伊直弼も真剣に生きた人だと思う。 松陰先生も真剣に生きた。 短くても、真剣に生きる事の、迫力、素晴らしさは、狂おしいほど、羨ましくも感じる。
本来昨日午後から、伊豆ヘ座禅に行く予定が、急用で行けなくなったが、何故だか、今朝は吉田松陰先生の事を思った。
世界の人口は、1650年は約 5億人、 2003年末で63億人。 急増のきっかけは 18世紀末から始まった産業革命とのこと。
産業革命前は 6億だった世界人口が、19世紀末で10億、1960年で30億、1975年で40億、1987年で50億、そして現在63億。
従来と比べて、エネルギーの大量消費、生活の便利さ、快適さ、ゆとりが、この様な、人口急増をもたらしたという。
産業革命って、すごかったんだと、改めて驚いた。
1990年代の日本全体の資産消失額は、約2,000兆円 との数字を見た。 確かに、土地、株等の下落を合計するとそうなる。 国民、一人あたり 約 1,500万円 失った事になる。
これは、元々あったお金なのか? 元々 無かったお金なのか? と不思議に思う。 一種の勘違いだったのか? と思う。
じゃ、今、持っていると思っているお金は、どうなのか? これも、勘違いの一種かも知れない。
最近、笑った事は、タコの足は6本と云うTV で云っていた話。
「タコの頭を、ちょっとたたいてみるとわかる。 たたいた時、頭の上にあがる 2本は手だ。 残り6 本が足だ。」 とのこと。 ・・・・・ 突然、吹き出しでしまった。 ギャグ好きの私は、すぐメモしてしまった。
昨日は、日帰りで、仙台の友人を訪ねた。 朝 6時横浜から電車にのって朝9時半には、もう松島にいた。
初めての松島、瑞厳寺。 芭蕉が1689年6月25日、塩釜から舟で、瑞厳寺に参詣と記録にあった。 芭蕉が見た、この松島の光景は、どんなにか美しかった事だろうかと想像した。
好きなレンタサイクルで、周りを見て廻った。 時折見かける茶店の甘酒の太い字に風情を感じた。
友人とは、青葉城ヘ行き、沢山の話をした。 護国神社で、戦艦大和の展示をやっていた。 夕方 駅前で軽く一杯飲んで、夜10時には東京についた。 日帰りながら、思いでに残る旅であった。
タンカーは、荷物を積んでいない時は、船が不安定になるので、わざわざ、海水を船に取り込み、船を安定化させる。
それを船の用語でバラストと云う。 そして嵐になりそうな時は、海水を多めに取りこむ。
海水が船のなかに入る事は 沈没をイメージしがちなのに、むしろ 船の安定・安全の為に海水を取りいれる。 この事は、人間の悩み・逆境も、むしろ、安定に役立つ事を示唆してくれてるような気がする。
ある程度の 問題は常に 抱えていた方が、人間(船)も安定しているのかも知れない。
月 旅行が1億ドル、110億円で売り出された。 月が110億円なら、人生の旅は、少なく見ても、1000億円以上くらいの価値はあるだろう。
人体は、スペースシャトルより何百倍も何千倍も複雑で、精巧に出来ているシステム。 人間は、人工的に人間の血液でさえ造れないし、決して人間には作れっこないシステム。
人生で遭遇する生き物、いや人間も実は珍しい新種の生物ばかりかも知れない。 風景も凄いパノラマだ。 そして素晴らしい調和とリズムだ。
少なくみても、1000億円以上も しそうな 大地球・人生旅行をしている最中に、1000億円の前には、どちらでも良いような、余り価値のないものに囚われずに、周りの自然や生物をじっくり観察しなきゃと思う。
人生の素晴らしい光景を、 「こらっ ! !、ちゃんと、見らんかい !! 」 と引率の先生なら叫ぶかも知れません。
幸せな事も、不幸な事も起きていない。 ただ、自分の受信機が、どう受信しているかなのだろう。 自分の受信機を、微量の幸せをも感じられるほどに、整備しておく事が人生の技術だとも思う。
発信機 (他人や出来事) のせいばかりではない。 自分と云う受信機の問題を時に疑ってみよう。
そして、"自分も、周りに、毎日、何を発信しているのだろう。" と考えてみよう。
健康には4つの要素が必要だと思う。 前向きな考えかた、食事、運動、休養。 どれか一つ欠けても、健康にはなれない。 なんだか、優先順位の低そうな、迫力のない条件、すぐ後回しにしがちな条件に思える。 だから、真に健康な人は稀なのだろう。 長寿村の人達は、確かにそれらの条件にかなっているように思う。
私にとって、それらの事は、今までの人生で、さほど真剣な関心を持っていなかった分野です。習慣化するまで、まだまだ自己との闘いです。 でも習慣化してしまったら、余りにも簡単で、楽な事でしょう。
思いは、習慣を作り、習慣は運命を変える。 修業は続く。
「食後3分以内は、歯磨きしない方が良い」と云う事を、医師の講演で聴いた。 食事で折角出ている 唾液を洗い流してしまうからと云う。 唾液は 健康を守るもの。 癌も防ぐもの。
また、1日に何度も歯を磨くのも良くないとの事。 昼間は 唾液が出ているから大丈夫。 むしろ、磨き過ぎて歯を痛めるより、就寝前に一度磨けば良い。
虫歯予防の決め手は、歯磨きより、"砂糖と油脂の摂り過ぎ"を止める事の方が、よっぽど大事だとの説。
医療も、病気(火事)になってからの対応も大事だが、このような 予防(防災)の分野でも発達してもらいたいものだと思う。
早朝 5時前から、賑やかに蝉の声がする。 競う合うような、ミンミン蝉の声、アブラ蝉の声。 この夏の声が 時に、私は心地良い。
もう少し時間が遅くなると、ワシワシワシと云う、クマ蝉の声も最近、時々、横浜でも聴けるようになった。温暖化のせいか、クマ蝉が、九州、西日本から、大阪、京浜と 北上して来たのだと云う。 クマ蝉は、大きく力強く鳴き、すばしっこく、蝉採り名人と云われた私は、今でも、採りたくて木の方角を動物的に見てしまう。
蝉採りの竿と蝿採り紙をもって、山や林の木々を、毎日のように見て回った日々。 近所のおばさんに、「蝉ば食ぶっとね? 」とからかわれる程の、云わば 蝉の天敵だった子供時代。 その透明の羽、オレンジ色の腹、烈しい力強い声が、子供時代、"ワシワシ"を捕まえた時の達成感を思い出させる。
青い空に入道雲、遠くの山々から、「シワ シワ シワ・・・・・・」と聴こえて来る九州の夏の光景を思い出す。 蝉の声は、母や父を、そーっと心の中に連れて来る。
終戦60年、現在、日本人は、真の意味での敗戦を味わっているのではないか? 姉はそう云う。
次の世代の子供達の、心も身体も病んでいる現状を見ると、戦後、急激に変化した日本人の考え方、生活様式が、
じわりじわりと、その悲惨な部分も露呈して来たとも思う。 これが真の意味の敗戦ではないのか?
甘やかされて、育てられ、生きる知恵を失った精神力の弱い若者達。 食生活の急激な欧米化で、戦後生まれ、特に昭和30年代以降の世代の短命化傾向。 モヤモヤとした、満足感の薄い人生観。
きりっとした、凛とした日本を取り戻そう。 「きりっとした自分を、造りあげよう。」そんな事を思う終戦記念日。
小田原の妹が、先日、松下政経塾第一期卒業生の林英臣先生の講演を聴いて、感動した事を語ってくれた。
"夢を7割、現実は2割、過去は1割' 語ろう。 見える世界と見えない世界を繋ぐものが"言葉"。 決断は何かを捨てる事。
燃える人になるには、種火が必要。 種火は、このままでは、いけないと思う心に存在する。
自分が、講演を聴いたような気がする程、ずっしりと伝わった。 妹に感謝。
外ヘ向かう力は父親的な力。 内ヘ向かう力は母親的と云う。
共に大事な力、 一人の人間のなかで、その両方をバランス好く、生きていけたらいいのになーと思う。 ぬるま湯的にならず、力をいれるところと抜くところをわきまえて、そんなバランスが取れたらいいなーと思う。
動物が肉食獣か、草食獣かは爪で見分けられると云う。 かぎ爪なら肉食、平爪なら草食。 動物園の動物を思い浮かべる。
その点では、人間は、本来草食である。(地球で、北に住む人間ほど、穀物・植物が取れなくやむを得ず肉食が多くなり、身体も大型になる)
この戦後 60年で、小学6年生の身長は17.6cm 伸び、 体重は14.5 kg 増えたと云う。 戦後の食生活の変化の影響は大きい。 戦前の日本人と比べ、米の摂取は半減し、動物性食品の摂取は8倍に急増したと云う。
「この60年と云う短期間の大型化が、肝臓・腎臓・心臓の負担を大きくし、小児の病気も増やして来た。」 と小児科医院を経営する真弓定夫先生は、分析しておられる。
じっと自分の爪を見ながら、自然に従って生きる事を考えてみた。 新しい視点。
時に、何か表面的なものに振り回されて来たような人生を思う。
「一生続けていくに相応しい価値ある事を見付け、一生続けて行けて、そして評価は自分が行なう。」 これができれば、人生は一歩一歩 充実する事だろうと思う。
価値を他人に委ねてしまう事は、技術的、表面的になってしまう。 内なる、深い自己との対話を通じて、今の自分を評価して行く事で、確かに生きている充実感を感じる事が出きる。
明治初期の日本人の平均寿命は40才、今はその倍もある。 どう生きるかの価値観の確立が、大切だと思う。 振り回してくれた世間からも関心が去って行くにつれ、その人は、何によって動くのか、個性が、初めて見えて来るのではないだろうか? 自分は、何に感動し、どんなものを美しいと感じるのか、自己との真剣な対話が必要だと思う。
「ものの背後には隠された秘密がある。 真実は、単純にして、美しいもの」 アインシュタインの晩年の言葉と云う。
単一を知った後の多様性は楽しいもの。 単一を知らない前の多様性は苦しみ。
ストレスとは、物事を整理できないからだとも云う。
波を見るのではなく、大海を見る。 地上のあらゆる水滴に写る月も、実は一つ。
これも、インドヴェーダンダ哲学からの思想です。 今朝の思索。
座禅の住職が感動したと云うマザーテレサの言葉をメモさせてもらった。
「神はおっしゃいます。 私がお前を選んだと。 神には"はい"と答えるのが務め。 神の望む場所に、この身を置くべきです。 路上にいる自分が、神の声に導かれたのなら、そこを自分いるべき場所として受け入れ、神の宮殿へ行けと云われたら行けば好いのです。
重要なのは、神のみこころにかなっているかどうかです。 笑顔をもって心から従順であることです。 たとえこの身が砕けても、そのかけらは神のものです。 全ての人を受け入れ、仕事を受けいれること。 明日の糧を得ることに心を煩わさず、一遍の水がなくても受け入れるのです。
全てを神のみこころに委ね、望まれるなら名声も健康も素直に差し出す。 そこに真の自由があります。 (マザーテレサ)」
普段、静かに話される住職も、この言葉の紹介の時は、自分の生き方の指針とされているのか、とても熱っぽく語られ、私は思わずメモをした。
昨日は、地元の夏祭。 私はいつもの年とおり、模擬店で、フランクフルトを焼いた。 わたあめ、かき氷、ともろこし、焼き鳥、ヨーヨーなど、町内会で手分けして担当。 子供達との会話が全て楽しい。 浴衣姿のちっちゃな女の子の胸には、電気が点滅するペンダント。 とうもろこしの香り。 盆踊リの太鼓の音。 私も炭鉱節を踊った。
祭りには、何か、忙しくて忘れていた日本人のノスタルジアみたいな、圧倒的な懐かしさを感じる。 早朝から鳴く蝉の声も、全てが、夏の風情。 そのなかに、私がいる。
人は、身近な人であればあるほど、この人は、こうあったら好いなーと「あるべき姿」を心のなかでもっていると思う。関心があるだけ、注文はうるさいほど細かくなりがちだと思う。 しかし、人は余りにも複雑で、考えかた、感情や行動などでは、違いを意識する。 その時の対処の仕方が、その後の人間関係の形を作る。
そんな時、いつも思いだす言葉がある。 「過去と他人は、変えられない。 未来と自分は変えられる。」
他人を、全然違った生き物と思えば、ちょっと楽になる気もする。 自分が犬で、相手は猫とかでも好い。 違って当然、相手を知りたい気持が出て来れば、気持に余裕が出るような気がする。
周りを受け入れながら、願いと祈りの気持をもって、自分と未来を変えていけたら、素晴らしいと思う。 大切な人との関係ならなおさらそうすべきだと思う。 これも私の修行です。
「大豆、海草、柑橘類」で骨を強化する話を、聴いた事を思い出した。 ー栄養学、本多京子先生の講演より抜粋ー
骨のベースのコラーゲンは、たんぱく質。 また、大豆タンパクに含まれるエストロゲンは女性ホルモンと同じ働きをし、カルシウムの目減りを防ぐ。(砂糖は、カルシウムを体内で浪費するので、要注意)
カルシウムとマグネシウムの吸収比率は2:1,マグネシウムの倍しかカルシウムは吸収されない。 この黄金の比率をもっているのは、海草のひじき。 牛乳はカルシウム 11対 マグネシウム 1 の比率、マグネシウムの比率までしかカルシウムが、吸収されない。
ビタミンCは、カルシウムとの比率4:1が一番吸収が好い。 ビタミンCは、タンパク質の吸収にも大事。
ビタミン・ミネラルの不思議な連携作用、食べ物には神秘的な相互作用が関わっていると思う。
ずいぶん前、父が、ある時、空を自由に飛ぶ鳥を見て、「おれも若い頃は、あすこまで上手には、飛べんかった。」 とつぶやいたと、弟が聞き、兄の私に飛んで知らせに来た。 父は始祖鳥か?・・・ ギャグ慣れしていなかった、小さかった弟は、ビックリした事だろう。 今でも、兄弟・姉妹 意表をついた面白い事を云うのが大好きである。
ある時、私が近所の売店に行く父に、 落花生を買ってきて貰いたくて、「ひょうたんピーナツ」略称「ひょたピー」を買って来てと頼んだら、売店で、「ひょたピー」と云って尋ねたとの事。 命名者の私は、笑い転げてしまった。
そんな父の命日(8/2)の頃、そんな事を思い出した。 満洲から引き揚げて来て、何度も死ぬ思いで生きて来た父には、このようなとぼけたユーモアが、生きるバランスを保っていたのかも知れない。
時に、人生は、渦潮に巻き込まれたように感じる事がある。 良い事も、悪い事も、何かに夢中にならざるを得ない状況、何かで頭が一杯になる状況がある。 人から見れば、幸せのはずが、幸せの自覚がなく、結局、自分を、ゆっくり観察する余裕が無いまま、日常に巻き込まれていく。
そんななかで、自民党の代議士が、一人亡くなったのではないかと、昨日自殺のニュースを聞きながら思った。 人生には、色んな選択肢がある。 離れたところから、自分を見る、ちょっとした時間や心が必要だと思う。
昨日、座禅の会からの会報が届き、「座禅は、得るものではなく、どんどん捨てていくもの。 一つ捨てれば、一つ明かになり、二つ捨てれば、二つ明かになる。」 とあった。 問題が、問題なのではなく、問題にしている自分が問題であることに気づくことが、座禅から学べる。
「円(まどか)なること、大虚の如し、欠くることなし、余ることなし」 このように、世界を、人生を見れたらと憧れる。
「植物は、生まれてから死ぬまで一ヶ所に留まって生きている。 そのため、有害物質が襲ってきた時に、逃げ隠れできない。だから、病原体や、虫の毒、有害な紫外線から身を守る為に、体内に化学物質・ファイトケミカルを備えている。 これが、動物の免役力を上げてくれる所以」との事。 宝島社「病気は治る」安保徹先生+石原結實先生対談からの抜粋です。
更に、この本には、怒りを感謝に変えるのが、治療の第一歩、とも書いてあった。 面白い視点に納得した。
今日は、横浜は、霧雨 。 今日も、新たな事に気づきたい。
昨日、TV新日曜美術館で、戦没者画学生の絵画を集めた、長野県上田市の美術館、「無言館」の紹介番組があった。 私は、無言館の絵画を見ると、鹿児島の知覧の特攻隊に散った若者の遺書を思い出す。
無言館の窪島館長は、彼等にとって、「どう生きるかではなく、何故生きるか?」 であったのではとのコメント。 人生で、大切なものを、凝縮させた表現は、表現の技術を超える「力」がある。
生きたかった人達の気持が、伝わって来る。