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医師として、心の存在について考え、そして出した結論が、「本能を教育したものが心ではないか?」 と村上雅治医師はおっしゃっている。
インド、ヴェーダンダ哲学の本に、「意思の退化したものが本能」とある。
本能が種子で、心は樹木なのだろうか? 種子を、時に「魂」と呼んだりしているのだろうか? 色んな心が、樹木のように育つ。 山々に沢山の木々があるように、人の心も、そのように存在しているのだろう。
同じに見えたり、違って見えたり。 心は、それでも、自然の一部の表現なのだと思う。
June 25, 2005 in 心と体 | Permalink Tweet
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