May 31, 2005
昨日の夕方、横浜みなとみらい線の地下鉄の入口で、偶然 「詩と語り」コンサートの案内をもらった。
開港記念館での、高麗恵子(こうまけいこ)さんと云う人の詩の朗読であった。
興味を覚え行ってみると、魂に訴える詩であった。
彼女には「本音で生きて下さい」と云う著書があり、パラツとページをめくってみた。
自らの衝撃的な人生を通して、彼女は、「本音で生きて下さい」 と メーセージを贈っている。
「本音であるかどうかは自分の状態でわかります。 何かを言い聞かせはじめたり、意識的に自分を駆りたてたり、不安があったり、物事がよく見えない時、頭が働かない時は 動けません。 本音がわかり、表現する時は、自然に水が湧くように活力が湧き、現状が見え、頭が働きます。 そして、活力は止まることを知らず、継続し、成長し続けます。 ・・・・・本音で生きる時、人は輝きます。 お一人お一人が大変美しいのです。 ・・・ 今、本音で生きる人間の美しさは、"宇宙の花"と感じています。」 とあった。
この文章で、心がスー と軽くなる思いがした。 昨日の偶然の出合いと驚きが、嬉しかった。
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May 30, 2005
人生の中で、他人にしてもらった事と、他人にしてあげた事は、良く考えないと思い出せないと思う。
実際は、してもらった事も、してあげた事も どちらが多いかわからない。 その人の意識の世界。
他人にしてもらった事を多く感じる事の出来る人は、穏やかで幸せになれるような気がする。
その人に申し訳ない気持がでてきたら、怠けてはいられない。
感謝の気持を表すには、自分で出来る事をやるしかない。
思い出す事も、幸せには 大切な事だと思う。
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May 29, 2005
60年振りで見つかった旧日本兵の事を英字新聞は War Straggler と表現してあった。
Straggler とは 彷徨う人、はぐれた人の事。
適訳に納得。 (自分は 人生Straggler にならないように しなければ。)
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May 28, 2005
今朝は、何を書こうかと考え、自分の人生論のノートを見た。 数日前に、座禅の道場の住職の言葉をメモしていた。
世界中で、貧しい国のスラム街のようなところに住む人達でも、幸せそうに見えることについて、住職は、
「幸せの元は、"苦しみ、労働、神への信頼"と云う事も出来ます。」 と答えた。
かすかに、深い言葉の意味を感じる。 もっと修行していきたい。
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May 27, 2005
シーズンを向かえた尾瀬の記事の英字新聞に 水芭蕉を "Skunk Cabbage" と訳してあった。
似つかない,ユーモラスな名前に、思わずアンダーラインをひいた。
私はまだ、尾瀬の水芭蕉を見に行った事がない。
写真をみながらいつかゆっくり味わいたいと思った。
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May 26, 2005
今朝は、横浜は好い天気で、小鳥の声でめがさめた。 先日行った雲仙の旅館の大浴場に書いてあった句を、思いだした。 早朝、朝日のさしこむ 大浴場に行ったことを思いだした。
「舟のなか 湯の花咲きて 雲仙の お湯は光るよ 今日の佳き日に」
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May 25, 2005
先日コメントを頂いた人のご紹介の、 「天使のひとこと」(祥伝社)と云う本をみた。
その中に、 「お母さんのきんぴかごぼう、おいしかった」と云う言葉があった。
幼稚園から帰って来た子供のひとことです。 お母さんは、心の中が ポッと暖かくなったそうです。
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今 話題の"談合"、英字新聞に "bid-rigging"と云う英語を見つけた。
大きな和英辞典でも、consultation, conferenceとしかなく、この"bid-rigging"が英語らしく感じる。
(bidは入札、 rigはごまかすこと)
今回の談合事件は、規模の拡がりも大きく、今まで日本経済を支えて来たシステムの大きな梁が、燃え落ちる様子を感じる。 大きく変化する日本を感じる。
立つレッサーパンダのことで、立っている状態を、"stand upright"と書いてあった。
そういえば飛行機で、座席の背を立てて下さいと云う時、upright position と云う。
見出しは、Performing panda walks into limelight. 歩くだけで世界中のスポットライトを浴びるパンダが面白い。
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May 24, 2005
JR 鳥栖駅の鹿児島本線から長崎本線に乗り換える地下道に、心に残るポスターがあった。
鳥栖駅の前には、大きなサッカー場がある。
大きな字の、筆書きに字のポスターで、 「いつでん、あんたの応援団じゃけん。」 と書いてあった。
私は、天国から、両親が、私に言ってるような気がして、はっと驚き、胸が熱くなった。
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弟の子供(小4 女の子)に聞いた、傑作。 「あたかも」と云う言葉を使って文を作りなさいと云われて、出された回答の中に、 「冷蔵庫の中に、牛乳があったかも。」と云うのは驚いた。 ちっちゃい子供との会話は、とても楽しい。
私は、その子の馬になって、背中に 乗せてやることも大好きだ。
又 「お馬パカパカ」のできるチャンスを狙っている。
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May 23, 2005
昨日、東京シテーイガイドの総会に出た。
新年度 私は、広重名所江戸百景、歴史探求、文学 の3つのグループに所属する事にした。
そのような 角度で 東京をみて見たいと思っている。
東京が 今までと全然違って見えて来るかも知れない。
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May 22, 2005
最近、講談にも関心が出て、「南部坂 雪の別れ」と云う話を覚えたくて、コピーを時々みる。
大石内蔵助が、瑤泉院(浅野内匠頭様 ご後室)に、最後の別れの為、南部坂を訪れた時、遂に 最後まで、覚悟を明かさなかった。 内蔵助が帰った後、袱紗包みの中の和歌ならぬ連判状に気づき、内蔵助を罵った瑤泉院は自分を恥じる。
この様な、感情の抑制された 内蔵助の行動に私は、強烈に心を惹かれる。 芥川龍之介の「半巾」、チャップリンの映画「ライムライト」などにも、強烈な「抑制の美学」がある。
両親の愛も、似たようなものだったことを今 思う。
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May 21, 2005
先日、長崎駅で、外海町(そとみ)役場作成の旅行パンフレットに 目を奪われた。 夕暮れの大海原に浮かぶ岩陰に、 オレンジ色の帯びを残して沈む夕日の写真。外海は遠藤周作の名作「沈黙」の舞台とのこと。
外海はキリシタンゆかりの地。 (私の亡くなった母の実家は 外海の少し南の京泊と云うところです。)
沈黙の碑に、次の文が刻まれていると云う。 心を奪われる情景です。
「人間がこんなに哀しいのに、主よ海があまりに碧いのです。」
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最近、色んな事が、みな不思議な事だと思う様になった。 「意識」と云うフィルターが、好奇心旺盛に周りを観察し始めた感じがする。 今まで、何かに捉われた、偏った意識の為、今まで見えてなかったもの、聞えてなかったものが沢山あったように感じる。 何を意識するかで、そして深く意識するかで、人生の映像は一変すると感じる。
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May 20, 2005
人間(日本人)の小腸は約7.5メートル、大腸は1.5メートル、つまり人間は約10メートルの配管のようなものかと思う。 その配管を一生の内に約70トンの食料が通過すると云う(75才換算70トン)。 それが人の一生。単純に考えれば、そんなこと。 時に配管は笑い、時に配管は泣く。 特別な配管。 高度なミミズ ? 面白い想像と発見でした。
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May 19, 2005
私の父は、旧満洲の鳳城に住んでいた。 昭和51年6月の福岡で開かれた同窓会の記念写真を、会の人から見せてもらった。 そして、背広姿の私の父の姿を見つけた。 優しい父の姿があった。 その当時、どんな気持で人生を送っていたのだろうと、色んなことを思った。
満洲からの生死をかけた逃避行、そして帰国後のゼロからのスタート。 過去の苦難から見れば、穏やかな日々であったのかも知れない。 当時 私は入社間もない頃で新潟にいた。 当時の父母からの手紙を想いだす。
雨上がりの、曇り空の島原に、ミヤマキリシマが鮮やかに映えている。
(18日~19日、島原で開かれた 満洲 鳳城の同窓会に参加する姉に同行しました。)
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May 18, 2005
深い哀しみを持つことも、人間の魅力だと思う。 何故なら、人は、哀しみを持つ時があるから。
人は、哀しみを持つ時、笑顔だけの人には、理解してもらえないと思って、近寄れない。
哀しみと笑顔の交差する人生を、淡々と穏やかに生きる人に、深い魅力を感じる。
深くて、力強い人間の魅力を感じる。
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May 17, 2005
人生はエピソード作り、思い出作りと思うことがある。
その後、何十年と余韻に浸れる思い出もある。
それは、思い出と云うより、人生を肯定させる、生命を包み込む羊水のようなもの。
いつ思い出しても、未来に希望を、人生に感謝を与える 過去の出来事もある。
そのような 出来事作りに 時間を費やしたいと思う。
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May 16, 2005
幼年期は、肉体(外)も心(内)も美。 青年期は、外の美の絶頂期。 熟年期は内の美が滲み出す時期。
熟年期に外の美に頼る事は滑稽、薄っぺらに感じる。 熟年期は、内の美が、外に滲み出す事で人間の最高の美を創り上げる。
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May 15, 2005
両親を既に、13年前と10年前に亡くした私は、両親の兄弟・姉妹や親しかった人と両親との思い出を知る為に、それらの人に会いたいと、この2~3年常に思って来た。 しかし、会うことを先延ばしにしている間にそれらの人が亡くなってしまう悲しみを最近何度も味わった。 5月13日、父の名古屋の弟が94才で亡くなった。 子供時代に会った記憶は鮮明に残っていても、何十年も会って会っていなかった。 2年前、父の満洲時代の親しい友人も96才で亡くなった。 その方とは、とうとう一度も会話をすることがなかった。 2年半前、母の弟も65才で亡くなった。 何年も会っていなかった。 会うことが、間に合わなかった。
自分や両親のことを、身近に思ってくれている人のことを、日常生活の惰性に流されずに、時々思いだし、会うべきだと思う。 それらの人は、自分をはっと気づかせてくれる人だと思う。
父の人生の話を父からじっくり聴けばよかった、母の人生の話を母からじっくり聴けばよかったと思う。 私の人生で、「間に合わなかったこと」と思うことです。
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May 14, 2005
夏目漱石は、神楽坂の「相馬屋」の原稿用紙しか使わなかったと云う話を神楽坂の「粋なまちづくり倶楽部」の方から聞いた。 神楽坂上の交差点そばの普通の文房具屋さんにそんな文豪との深い繋がりがあったとは 驚いた。 店の奥には、夏目漱石、尾崎紅葉、北原白秋の書いた原稿のコピーが飾ってあった。 夏目漱石は神楽坂の若宮町、尾崎紅葉は横寺町に住んでいたとの事。 相馬屋の原稿用紙を繁々と眺めた。 以前、池袋の雑司が谷霊園で、夏目漱石の墓をみた事がある。 神楽坂を飯田橋駅方面に歩きながら、漱石の「こころ」を思いだした。
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昨日、友人から、メールで次のような話を聞いた。 「スペースシャトルの打ち上げに合わせ、江ノ島の烏帽子岩がライトアップされるとのこと。 学生時代を湘南で過ごした野口飛行士への地元の方のプレゼントとのこと」
宇宙から自分の故郷の灯りをみる気持は、胸に、ジーンとくる。 壮大な宇宙の真只中から、夜の地球に浮かぶ沢山の灯りのなかに、自分の故郷を探すロマン。 私は、亡くなった両親のことを思うだろう。大切な人のことを思うだろう。 こちょこちょした人間の生活の営みを、全て 愛しく思うだろう。自分が育った「街の灯り」 は、温もりがある。 焼き芋の温かさのようなものかな。 そんなことを思った。
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May 13, 2005
東京都の医師の平均寿命が68才とかの話を聞いた。 日本人の平均寿命と比べると、えらく短いものだ。 医師自身が病気になって初めて患者の気持がわかったと云う本が、最近良くある。 結局、健康も人生も、大切な事は、頼るに足るものに頼っているかを考える必要がある。 JR西日本のような事は、医師の世界にもあると思う。
社会でも人生でも、大切な事は、医師や権威や大会社、ブランド等を頼らず、自分で知り、納得できるか考えるべきだと思う。 牽制の効かない権威は、杜撰な事を醸成する。 健康や人生は、自分との真剣な対話が必要だと思う。
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May 12, 2005
昨日、元吉本興業のてんつくマンさん(お笑いコンビTeam O, 相方 山崎邦正)の講演を聴く機会があった。彼は、吉本を辞め、路上詩人(書き下ろしパフォーマンス)をやり、又 人に人生と夢の素晴しさを訴える映画を創っている。 彼の人生に対する、精神性の高さ、美学には感動した。 彼の創った映画も少し見せてもらった。 惹き込まれるような激しい、人間の生命の詩のような映画であった。 彼の言葉のなかで、私は次の言葉を書きとめた。
「今日は、残りの人生の最初の日」
「幸せな人は、どんな状況の中でも、幸せをみつける事ができる人」
彼は、「お金や物」ではない素晴しい 精神世界の美とエネルギー をはっきり 捉えていると思った。 「お金や物」は必ず人を裏切ると私は思います。人生の充実にはこれが要るのだと 私も 強く共鳴した。
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May 11, 2005
エストニアの IT の技術、発達には驚きました。
写真は、街の公園にある、ワイヤレス インターネット接続サービスの掲示です。

Wifi System と云う インターネット 接続サービスの案内です。 掲示には、ここでパソコンを開き、出て来るアイコンを
クリックして、Wifi Network と接続下さいと 書いてあります。 私が、日本から ノートパソコンを持って行っていれば、
この 公園でも、自分のノート パソコンを 日本と同じように使えたそうです。 以前 海外に行く時、海外ローミングサービスのセットをした上で、ノートパソコンを何度も持って行き、それでも、うまくいかなかった経験からすると、エストニアのWifi Systemには、関心します。 ホテルでも街中でも、このWifi System が使えるそうです。 又、最近急速に流行りはじめた、高度なIP電話ソフトのSkype を創ったのもエストニアの青年だそうです。
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May 10, 2005
今朝は、エストニアの時差(マイナス6時間)にかかわりなく6時にめが覚めほっとした。
またイラクでの日本人の拘束のニュースが報道され、心が痛む。
今日も、昨日に続き、エストニアの写真を紹介します。

エストニアの旧市街は、1997年、世界遺産に登録されている。
ホテルのそばを朝、散歩している時に、撮った写真です。
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May 09, 2005
今日(5/9)の昼、エストニアから帰国しました。やっとHPに、平常に書きこみができ嬉しく思います。
インターネットカフェでは、やはり日本のように自由に書きこみは出来ませんでした。 (次回の海外は工夫しようと思っています。)

1284年、日本では元寇の頃 (1274文永の役、1281年弘安の役)、 Tallinn(Estoniaの首都)はハンザ同盟に加盟、繁栄の中世を向かえました。 中世のまま、時が止まった街、今も当時の鐘が鳴る教会、17世紀から 今も時を刻み続ける聖霊教会の大きな壁時計。
街の広場には、1422年 創業の薬屋が今も同じ場所で営業していました。1422年と云えば、コロンブスのアメリカ大陸発見(1492年)より前です。 日本では 正長の土一揆(1428年)の頃です。
不思議な体験でした。 大きな驚きの体験でした。 また改めて、歴史の勉強をしたくなりました。
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May 07, 2005
Today,I went Helsink by boat. It took me about 1.5 hours. Finland is famous for Moomin.
Commodity price in Estonia is about one third of that of Finland. I am quite happy to be in Finland and Estonia. Have a nice weekend.
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May 06, 2005
Today I am very happy to write from Tallinn , Estonia. Estonia is located in the neighorhood of Finland.
I arrived at Estonia in the evening of May 3. I am happy I could find a internet cafe near my hotel.
Size of land is about 60 % of Hokkaido. Population is about 1.4 million. Sunset is around 10 PM.
Tallinn is famous for the World Heritage designated old town of around 14 , 15 century.
Estonia is very young country( former Soviet Union) , especially energetic for the development of IT and bio-related industry. I was quite surprised with this fantastic old city which stimulate my imagination.
This is just to report my succesful access to my HP. Very Best Wishes.
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May 03, 2005
エストニア、人口135万人の北欧の小さな国(旧ソ連邦)へ、私は今朝、出発します。初めて行く国です。 新しい世界をみると、今まで眠っていた遺伝子の幾つかにスイッチが入るかなと思ったりします。 驚きは、考える事のはじまり、そして素晴らしい気づきがある事を願っています。 エストニアからこのHPの記事の更新をするつもりです。
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May 02, 2005
JR宝塚線の事故の遺族の報道を見ていて、心に残る遺族の言葉が沢山あった。
「吉崇さんは、JRを怨んでないと思う。誰も怨んでないと思う。」というお菅尾吉崇さんのお母さん、妹さん。
そしてお母さんは「運転手さんは、パニックになってたんでしうね」と運転手の心理まで読み取ろうとする心まで見せてくれた。 その言葉に、何か神々しい世界を感じた。
「娘は、何もかもゆるみきった社会の犠牲者です。 誰を責めてもしようがありません。」と云う小寺一矢さん。
私は、この社会は、何か 大切なものを置き去りに暴走しているような感じがしている。 暴走している人達は、人間らしくない、 表面上の、薄っぺらな価値観につき動かされているように感じる。 正気を取り戻し、凛とした社会、日本を築きたいと思う。
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May 01, 2005
人間の身体を構成している元素の割合を知り驚いた。 酸素65%、炭素18%、水素10%、窒素3%、その他4%。
人間を、このように捉えると、単なる物質みたいで不思議に感じる。 こころは誰が創ったのだろうと思う。
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人間は、生きてる間、その遺伝子の持てる能力の3~4%くらいしか使わないで死んでいくと云う。本当は、本人が測り知れない能力があるのだという。 それらの未点火の遺伝子のSwitchをOnにするのが、環境の変化、刺激である。 確かに、新たな体験は、人生に新たな視点を与えてくれる。 今まで見えなかった光景が展開して来る。自ら進んで新たな体験をする事は、人生が、沢山の新しい魅力溢れる時間・空間なのだと教えてくれる気がする。
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