November 11, 2009

路上で、手旗信号を振る人との遭遇

昨日、朝、神奈川区役所に立ち寄るため、東神奈川駅前を歩いていたら、交差点の信号付近で、道路の反対側へ向かって何度も、右腕を上下に振り、何か手旗信号で合図をしているような、80歳前後の男性のご老人がいた。

ちょっと精神を病んでらっしゃる昔の軍人さんなのかとも思った。その雰囲気が、誰かを助けようと、手を振ってらっしゃるようにも見え、何か、有難くも、哀れにも見えた。

また、その光景が、私の想像で、周りの人々や風景に、最後のお別れに手を振ってらっしゃるようにも見えた時、何故か胸が熱くなった。

もし人生の終わりが迫ったと感じた時、この人のように、周りの風景や、人々に、堂々と素直に、サヨナラ、サヨナラと手を振ってお別れが出来たら、何と気持ちが晴れ晴れとすることだろうと思った。そんな時は、この人のように、子供が新幹線に手を振る時のように、人目をはばからず堂々と、好きな風景に、有難う、サヨナラと、大きく手を振れば好い。

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November 10, 2009

初めての九品仏駅下車

先日の土曜日、座禅の会の会場が、たまたま東急線・自由が丘の隣の駅"九品仏"の地区センターに決まり、初めて"九品仏駅"に降り立った。自由が丘駅から溝の口方面へ一駅、駅からすぐに九品仏の、大きな、歴史ある寺の境内に続いていた。

そこには、日本昔話を聴く時の子供達ように、何故か私を、懐かしい、穏かな気持ちにさせてくれる空間が広がっていた。私が、初めて、荒川線の鬼子母神駅に降り立った時も、そうだった。

座禅会の後、住職と我々生徒4人で、夕方の境内を散歩した。住職は寺の鐘の音を聴くとすぐ、条件反射で寺の作業のことを想い出すとおっしゃって、みんなで笑った。広い境内を見ると、さぞ掃除が大変だろうとおっしゃって、それも可笑しかった。5人で、閻魔堂や、大きな九品仏を奉ったお堂の柵や窓ガラスに、顔を押し付けて中を覗いたりもした。

境内で、4~5人の青年と1人の子供が、大きな声で、「達磨さんが転んだ」の遊び(達磨さんが転んだと云う言葉に合わせて前に進むゲーム)をやっていて、落ち葉の夕暮れの境内が、ちょっと幻想的であった。

このような夕暮れの思いがけない散歩は、いつの日か、遠い日の夕焼けのような、ほのぼのとした想い出になることを想った。

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November 09, 2009

立川旧米軍基地、昭和記念公園

昨日は、サイクリングの会に久しぶりに参加をした。立川から青梅線で一駅の西立川で降りたら、すごい広さの公園が広がっていた。旧米軍基地の3分の1が公園に、なったのだと云う。

飛行場だった場所に、自然の丘陵のように起伏をつけ、木々草花が茂り、川も流れ、日本庭園、農家の里、植物園、池、運動の施設、バーベキュウの施設、子供の遊び場など、素晴らしい公園であった。サイクリングクラブの約20名は、思い思いに自分のペースで広い公園を走った。時折、私は自転車を降り、丘で、寝っ転がって青空を見たり、自然と戯れた。

砂川口とか公園にはいくつもの入口があった。1957年米軍基地拡張反対運動の砂川事件の場所であった。地図には太宰治で有名な、玉川上水とかも近くにあった。

サイクリング終了後の懇親会で、隣に座った、ある70代の男性の方が、夫婦別姓で別居、事実婚とおっしゃたのには驚いた。若者の同棲の風潮の対極にあるような、別居・事実婚のシニア世代の価値観。余りにも驚きだった。

また、旅と人に、少なからぬ驚きを与えてもらった。帰りの南武線の電車の音も、心地好かった。

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November 08, 2009

貧しさ中の美

「親が一番親らしく見える時は、貧しい時」。

こんな素晴らしいことを、住職から聴いた。この言葉だけで、どれだけの教えがあるだろうか。

貧しさの中に、確かに美がある。

裕福になることを求めて、裕福になればなるほど、人は醜さを増して、美から遠ざかって行く。

貧しかった両親の後姿を想いだし、両親の背中にすがって、有難うと云って、泣きたくなる。

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November 07, 2009

般若心経のドイツ語訳

昨日、会社帰り、新宿での座禅会に参加したら、二人の外国人女性がいた。アメリカ人女性とドイツ人女性。

ドイツ人女性は、以前、般若心経のドイツ語訳に触れて、日本へ留学し立教大学で仏教も学び、禅の哲学への興味が湧いたのだと云う。彼女は盲目で、現在、福祉の仕事、ボランテイアを、英国スコットランドでやっているとのことであった。二人ともチベットのダライラマ仏教に大きな関心があるとのことだった。

"般若心経のドイツ語訳"が彼女に、人生の灯りを点したことが、驚きだった。

私は、真剣に般若心経を読んでみなければと思った。

昨日の住職は、「生まれてもいない存在、滅することもない存在」「生ぜず、滅せず」の世界を説いた。「行くも返るも余所ならず」、そんな言葉を想い出す。


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November 06, 2009

想い出は、やはり"旅と人"

会社を一旦辞めてからの人生は、とても印象に刻まれる人生に変わった。自分に根付いた価値観に生きることは、自然で、満足度が全然違う。一般的な、他人や世間の価値のような、表面的な価値観に振り回されない生き方は、とても気持ち好い。こんな人生があったんだとつくづく思う。

2002年に会社を辞めてからの人生は、毎年の想い出は何かと云えば、強烈に想い出すことがそれぞれに、すぐに浮かんで来る。それは、旅であり、一緒に行った娘や姉や妹との旅の想い出、来日した親しい外国の友人を案内した日本の四季の風景など。

このような想い出は、大学を卒業してからの会社生活の何十年では、何十年生きても全然無かったこと。世間的なカッコ好さを追求していた時代には全然無かったこと。

旅と人に感動するのは、生きている充実の実感。それは生命への感謝、両親への感謝、大自然への感謝、宇宙の意思への感謝。

"小さな驚き"は、やはり、"旅と人"がもたらしてくれると思う。

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November 05, 2009

サーカスのテント

自分が住んで居る場所も、考えてみれば、生まれてから以来、何回転居して来たことだろう。

住んで居る場所なんて、思えば、サーカスの大きなテントみたいなもの。確かに、その時は、確固たる住まいとしての存在感はあるが、長い年月単位で見れば、広がる荒野に住んで居るようなものかも知れない。

何も持たず、ただ宇宙に漂うエネルギーの一部としての人間の存在を思う。所有は幻想、所有は執着、所有は傲慢、そして所有は苦しみ。

何も持たず、ただ、「無一物無尽蔵の境地」が好い。

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November 04, 2009

苦難の意味、

前田行貴著「瞑想のヨーガ」の中に、苦難に就いての次のような記述があった。

「苦は、貪欲や執着や前世(過去)の因縁関係に起因するが、人間はこの世で修業して、更に高い霊性を目指して向上するため、自ら苦難の世界に生まれ来ている。苦難は、その人に相応しいものとして、またその人のカルマ(業)を消滅させんがために訪れているのである。」

"苦難は、その人に相応しい宿題として、与えられた課題か・・・・"。

自分の苦難・不幸は、私にとっても似合っているものと思うと、愛着すら湧いてくる。誰のせいでも無い、ただ、私に似合った、愛着のある服のようなもの。古くなった、昔の服のように、懐かしく眺められる日が来ることを願う。それが人生の修業、向上の醍醐味だと想う。

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November 03, 2009

カナダから運んで来られたアブダビの風

昨日、夜は、カナダ在住のアブダビOB御夫妻の来日のご縁で、急遽、アブダビのOB会が実現。約20年弱ぶりの方にも会えた。10月下旬に、アブダビとは何も関係も無い九州の弟からの一本の電話をきっかけに、数日後には、ホテルの立食で14名のアブダビOB会が出来、感激だった。まさに、人生の展開は、不思議な縁に包まれていることを思った。

当時のアブダビの地図を壁に張り、記念写真を撮ったり、一人一人の近況に聴き入った。夫々の方々の人生があり、夫々の方々の新しい人生の展開を新鮮に感じた。古文書研究、ピアノ、"エンジェル・ハープ"、飛鳥文化の勉強など、夫々の方々が、気づかない遺伝子に導かれて、興味を開放してらっしゃるのではと、面白く思った。

人生の中で、これは、やっておかないと、収まりが付かないことがあると感じたのは、私が早期退職に応募した時。不思議なエネルギーは、舟を動かす風のよう。

時が経つのを忘れ、2時間はあっと云う間に過ぎて、別れを惜しんで会を終えた。外は、アブダビの光景が広がっていると思ってホテルの外へ出ると、ぴりっと、今年一番の寒さが、現実に引き戻してくれた。今朝もアブダビの余韻に包まれて、当時のアブダビは、人生の素晴らしい時期であったことを想い出す。

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November 02, 2009

土日の小さな驚きのハンテイング

一昨日、午前中、恒例の神田古本祭りにでかけた。慶應大学・西岡秀雄先生の「気候700年周期説」を久しぶりに発見、懐かしさのあまり、即購入した。

昼は、満洲・鳳城会の関東地区の方々数名で銀座で会食。戦後生まれの私は、満洲で育った方々の話を聴くのは、とても嬉しい。父母の暮らした満洲を知ることは、私自身の人生の一部のように感じ、何故か心休まる。

夜は、綱島で、座禅とヴェーダンダ哲学の勉強。住職のヴェーダンダ哲学の話は、まるで、素晴らしい演奏を聴くようだった。

そして、昨日の午前中は、地元神奈川大学の文化祭。大学1年生のジュニア・バンドのジャズも、何故か、すごーいと感動した。若さの輝き。

午後は、ヒッポクラブの行事で先週に続き、東大駒場で、「言語と脳」に就いて、酒井先生の講義を聴いた。

沢山の小さな驚きは、2日間の休日を、2ヶ月くらい長ーく、感じさせてくれる。これが、私の、好きなパターンの生き方。健康と、小さな驚きを与えてくれる人生の日々の事象・出会いに感謝する。

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