ニイタカヤマ、ヒトカップ湾
今日は真珠湾攻撃の日、ニイタカヤマノボレの暗号で開戦、
昭和16年(1946年)11月26日択捉島の(単冠)ヒトカップ湾を出航した空母6隻を含む連合艦隊は、12月8日未明、真珠湾を奇襲した。
ニイタカヤマとは台湾の最高峰の山(玉山)で、富士山より高い3956mと云う。
今日、想う歴史の感慨。
今日は真珠湾攻撃の日、ニイタカヤマノボレの暗号で開戦、
昭和16年(1946年)11月26日択捉島の(単冠)ヒトカップ湾を出航した空母6隻を含む連合艦隊は、12月8日未明、真珠湾を奇襲した。
ニイタカヤマとは台湾の最高峰の山(玉山)で、富士山より高い3956mと云う。
今日、想う歴史の感慨。
北海道やアラスカのネイチャ―ガイドの安藤誠さんの講演(日野市11/1)によると、熊注意とかより、「熊スプレー」が有効と行政は宣伝すべきだとのアドバイスでした。
アラスカでは、熊スプレー(唐辛子粉末)がスーパーに普通に売られていて、熊の害は日本より少ないそうです。
日本での熊の害での死者数は年間8〜9人位が今年は、12名と云う。捕獲される熊は例年2000頭位が今年は1万頭を超えると云う。
一方、スズメ蜂で死亡する人は年間20名位、餅を喉に引っ掛けて死ぬ人年間3500人以上だとか。
さて、世論は、冷静さを取り戻すべきかもと想いました。
先週、10/8〜10/11まで、九州旅だった。
10/9、筑紫野で、共済会事業のセミナーに弟と出た後、弟が最近買った福岡の西新のマンションに泊まった。近くの古民家風の総菜居酒屋にも行った。素晴らしい店だった。
その後、10/10は旅する社長、青木行雄さんの熱意で開催のセミナー(大分の中津)にも参加した。初めての中津は、福沢諭吉の故郷、夜行った「鬼太郎」と云う料理屋さんも、鬼太郎グッズが、面白い店だった。
昨日は早朝の中津発特急で小倉、小倉から新幹線で12:25には新横浜到着した。
大変、心に残る旅だった。
10月2日午後から会社を休み関西へ、10月4日の三池高校の関西同窓会の出席が、関西への旅のきっかけ(縁)になった。
10月3日、万博は、混雑で予約もできず、ただ会場の夢洲を見に行ったつもりだったが、クウェートの同僚のサポートで、クウェート館から迎えが来てくれる配慮にいたく感動した。
そして、その夜は、通天閣で串焼き、宗右衛門町の友人のサロンで交流会、そして神戸(泊)。
10月4日は、予定通りの高校の関西櫪友会参加、三池高校の校歌を斉唱、喫茶店二次会、そして、横浜への帰路に旅心、初めての岐阜泊。寂れた柳ケ瀬や、長良川の鵜飼の場所が岐阜だとあらためて知る。
10月5日岐阜発、午後13:30から横浜同窓会に間に合うように、横浜へ新幹線で帰った。
横浜同郷の有志(12名)同窓会は、横浜駅西口のモアーズの中のレストラン、二次会はフロンティアビルの最上階の喫茶サロンで、談笑した。
同窓会の関西と横浜のハシゴ、まさに同窓会マニア(笑)、
3泊4日の関西、同窓会の旅、そして2025年大阪万博とも想いがけない縁だった。
近所の床屋さんのおばちゃん、住み込みで床屋さんの見習い時代(3年)は、給料がたったの500円だったことを、今日も理髪の時聴いて驚いた。
しかも、女将さんからこき使われて、ひどいパワはらだった話にもらい泣きするほど。
風呂も時々しかいれてもらえず、洗濯も洗濯板で、住み込み先の家族の分も、食事の世話も。しかも、自分の食事はほぼオカズ無し。ある時、台所にあったネギを味噌汁にいれて食べたら、「誰の許しで、そのネギを入れたのか!?」とこっぴどく叱られた話。、
こんな辛い住み込み時代を3年経てからの人生は、幸せが拡がったと云う。
石の上にも3年、3月後、遂に、飛び出して、別の床屋さんては、同じ住み込みで、1万円以上の給料も貰えて、住み込み先の御夫婦の優しかったこと。
想い出の話に聴き入りました。
私が、悲しくて耐えられないシーンが、映画である。
ひとつは、「蛍の墓」
妹が、お兄さんに、何か食べるものを探しに行こうとするお兄ちゃんに、背中で弱々しく「行かんで」と云うシーン、もう死期が近いと悟った妹は少しでもお兄ちゃんの背中にいたかった。
もうひとつは、「ああ野麦峠」、女工として働き病んで、故郷に、お兄ちゃんに背負ってもらい帰る時、峠で、故郷が見えた時、「兄さ、飛騨が見える」
と言った時のシーン。
そう云えば、広島が08時15分、長崎が11時02分とは、最近改めて意識した。
B29がテニアン島を離陸した時間も、8月6日の01時45分.、当日の朝、同じ頃、起きてみた。当時の広島の朝の光景を想った。
ただ、それだけのことだけど、原爆への想いが、これまでと違って感じられた。
広島の死者14万人、長崎の死者が7万人、
その後の原爆症の人のピークが40万人、
そんなことを想う、8月。
今朝は、日本、サウジ、クウェート協会の総会(帝国ホテル)が10時からあるので、
少し早めに、新橋、汐留のロイパークホテルの朝食をトライしてみた。
24階から眺める築地(更地)や、勝どき橋の眺めを、新鮮に眺めた。
汐留の、高層ビルの風情は、昔、行ったシンガポールの石油国際会議(APEC)時代を想い出させた。30代〜40代の熱血ビジネスマン時代。
ホテルの朝食は、海外出張をよくしていた頃の私が、すぐ蘇る。アポイントを沢山入れて、海外の人脈との交流を楽しんでいた。
今も、そんな気持ちを味わえる境遇に感謝する。
今度の帰省の時、戦艦大和の第二連合艦隊(沖縄戦特攻出撃)の司令長官だった伊藤整一海軍大将の墓、大牟田市、岬、も訪ねる予定です。
大牟田に、伊藤大将の墓があったこと、改めて、感激します。
海軍連合艦隊司令部は、横浜慶応大学の日吉の下の地下壕にあり、10年くらい前に見学もしました。その地下壕で、大和の最期を受信したことも聴きました。
護衛戦闘機隊の零戦の中に、伊藤整一大将の長男の伊藤叡(あきら)中尉もいて、空から大和の最期、父の最期を見とどけたと伝えられています。
最後の戦艦大和の艦長は有賀幸作(長野県伊那郡出身)、海軍中将
その時の連合艦隊の総司令長官が伊藤整一海軍大将でした。
大和は、昭和20年4月7日.鹿児島、坊の岬沖で沈没しました。