生涯現役の有難さ、
少し前まで、会社の定年は55才だった。今では65才で当たり前。
私が前の会社を辞めたのが50才の時(依願退職)。
もう、あれから20年以上。
転職したが故に、今でも現役。しかも、プレッシャーは、殆どない、むしろ世界のエネルギー情勢に生々しく関われることも幸せなこと。
有難いご縁だと想う。
そして、今、まだまだ、ワーク、ライフバランスを健康的に保ち、人生を味わって生きることができて幸せに想う。
そんな感慨の、穏やかな年末。
少し前まで、会社の定年は55才だった。今では65才で当たり前。
私が前の会社を辞めたのが50才の時(依願退職)。
もう、あれから20年以上。
転職したが故に、今でも現役。しかも、プレッシャーは、殆どない、むしろ世界のエネルギー情勢に生々しく関われることも幸せなこと。
有難いご縁だと想う。
そして、今、まだまだ、ワーク、ライフバランスを健康的に保ち、人生を味わって生きることができて幸せに想う。
そんな感慨の、穏やかな年末。
先週末、通勤前に、日比谷の第一生命ビル(元GHQ本部)の中の喫茶店に立ち寄って、初めて、ビルの中を眺めた。
昭和13年建造とかも、知った。
マッカーサーの執務室も、公開される時を、待ち構えていよう。
GHQ本部のあった時代、そんなに大昔のことでもなく感じる。
日々の小さな驚き。
最近、小田原漁港で、短い時間だが、漁船乗船体験が、とてもいい体験だった。
小田原の海から、小田原城を眺める。
秀吉の小田原攻めの時の海上封鎖をした九鬼水軍?のことなどまでも想起した。
提灯灯台なども、あったなぁ。
日々の小さな驚とは、こんなこと。
今日は真珠湾攻撃の日、ニイタカヤマノボレの暗号で開戦、
昭和16年(1946年)11月26日択捉島の(単冠)ヒトカップ湾を出航した空母6隻を含む連合艦隊は、12月8日未明、真珠湾を奇襲した。
ニイタカヤマとは台湾の最高峰の山(玉山)で、富士山より高い3956mと云う。
今日、想う歴史の感慨。
北海道やアラスカのネイチャ―ガイドの安藤誠さんの講演(日野市11/1)によると、熊注意とかより、「熊スプレー」が有効と行政は宣伝すべきだとのアドバイスでした。
アラスカでは、熊スプレー(唐辛子粉末)がスーパーに普通に売られていて、熊の害は日本より少ないそうです。
日本での熊の害での死者数は年間8〜9人位が今年は、12名と云う。捕獲される熊は例年2000頭位が今年は1万頭を超えると云う。
一方、スズメ蜂で死亡する人は年間20名位、餅を喉に引っ掛けて死ぬ人年間3500人以上だとか。
さて、世論は、冷静さを取り戻すべきかもと想いました。
先週、10/8〜10/11まで、九州旅だった。
10/9、筑紫野で、共済会事業のセミナーに弟と出た後、弟が最近買った福岡の西新のマンションに泊まった。近くの古民家風の総菜居酒屋にも行った。素晴らしい店だった。
その後、10/10は旅する社長、青木行雄さんの熱意で開催のセミナー(大分の中津)にも参加した。初めての中津は、福沢諭吉の故郷、夜行った「鬼太郎」と云う料理屋さんも、鬼太郎グッズが、面白い店だった。
昨日は早朝の中津発特急で小倉、小倉から新幹線で12:25には新横浜到着した。
大変、心に残る旅だった。
10月2日午後から会社を休み関西へ、10月4日の三池高校の関西同窓会の出席が、関西への旅のきっかけ(縁)になった。
10月3日、万博は、混雑で予約もできず、ただ会場の夢洲を見に行ったつもりだったが、クウェートの同僚のサポートで、クウェート館から迎えが来てくれる配慮にいたく感動した。
そして、その夜は、通天閣で串焼き、宗右衛門町の友人のサロンで交流会、そして神戸(泊)。
10月4日は、予定通りの高校の関西櫪友会参加、三池高校の校歌を斉唱、喫茶店二次会、そして、横浜への帰路に旅心、初めての岐阜泊。寂れた柳ケ瀬や、長良川の鵜飼の場所が岐阜だとあらためて知る。
10月5日岐阜発、午後13:30から横浜同窓会に間に合うように、横浜へ新幹線で帰った。
横浜同郷の有志(12名)同窓会は、横浜駅西口のモアーズの中のレストラン、二次会はフロンティアビルの最上階の喫茶サロンで、談笑した。
同窓会の関西と横浜のハシゴ、まさに同窓会マニア(笑)、
3泊4日の関西、同窓会の旅、そして2025年大阪万博とも想いがけない縁だった。
近所の床屋さんのおばちゃん、住み込みで床屋さんの見習い時代(3年)は、給料がたったの500円だったことを、今日も理髪の時聴いて驚いた。
しかも、女将さんからこき使われて、ひどいパワはらだった話にもらい泣きするほど。
風呂も時々しかいれてもらえず、洗濯も洗濯板で、住み込み先の家族の分も、食事の世話も。しかも、自分の食事はほぼオカズ無し。ある時、台所にあったネギを味噌汁にいれて食べたら、「誰の許しで、そのネギを入れたのか!?」とこっぴどく叱られた話。、
こんな辛い住み込み時代を3年経てからの人生は、幸せが拡がったと云う。
石の上にも3年、3月後、遂に、飛び出して、別の床屋さんては、同じ住み込みで、1万円以上の給料も貰えて、住み込み先の御夫婦の優しかったこと。
想い出の話に聴き入りました。
私が、悲しくて耐えられないシーンが、映画である。
ひとつは、「蛍の墓」
妹が、お兄さんに、何か食べるものを探しに行こうとするお兄ちゃんに、背中で弱々しく「行かんで」と云うシーン、もう死期が近いと悟った妹は少しでもお兄ちゃんの背中にいたかった。
もうひとつは、「ああ野麦峠」、女工として働き病んで、故郷に、お兄ちゃんに背負ってもらい帰る時、峠で、故郷が見えた時、「兄さ、飛騨が見える」
と言った時のシーン。